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パパね、中身が女の人らしい💁🏻‍♀️

性同一性障害MtF
恋愛対象は女性
強烈な男性拒絶でさらに複雑

一回目のカウンセリングが終わって

2020年05月18日 | 男から女性へ💁🏻‍♀️
二回目のカウンセリング当日。
カウンセリングの前に診察があると言われていた。

まだ院長先生の初診と初回のカウンセリングが終わっただけだったが、改めて性同一性障害とは何なのかという疑問が強くなっていた。
今の自分の状態、これまで自分が歩んできた道のり、根底にある原因。どれが何を指し示しているか、通院するまではただ漠然としていたが、実際に掘り下げていくと疑問が大きくなるばかり。疑問は不安に置き換えられていく。

初診の時に院長先生が言っていた事は理解できた。
そこに自分を当てはめようとしても、今ひとつしっくりこない。
定義を調べてみた。


※厚生労働省 みんなのメンタルヘルス

性同一性障害でみられる症状-主な3つの症状
  1. 自らの性別を嫌悪あるいは忌避する
  2. 反対の性別に対する強く、持続的な同一感を抱く
  3. 反対の性別としての性別役割を果たそうとする


3つの症状について自分を当てはめてみる。
全て該当すると言えると思う。

自分が男の身体である事に強い嫌悪感があり、常に苦痛と思ってきた。
これまでの人生で二度も結婚を経験しているし、数多く恋人もいたし、男として普通の恋愛をしてきて、男として性的役割をしてきたし、そこだけを見れば自分が男であることを自覚しているわけだ。
しかしちょっと違う。
言ってみれば、ハードウェア的には男、ソフトウェア的には女性という感じが説明しやすいと思う。
男として社会生活を送る上では、容姿や言葉遣い、仕草などはある程度の範囲で男性として振る舞う必要があることは事実だし、でも内面が女性的なためにどうしても女性っぽい仕草や言葉遣いが常に出てきてしまう。とてもチグハグで、自分でもよくこんな状態で50年も男をやってきたもんだと感心してしまうほど。

加えて強烈な男性拒絶。
私の場合、初対面の男性とは全く話をできないどころか、その空間に一緒にいることすらできなくなる。感情としては恐怖心に近いとは思うが、身体症状として吐気や目眩も発症するほど。
特に若い頃は顕著に表面化していたので、例えばコンビニエンスストアに行った際、レジが男性スタッフだったりするともう無理。店内にいる他のスタッフやお客さんが男性である場合も同様で、当時はお店に入る前に外から確認して、無理な場合は諦めていた。
とはいえ、この状態は非常に生きづらい。というか、社会生活が成り立たない。

そこで自分なりに考えてみた。
ふと気がついたのが、古くからの友人。
私は基本的に女友達しかいない。これについては後で書くつもりだが、男友達というのは限定的な条件のもとでしかいなかった。
その条件とは、女友達が連れてきた男性ということ。
不思議な物で、女友達が連れてきた男性は、最初から“友人の友人”という割り切りが出来ているために、普通に話をする事はできていた。

そこで思いついたのが、カテゴライズだ。

要するに、相手を性別で見ないようにして、何かしら自分が割り切れるように相手を定義してはめ込み、自分が受け入れられるよう努力するわけだ。この方法は覿面だった。
この考え方のおかげで格段に生きやすくなった。
このクリニックの院長先生は男性だが、自分の意識としては院長先生であって、男性という部分で受け止めていない。
余談ではあるが、息子を連れてよくドライブなどへ行くが、息子はトイレに行くのを面倒がってなかなか行ってくれなかったりする。そういう時は私が一緒にトイレへ入り、促していたのだが、実は紳士用トイレに入るのは苦痛でしかなく、本当に、本当にきつかった。
あくまでも息子をトイレに行かせるためだけに入る、という感じでしかこなすことができず、息子が済んだら私は個室へ入って済ませるという状態だった。

“反対の性別に対する強く、持続的な同一感を抱く”
先に書いたように、女友達しかいないというのがまさにこれだ。
自分の身体が男である事は自覚している。強い嫌悪感があるが、紛れもない事実なので、受け入れたくはないが仕方なく自覚している、といった感じだ。
同時に、反対の性別、つまり女性とは非常に近い感覚を持っていると感じている。
小さい頃から色の好みや好きな遊び、何もかもが女の子のようだったので、自然と仲良くなるのも女の子。男の子のちょっと乱暴な遊びや、力の競い合いみたいな事はどうしても好きになれず、避けていたわけではなかったが、幼なじみなど極限られた男の子は別として、好んで一緒にいたりする事はほとんどなかった。
この状況は小学生になっても同じで、そのせいで小学5年の時、学年中の男子から嫌がらせを受け、1年間に渡って虐められていたことがあった。
他の男子からすれば、私が女の子っぽいだけではなく、男子なのにいつも女子に囲まれて楽しそうにしているし、バレンタインデーには女子とチョコの交換をしていたりするので、“なんでこいつこんなに女にモテるんだ”という勘違いをされていた
私自身はそんなつもりは全くなかったのだが、見た目的に行動が目立っていたのは否めない。誤解から生まれたものではあったが、自分自身が男であることに嫌悪感を抱いていたことに加えて、この出来事が強烈な男性拒絶を生み出したのだと思う。
この頃から周りも含め、自分自身も女子と同等と考えるようになっていた。
友達も私を“男子”として見ている事はなく、体育の時間などで「そっか、そういえば男子だったんだよね」と笑いあったりするほど、丸っ切り女子として同化していて、受け入れてくれていた。

友達のお姉ちゃんは、私がお家へ遊びに行くと、そこのお母さんと一緒に私の性質を面白がって、スカートを穿かせてくれたり、お化粧をさせたりいろいろ自由に遊ばせてくれた。
無論、私の家にはあの母と姉がいるので、帰る時には元通りにしていった。
次第にその友達から話を聞いた他の女の子や、また別の女の子に話が伝わり、気がつけば仲良しの女の子の家へ遊びに行くと、そこで女の子の服に着替えて遊ぶことが当たり前になっていた。今思えばおかしなもの、変わった子供でしかないのだが、おそらく当時の私はそうすることで自宅での苦しい生活から現実逃避していたのだろう。

身体は男。でも中身は女の子。
周りも私を女の子と同じ扱いをしている。
この状態は50歳を過ぎた今でも全く変わっていなかった。

“反対の性別としての性別役割を果たそうとする”
性別役割とは何かと調べてみると、要するに男性・女性としての社会的役割と、性的役割に分類されるらしい。

社会的役割を考えてみる。
若い頃からとにかく世話役ばかりやっていた。お料理はもちろん、掃除や洗濯などの家事は一人暮らしをしていた頃から結婚していた頃も含め、基本的に全て自分でやっていた。最初の妻も二人目の妻も、私が家事を全てこなしていることに不満を言った事はなかったし、そういう人なんだと思ってくれていた。
一時期、会社をやっていたことがあるが、その頃も食べていけない若い子たちは毎日のように自宅へ来て、私が作る夜ご飯を食べていた。社長が夕飯を作る会社というのも変なものだが、私にとってそれは嬉しくて楽しいものだったので、苦に思う事は全くなかった。
そのせいもあって、若い子たちからは“社長”ではなく、“お母さん”や“ママ”と呼ばれていた。他の女子社員たちも、まるで母親に話をするように恋愛や身体の悩みを相談してきていたので、それを社会的役割が男・女どちらなのかと言われれば、女となるだろう。

性的役割を考えてみる。
一番明確で分かりやすい例は性欲についてだと思う。
私の場合、自分の身体が男性である事は自覚しているし、それが故に子供を授かったわけだ。
じゃあ性的役割は男性ですねと言われても、そりゃそうですねとしか言いようがない。
だが、もう少し内容を掘り下げるとニュアンスが変わってくる。

若い頃、私の周りの男達は、やれ女紹介してくれだの、適当な女いないかだの、性欲丸出しの連中がたくさんいた。
これはあくまでも一般論だが、男性は女性を性の対象として見るため、恋愛感情は別として、女性に対して性的な視点で受け止めていることが多いという。
恋愛関係に発展した場合、若い男性は女性との触れ合いに関して性行為を想像することが多く、会話などのコミュニケーションは二の次になる傾向が強いらしい。
私の場合はここから違ってくる。
もちろん性行為自体は否定しないし、好きな人とであればいつでもしたいと思うし、触れ合い=性行為という感覚も理解できる。
ただその優先順位が違う。これまでも女友達とそうであったように、お喋りすることが最上位に楽しい。お買い物に行ったり、お茶したり、一緒にお料理を作ったりしてまたお喋り。そんなことがとにかく楽しい。
ベッドでその時を迎えれば、相手を悦ばせることがそのまま自分の悦びになる。男性としての機能を使用することにはなるが、決して行為自体に嫌悪感があるわけではなく、相手を悦ばせることへの快感が勝るだけだ。ただ、よく聞くような終わったら背を向けてさっさと寝るみたいなことが全くない。
疲れ果てて眠気が高まっていても、そこでまったりしながらお喋りするのが楽しいし、幸せを感じるひと時になる。
実はこれまで交際した女性から、尽くこの部分を指摘されてきた。
「なんかこういう時も男っぽくないよね」
と言われる。そう言われても普通の男性がどうなのか、彼女がそれまで関わってきた男性がどうなのかを知らないので比べようがないのだが、どうやら私は普通の男性とは違うらしく、セックスにおいても他の男性とは違っていて女性っぽいらしい、そんな風に受け止めていた。

“反対の性別としての性別役割を果たそうとする”という意味では、私は意識してそうしていたわけではないのだが、無意識にそういう行動になっていたのだと思う。
思い返してみれば、歴代の恋人たち、同棲していた恋人や二人の妻、皆それぞれ私に対して同じように感じていたのだと思う。そこで余計な負担をかけてしまっていたのかもしれないと思った。

そろそろ二回目のカウンセリングの時間だ。
整理した頭の中はクリアだった。
ドアノブにかけた手が前回よりも軽く感じた。


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