


▼霊位標



墓石を洗い、休日の楽しみにしていたキリンラガー(レギュラー缶)と柿の種を供える。大瓶ではないが勘弁。ぼたもちをもってくるのだった。
桜にはすこし早かった。
持参したメロンパンをたべた。
▼シャツ1枚でいいくらい

彼岸だとふだんより車が多い。人の多寡はわからない。
供えてある花の新しい墓の多いことはたしか。



立花宗茂を偲び、廣徳寺へ。
▼脇の石碑に「廣徳寺塔頭圓照院」とある

奥の建物は坐禅堂ということになるのだろうか。

新しい立札だ。
そのまま起こす--
円満山 廣徳寺 臨済宗大徳寺派
戦国大名北条氏の四台目氏政の子、岩槻(埼玉県)城主太田源五郎が明叟和尚を招き、箱根湯本の早雲寺の子院として創建し、小田原城落城(一五九〇)の際、消失したと伝わりますが、その後、徳川家康が二世希叟和尚を江戸神田に招き廣徳寺と称し再興しました。寛永一二年(一六三五)に下谷に移り、加賀前田家をはじめ諸大名を檀家とする江戸屈指の大寺院となりました。しかし、関東大震災で寺域は焼死鬆地、その後の区画整理のため、大正一四年(一九二五)からこの地に墓地を移し、別院としました。昭和四六年には本坊が移転し、昭和五三年に総合移転が完了しました。平成二年の開山明叟和尚四百遠年諱を記念して、庫裡、位牌堂を立て替え、現在のたたずまいとなりました。
墓地には、剣法の指南役として有名な柳生宗矩、三厳(十兵衛)父子の墓や将軍家茶道指南役で庭園築造にも事蹟のあった小堀遠州の墓(茶人らしい笠付棗型の墓石)があります。三厳と遠州は沢庵禅師を通じて禅にも深い理解がありました。
その他、文禄・慶長の役で活躍した立花宗茂や、江戸時代の詩人菊池五山、菊池秀峯、大内熊耳など、大名、学者、文人の墓所が数多くあります。
ここは禅の修行場でもあります。寺域内では静寂に心がけてください。
令和三年(二〇二一)三月
練馬区教育委員会

▼総門

▼「平成七年(一九九五)六月練馬区教育委員会」の立札

▼境内案内図

▼山門/昭和4年建立、20年解体、27年修造

▼金属の銘板

當山門ハ昭和四年龍瑞和尚ノ發願ニテ建立セルモノナリ偶日米戦争起リ昭和二十年ニ至リ敵機ノ空襲愈猛烈ナルニ及ビ政府當局ハ官庁舎建物保護ノ方針ノ基ニ其〓胃圍ノ家屋ニ強制疎開ヲ命令ス
当寺山門及庫裡茶席等ハ取毀シノ止ムナキニ至リ山主自ラ山門茶席ヲ解體シテ保存ス昭和廿七年檀越台東区御徒町野口義雄願主トナリ是ヲ修造ス
廣徳廿九世 以清妙保
昭和廿七年五月十九日上棟
昭和四年 大工 鈴木伊勢奈
昭和廿七年改修 大工 廣田光次郎


▼桂徳院

廣徳寺が近衛秀麿も眠る寺とは知らなかった。臨済宗大徳寺派の寺院ならふしぎはない。
