「あら、いいじゃない、背が高いからスカーチョとかワイドパンツとか似合うわよ」
診察室へ入るなり、カウンセリングの先生が声を張る。
明るい口調、それだけでも気持ちがすっと楽になる。院長先生の診察とは違う空気感は、初めて女性の服装で来院した私の緊張を収めてくれた。
「先生すみません、さっき院長先生の診察も彼女に同席してもらったんですけど、カウンセリングも同席でいいでしょうか?」
「えっと今日は小学生の頃の話だったよね。その当時のことは彼女に話してあるの?」
「いいえ、話してないです。というか、今まで誰にも話したことないんです」
「なるほどね。彼女が一緒でも抵抗なく全て話せるかな?」
「大丈夫だと思います。知ってもらった方がいいと思いますし」
「そっか、じゃあ同席でいきましょう」
自分でも迷いはあった。誰にも話したことがない小学生時代のこと。母と姉からの差別、偏見、虐待、学校での虐め、集団暴行、幼い身体と心への深い傷。何もかもが辛く、記憶を反芻することは苦痛でしかない。でも今日、このカウンセリングで全てを話し、曝け出すことで前に進めると信じたい。
彼女とはこの数週間で急激に距離が縮まった。だからといって恋人ではない。お互い、口には出さないが、そういう関係ではないと思う。もっと深く、もっと大きな存在。言葉で言い表すのは難しい。ただ、彼女には私の全てを知っていて欲しいと思った。
「さ、では始めましょう。幼稚園の頃は叔母さんのところで過ごすことが多かったんだよね。あと従姉妹ね。小学校に入ってからもその環境は変わらなかったの?」
「はい、むしろ小学校に入ってからのほうが頻度は高くなりました。叔母と母の間でどんな話をしたのかはわからないのですが、小学校に入ってすぐ、叔母が“うちからのほうが学校も近いから、ずっとうちから通えばいいよ”って言ってくれて凄く嬉しかったのを覚えてます」
「そうだったんだ。でもお姉さんも同じ小学校だったんでしょ?」
「はい、そうです。あの、その頃から気づいていたんですけど、実際には叔母の家の方が少し距離があったんですよ。多分、叔母は本当の理由を誤魔化すために言ったんだと思います」
「そうだろうねぇ、なんかあったんだろうね、お母さんと叔母さんの間での話の中で」
自分で車を持つ様になってしばらく経った頃、当時住んでいた街へ行ったことがある。当時の家は取り壊されており、叔母の家も既に無くなっていた。
伯母の家があった場所の近くに車を停めて、小学校まで歩いてみた。当時の記憶そのままのところもあれば、全く違う建物、道に変わっているところある。小学校は明らかに伯母の家の方が遠かった。
「学校では仲のいいお友達とかはいたの?」
「はい、みんな女の子でしたね。男子とは話くらいはしますけど、休み時間に遊んだり、放課後に遊んだりっていうのは全くしなかったです」
「一般的なことで言うとね、そのくらいの年代から大抵は仲のいい子同士で数人の集団が複数出来ていって、男子は男子、女子は女子みたいになっていくのよ。あなたの場合はその時点でどういう感じになっていたの?」
「幼稚園の頃から仲良しだった女の子と、あとは他の幼稚園から来た女の子も仲良しになって、いつも一緒でしたね。母と姉がいる家と伯母の家は小学校を挟んで反対にあったんですよ。その二人の子は伯母の家側に住んでいたので、朝も帰りも待ち合わせていていつも一緒でした」
「それは仲良くなるよね、わかるわ、私もそんなことあったから」
先生が楽しそうに微笑む。皆、同じ様な経験があるだろう。
「どっちの子の家も私のことを気にしてくれていたようで、よくお家に呼ばれて遊んだり、お泊まりしたりしてました。二人とも伯母の家に泊まりにきて、従姉妹と四人で遊んだり、楽しかったです、そこにいる時だけは」
「そういえば、従姉妹も同じ小学校だったの?」
「いえいえ、従姉妹とは歳が離れてたんですよ。小学校と中学校が隣り合ってたんですけど、従姉妹は私が小学一年の時にはもう中学二年でした。七つ上なので」
「そうなんだ、その年頃での七つ上は相当お姉さんに感じるよね。従姉妹さんにしてみれば可愛い弟というか妹みたいな感じだったのかな」
「はい、大人になってからも何度か会ったんですけど、会う度に言ってました。“ほんと可愛い妹みたいで、あたしがずっとお世話してあげたんだから”って。嬉しそうに言ってくれてたので、私も嬉しかったです」
「いい関係だね、それは。従姉妹さんはわかってたのかな、あなたが性別違和を感じていて、心が女の子だっていうこと」
「たぶんわかっていたと思います。一度も男として扱われた記憶がないですし。私が高校に入った頃、従姉妹は結婚して関西に引っ越しちゃったんです。私は高校二年から一人暮らししてましたけど、従姉妹とはその頃も週末は伯母の家に帰ってきていて、私も頻度は少なくなりましたけど、それでも月に二、三回は伯母の家に行ってましたから、その度に従姉妹からからかわれてましたね、“なに男みたいな格好してんのよ”って」
「そこまで話せる仲だったんだね、ほとんど姉弟みたいな関係性だったんだろうなぁ。その頃、本当のって言ったらあれだけど、お母さんやお姉さんとは会ってたの?」
「会ってないです。そのために家を出たので」
「なるほどね。じゃあちょっと話を戻しましょう。小学校では仲良しの女の子たちといい関係で楽しく過ごせていたわけよね。周りの他の生徒から何か反感を買ったとか、そういうことは無かったの?」
「ありました」
誰もが経験があることだとは思うが、小学生になると大抵は男子、女子に行動が分かれ、それは授業など学校生活そのものだけでなく、遊び相手にしても話し相手にしても、全ての場で影響してくる。
そういう環境下で、男の子が女の子と仲良くしていれば“なんだよあいつ、女とばっかり仲良くして”という声が出てくるものだ。
私のことを入学前から知っている男の子は、私が女の子寄りの性格、性質だとわかっているので特に何も思わなかったのだと思うが、入学してから知り合った他の男子の中には、いつも女の子と一緒にいる私を面白くなく思っている奴も多かった。まして女の子たちもただ私と話をしたり一緒にいたりするだけではなく、男子に何かされたとか喧嘩した、意地悪なことをされたなどがあると、真っ先に私に言ってきた。私は問題の男子のところへ行き、話をするなり、怒るなりして問題解決をするというのがいつもの流れになっていた。
そういう様を見て先生達は私のことを正義感があるとか、優しいと言って褒めてくれた。私自身は特別なことをしたという意識はなく、悪いことは悪いと言っただけだし、女の子を虐めたり、女だからといって卑下されたり、嫌がらせをされるということ自体、許せなかっただけだ。
「まぁ先生達から見れば女の子を守ってるっていう感じに映ったんでしょうね。私自身は自分も女子のつもりでいたから、仲間を守ったみたいな感覚だったんですけど」
「そうだよねぇ。たぶん、その当時はまだ性別違和っていう概念や症状自体、一般的なものじゃなかったから、先生達もそういう認識がなかったと思うのよ」
「そうですよね」
「となると、他の男子からするとあなたって凄く女の子に人気がある風に映ってたんじゃないの?」
「はい。だから妬みとかやっかみだったんですよね」
「うん、そうだと思うよ。あなた自身も嫌がらせとか虐めとか受けたりしたの?」
「そうですね、ピークは小学校五年生の一年間でした。同じ学年のほぼ全員から無視されて、一部の男子からは殴る蹴るの暴行を毎日受けてました」
「そうだったのねぇ。辛い記憶だと思うんだけど、その頃のこと、もう少し詳しく話してくれる?」
この話をする時が来た。
硬く閉ざした心の扉の一番奥へ仕舞い込んでいた虐めの記憶。
この話をするには、先にあることを話しておかなければならない。
「はい、大丈夫です。でもその前に、小学校三年の頃の話をしないとわからないと思うので・・・」
「そうなのね、じゃあそのことから聞かせてくれる?」
「小学校三年の時に性教育の授業があったんです」
性別違和と性自認、自分自身が他の人とは違うと明確に認識した生々しい記憶。
少し後ろの椅子に座った彼女を見ると、涙で潤んだ瞳を私に向けたまま、ゆっくり頷いた。
先生は黙って、私が続けるのを待ってくれた。
「私、その頃から立ってトイレすることができなかったんです」