葛飾少年軟式野球連盟主催の「夏の大会」が開幕しました。金ジャンは今年も3チームの出場をしております。7月8日現在 2部チームが勝ちあがっています。現在、チーム総勢80名を超える葛飾随一のチームです。お父さんのお手伝いも含め、指導者も30名近くになりました。今回から、金町ジャイアンツが来年創立35周年を迎えるにあたり、チームの手伝いを28年間携わった一人として、関係者との思い出や交流記、そしてチームの歴史などを綴ってみたいと思います。
第1回は 松山光平代表を紹介します。昭和48年(1073年)4月14名の選手でスタートした「金町ジャイアンツ」(通称=金ジャン)は、昭和57年葛飾軟式野球連盟(当時は少年野球は独立前の傘下団体)春季大会で準優勝を果たしました。当時の選手は逞しく、試合をリードされていても「監督心配ないよ!そのうち逆転するから?」。今は亡き中山脩監督は19名の選手をしっかりと掌握し、選手はそれに応えていました。準優勝の結果は翌年の選手加入(当時は3年生から募集で一挙に24名の加入)に好影響を与え、昭和59年(1084年)には選手在籍77名、指導者12名となりました。
初代監督 荒井八郎氏のもと、コーチを勤めていた松山光平氏は昭和55年にその後を引継ぎ、昭和57年チームの10周年を記念して2つの記念事業を立ち上げました。1つは8月の「新潟合宿」です。この年開通したばかりの「上越新幹線」で宿舎のある「浦佐駅」まで一直線。子供たちにとって大きな夏休みのプレゼントになりました。以後毎年恒例になりましたが、この時期2泊3日のお盆過ぎの新潟は、雪国の寒さを取り返すかのような猛暑と、激しい雷雲に見舞われる場面が多くありました。しかし、子供たちは3日間の野球漬けのスケジュールにもめげず、今まで体験したことのない、早朝の山登りや宿舎近くの水無川を囲った「紅鱒の生け捕り」にと、3年生から6年生まで初めての合宿を楽しみました。
もう一つが「親子ソフトボール大会」でした。それまでお母さんは子供たちのためにグランド抽選会に毎月1回区役所に自転車で駆けつけ、帰路の“お茶会が楽しみ“程度でした。そこで松山代表は折角の野球チームらしい親子で楽しめるイベントをと企画したものです。いわば「金ジャン」の「父母参観日」となりました。「新潟合宿」も松山代表の故郷である「新潟県大和郡浦佐」の親族が経営しているスキー民宿と交渉し、子供たちのため格安で利用できる施設と、夜間照明が完備している「町営のグランド」で当時不可能であった小学生の「ナイター=ナイトゲーム」を実施。子供たちは夜間照明に飛び込む大量の虫にびっくりしながらも、すっかりプロ野球選手気分でした。
2つの事業は現在まで継続され、子供たちだけでなく指導者も父兄も一緒に引き継がれています。
こうした“子供たちのために”の精神は、この後昭和60年(1985年)少年野球としては初めてのハワイ遠征の国際試合「親善野球交流大会」を実現。子供たちに異国の地でホームスティを体験させ、ハワイ州知事に葛飾区長の公式メッセージを手交するなど、国際交流を通じた“世界に通じる国際人の育成に”と、さらに現在の「韓国=済州島チーム」との国際交流に繋げてきました。
そして何よりも大きな事業は、悲願であった“チーム独自のグランド”の確保でした。現在の「東金町少年野球場」の前身の場所近くに3000坪の荒地を地主8名の方と交渉し、チーム選手、保護者一丸となってグランド造りで、僅か1年あまりで3面の練習場を完成したことです。この間の関係者との交渉やグランド整備の陣頭指揮をし、チームの大いなる隆盛を内外に強く印象付けました。当時はこのグランドを“松山グランド”と呼ばれ、葛飾区の「木」に指定されている“枝垂れ柳”の巨木が目印でした。(正式名称は「東金町7~8丁目子供広場」)。現在は江戸川ライン球場(新球場)として新たな場所に確保されています。
松山代表(選手が増えたため4部編成とし各部専任監督を任命。1991年から総監督・代表を兼任。2004年より現在の池田寿一総監督にバトンタッチ、代表に専任)の“子供のためになら”の精神はチームの活性化に大きな足跡を残し、今や葛飾区ばかりでなく、広く少年野球の関係者に受け継がれているところです。この間チーム運営だけでなく、少年野球の育成強化のため、組織としての葛飾区の少年野球連盟や多くの同好会の組織作りに奔走し、連盟の副会長、同好会「葛飾白球会」会長などの要職を続けている。
この間多くの困難に直面するたびに、関係者との調整は困難を極めていました。当時チームの応援団として松山代表の肝いりで結成された「父母OB会」の幹部に、次々と課題と悩みを持ち込んだ結果が、誰が付けたか冒頭の「ボヤキの松」となったのです。ボヤキのおかげで多くの貴重な助言をいただき、今あるチームの隆盛はこの獅子奮迅の松山代表の活躍があったればこそ、と改めて思うこの頃です。
何よりも感心することは“人使いが上手い”ということです。癖のある一言も二言もある他のチーム指導者を束ねていくには、“細やかな気配りと大胆なアイディア”で度肝を抜く計画の実行力が何よりの魅力といえます。
次回からチームに携わった指導者を紹介したいとおもいます。 第9話 完