山下達郎が絶賛した「R&Bの本格派」 〝GG Kacky〟蛎崎広柾、喜寿でシングル再デビューに意欲
8/19(土) 17:00配信
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蛎崎広柾
【YFM 夕刊フジmusic】 1960年代後半のGSの時代、キラ星のごとくバンドが出現したが、THE VOLTAGEもそのひとつ。リズム&ブルース、ソウルのエッセンスも取り入れ「Amy My Amy」などヒットも飛ばしたが、散り行くのも早かった。しかし半世紀以上経ち、ボーカルの蛎崎広柾=GG Kacky(VOLTAGEでは橘洋介名義)がまさかのソロ・リデビューをプランニング。12月の喜寿を前にボルテージを上げている。 8月4日のラドンナ原宿。R&Bに裏打ちされた〝シワがれた〟ボーカルに衰えはなかった。 バックに芳野藤丸、濱田金吾、宮崎まさひろ、大久保治信、原久美のオールスターズを従え、オーティス・レディング、サム&デイヴ、ジェームス・ブラウンらの曲を熱唱。演奏より長めのトークとともに満杯のオーディエンスを喜ばせた。 「俺たちはいわゆるGSとは違い、R&B、ソウルとかが好きで、西では上田正樹、東では俺たちが演っていた。名古屋で共演した串田アキラのバンドから串田が抜けて残された2人と、俺たちバンドの3人で組んだのがボルテイジ。横浜を拠点に、いろいろな地方で(ライブハウスと契約する)ハコバンをやった」 68年に「Amy My Amy」でデビュー。ハスキーがかった甘い歌声はのちに山下達郎に絶賛されたほどだ。しかしGSの灯は69年にもなると輝きが薄れてしまう。 「GSブームは正味3年。バンドは解散して俺はフリーになり、音楽を〝つくる〟側に回った。そうしたら俺たちがつくったちょんわちょんわの『嗚呼!!花の応援団』がヒットして、RCAから声がかかったんだ」 RCAで制作畑に進むと、忘れられない出会いがあった。藤竜也のシングル「花一輪」のアシスタントディレクターを担当。それが、のちの名曲誕生への布石となった。 「数年後にメインディレクターとして、藤さんの『横浜ホンキートンク・ブルース』を担当。作曲したエディ藩とはGSからの知り合いで、〝いい曲だな〟と聴かせてもらったら、作詞は藤さんだと。すぐに藤さんに連絡した」 曲はRCAの編成会議で当初ボツとされたが、反対者が欠席した次回の編成会議で通ってリリースされた。ただすぐに売れる曲とは自身も思っていなかった。 「すぐには売れなくても、絶対に将来的に残る曲と会議で説得して。そのとおりにカバーする人間が続々出てきて、今でも歌い継がれている。バカ売れしたアイドルの曲もつくってきたけど、こんなふうに愛され続ける曲をほかにやったことはない。俺の一番の自慢」 世に出て46年が経っても生き続ける名曲に勇気づけられて、再び歌っていくことを決めた。 「ボルテイジ以来、おおよそ55年ぶり。喜寿でシングル再デビューもいいね。いい曲は残っていくものだから」
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