田老町漁協 真崎わかめ 産地報告

東日本大震災で、甚大な被害を受けた産直提携先である田老町漁協の復興への取り組みを、いわて生協担当者が報告します。

約束

2012-04-30 21:26:32 | 産地報告
田老町漁協のある方との約束。

それは何年も前のこと。


あの日、過去に田老を襲った津波の高さの記録をみながら、その方と津波について話し合っていました。
「津波はいつかはわからないが、必ずやってくる」
そして、「津波によって田老の漁業が非常に厳しい状況に直面することになる」
そんな話をしていました。普段中々見ない表情でした。

本当にお世話になった方。

それなのに、その方との約束。この間、中々守ることができなかった私。

「どこかで、真崎わかめの学習会をしたいのだけど」
そんな要望をいただいたときも、コーディネートできず。

「たまには、宮古で遅くなったら、泊まっていき、ゆっくり話をしよう」
そんな話をいただいても、中々都合がつかず。

「いつか」「また」を繰り返した、本当に恥ずかしい話。

津波の話をしたあの時、ある約束をしていたことを思い出したのは、震災から数ヶ月
経ったときのこと。

「大きな津波がくれば、沢山の人たちの手助けが必要になるはず。
もし、自分たちの世代に津波が来たら、その時は宜しく。一緒にがんばろう」と。
あの日、そう話は締められていました。


それから数年後のあの日、津波はやって来ました。来てしまいました。
そしてあの方は、津波で行方不明に。
その事実は未だ変わっていません。


この約束を思い出して以降、せめてこの約束は守ろうと、できる限り取り組んできました。
いわて生協だけではなく、多くの地域生協、そして今回の日生協の皆様などとも、協力しながらやって
きたつもりです。
ただ無理をした部分もあり、10月、「田老町漁協を励ます会」、そして翌日、山形の共立社への生協
祭りに徹夜で参加した際は、盛岡に戻ってきて1時間後には体調を崩して救急搬送されるという、貴重
な体験もさせていただきました(笑)。
もちろん、不十分な点などもありましたが、それは今年度以降の課題となります。


真崎わかめは、漁協の組合員、職員皆様の努力もあって、1年で復活することができました。
私たちいわて生協も待っていることを、できる限り見える形となるように伝え続けたつもりです。
そして、復活に合わせて、本当に商品のことを伝えながら、大きな利用をつくることもできました。

しかし、まだまだ、復旧、復興には時間がかかるのかもしれませんし、真崎わかめという商品を通じての
産直の継続した取り組みは、これからが本番です。そういう意味では、まだ約束は守れていません。
せめてこの約束を守るまで、あの方のことを話す資格は自分にないと思っていましたので、今日この記事をアップ
することも悩みました。

ただ、このブログも本日で更新を停止しますので、1つだけ、これだけは伝えておきます。

田老町漁協の工場長だった松本さん。
本当にありがとうございました。


そして、余談ですが、このブログのID、taro-masaki-project。
田老と真崎。この2つの言葉の頭文字(TとM)。
松本さんのイニシャルでもありました。











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