バイクをトランジッションに置き、真っ先にトイレに向かう。
そしてボトルに残った水分を全て飲み干し、さ、食べようかなと思っていた補給食は熱と陽射しでダメになっていた。
予想外で、これはやばいかもと焦る。
あるだけポケットに積み、フルマラソンスタートする。
目標は5時間!
「このまま押しきってやる!」
と決意したのはいいが、ブリックトレーニングしていた時のように全然息切れが収まらない。
いきなり歩きだす。
気温30度湿度90%。
考えたくない条件でスタートしていたのはその時知らなかった。
後ろからスーパーマンクラブの秋吉じいちゃんが私に追い付いてきて
「田守くん、私は去年18kmまで歩いたよ。それにしても暑いねー」
とあっさり抜かれてしまう。
暑いのが苦手なのはわかってたがここまで苦しいとは。
エイドでアクエリアスや水、コーラ、塩、バナナ全てとる。
濡れたスポンジを大量に頭や首にかける。
全然走れない。
身体がゆうことをきかない。
中にはコースを外れて日陰の歩道を行く人もいた。
とうとうエイドで倒れてる人を見た。
ようやく5km。
ほとんど歩いてるくせに息が切れてる。
それでも島の人たちの「ワイドー」「がんばれ!」
の声援は続く。
首や肩周りがジリジリ痛い。
ガソリンスタンドのおじちゃんがおいでとか言うから近づくと洗車の水を当ててきた。
勢いありすぎて目が覚めた。
ランニングコースはずっと登り坂と下り坂で平地が少ない。
このコースをサブ3する人は相当すごいなと思いながら進む。
5時間とかこりゃ無理だと思い、折り返しを終えてゴールに向かうトップ集団は足取りがそれほど速くなく暑さに苦しめられてるみたいだった。
8km過ぎても一向に陽射しが弱まらない。
下を向いて歩くと、後ろからお尻を突っつかれる。
誰だよこのきつい時にと思って振り向いたら
ダチョウだった。
びっくりして100m走れた。
脱走したみたいだった。
エイドで水を被りまくって補給してたら左足の甲や裏が痛くなってきた。
10km過ぎてブチっと音とともに靴擦れが起きた。
どうやら水分が靴に染み込み皮膚がふやけて膨張して擦れて靴擦れが起きたみたいだった。
めちゃくちゃ痛い。
歩いては走ってはの繰り返しでさらに走りにくくなってしまった。
ゆっくり歩いてると折り返したスーパーマンクラブの直江さんとすれ違い
「田守くん!頑張ろう!」と言われまた走り始めた。
4時を過ぎても陽射しは強く、痙攣を起こした者、嘔吐してる者、途方にくれて座り込む者など想像を絶する光景が広がったが前に進まねばならなかった。
暑くてたまらなくて、頭がぼーっとした。
折り返しですれ違うメガネで水色のウェアは伸夫くんだ。
「いけるって!」
背が高くてスライド大きくサンバイザーつけてすれ違うのはくーまくんだ。
「まだまだ!」
小さな身体ですいすい進んですれ違う女性はのりこさんだ。
「がんばれ!」
ワンポイントのお花を頭につけてすれ違うのははやのちゃんだ。
「ゴールでみんな待ってるよ!」
そんなこと考えながら痛みと暑さに耐えていた。
21km前急坂を下ったら、ばんからな男たちが西城秀樹のYMCAを踊っていた。
折り返してこの坂登りたくないなぁと思った。
やっとハーフ通過したら3時間もかかってしまった。
後半分!と思いながらゴールに向かう。
折り返してすれ違うとまだまだ自分の後ろに人がいると思うとなんか安心した。
そこでなぜか折り返しに向かう秋吉じいちゃんとすれ違った。
あれ?いつの間に私抜いたのだろ。
それから岩井社長や、前年度の宮古島トライアスロンで落車してリタイヤしてリベンジに燃える毛利さんがいた。
折り返して進んでいるとさすがに陽射しはなく辺りはだんだんと夕焼けから夜に向かっていた。
一番しんどい急坂を登り始めたらYMCA軍団は疲れたのか踊っていなく、
「お疲れ様でした」
みたいな感じになってて笑ってしまった。
急坂を登り終わるとスーパーマンクラブの池田さんが座り込んでいた。
「大丈夫ですか?」
と声をかけると股関節を痛めているみたいだった。
池田さんは翌週の石垣島トライアスロンも参加するようなので心配だった。
「田守さん、私のことはいいから先に行ってゴールしてくれ」
と言われた。
「池田さん絶対ゴールしましょう!」
と言い進みだす。
足は痛いが進む。
辺りは暗くなり、エイドには氷がなくなっていた。
水分を取りすぎたのかトイレが近い。
トイレに三回も行き、ゴールを目指す。
28km地点を過ぎると後ろ走ってるおじちゃん選手が
「まだ28kmか。なんとか30kmにしてもらえんかの!」とか言い出す。
ツッコミたくなった。
薄暗くても宮古島の人たちの声援は途切れない。
30kmのチェックポイント通過したらUSTREAMの放送が関門時刻を知らせてる。
七時過ぎた。
俺は絶対行ける!
もう歩いて走れない人もみんなでゴールしたい。
そんな気持ちだった。
35kmチェックポイント過ぎて、いよいよ市街地に入る。
宮古島に花火がうち上がる。
ゴール関門一時間前の合図だ。
目の前を懸命に走る女性に応援の人たちが並走。
「○○ちゃん!ゴールはもうすぐよ!」
と声をかけてる。
あ、もうすぐか…
と思ってもなかなかゴールに着かない。
「おかえりー!」
「よくがんばったー!」
「待ってたよー!」
と声援が大きくなるにつれ、あかりが大きくなってきた。
ゴールの陸上競技場が見えた!
いきなり歩道から酔っぱらったおじさんが缶ビール持ってきてコースに入ってきた。
「完走おめでとう!おじさんと乾杯しよう!」
と言われるが笑顔で丁重にお断り。
人だかりの中陸上競技場の中に入る。
ゲストハウスのおじさん、おばさん、応援団のみんな、うっちーとトラックを走る。
大歓声の中、アナウンスされみんなでゴール!!
「足の裏が痛い」
と言いながら完走メダルとフィニッシャータオルをかけられる。
写真を撮られまくって、うっちーと健闘をたたえあう。
次々とゴールしてくるアナウンスが流れる。
夜空を仰ぎながらスーパーマンクラブのメンバーが呼ばれていく。
そして、最終関門の8時30分のカウントダウンのアナウンス後全日本宮古島トライアスロン大会は終了した。
13時間16分の激闘でした。
そしてボトルに残った水分を全て飲み干し、さ、食べようかなと思っていた補給食は熱と陽射しでダメになっていた。
予想外で、これはやばいかもと焦る。
あるだけポケットに積み、フルマラソンスタートする。
目標は5時間!
「このまま押しきってやる!」
と決意したのはいいが、ブリックトレーニングしていた時のように全然息切れが収まらない。
いきなり歩きだす。
気温30度湿度90%。
考えたくない条件でスタートしていたのはその時知らなかった。
後ろからスーパーマンクラブの秋吉じいちゃんが私に追い付いてきて
「田守くん、私は去年18kmまで歩いたよ。それにしても暑いねー」
とあっさり抜かれてしまう。
暑いのが苦手なのはわかってたがここまで苦しいとは。
エイドでアクエリアスや水、コーラ、塩、バナナ全てとる。
濡れたスポンジを大量に頭や首にかける。
全然走れない。
身体がゆうことをきかない。
中にはコースを外れて日陰の歩道を行く人もいた。
とうとうエイドで倒れてる人を見た。
ようやく5km。
ほとんど歩いてるくせに息が切れてる。
それでも島の人たちの「ワイドー」「がんばれ!」
の声援は続く。
首や肩周りがジリジリ痛い。
ガソリンスタンドのおじちゃんがおいでとか言うから近づくと洗車の水を当ててきた。
勢いありすぎて目が覚めた。
ランニングコースはずっと登り坂と下り坂で平地が少ない。
このコースをサブ3する人は相当すごいなと思いながら進む。
5時間とかこりゃ無理だと思い、折り返しを終えてゴールに向かうトップ集団は足取りがそれほど速くなく暑さに苦しめられてるみたいだった。
8km過ぎても一向に陽射しが弱まらない。
下を向いて歩くと、後ろからお尻を突っつかれる。
誰だよこのきつい時にと思って振り向いたら
ダチョウだった。
びっくりして100m走れた。
脱走したみたいだった。
エイドで水を被りまくって補給してたら左足の甲や裏が痛くなってきた。
10km過ぎてブチっと音とともに靴擦れが起きた。
どうやら水分が靴に染み込み皮膚がふやけて膨張して擦れて靴擦れが起きたみたいだった。
めちゃくちゃ痛い。
歩いては走ってはの繰り返しでさらに走りにくくなってしまった。
ゆっくり歩いてると折り返したスーパーマンクラブの直江さんとすれ違い
「田守くん!頑張ろう!」と言われまた走り始めた。
4時を過ぎても陽射しは強く、痙攣を起こした者、嘔吐してる者、途方にくれて座り込む者など想像を絶する光景が広がったが前に進まねばならなかった。
暑くてたまらなくて、頭がぼーっとした。
折り返しですれ違うメガネで水色のウェアは伸夫くんだ。
「いけるって!」
背が高くてスライド大きくサンバイザーつけてすれ違うのはくーまくんだ。
「まだまだ!」
小さな身体ですいすい進んですれ違う女性はのりこさんだ。
「がんばれ!」
ワンポイントのお花を頭につけてすれ違うのははやのちゃんだ。
「ゴールでみんな待ってるよ!」
そんなこと考えながら痛みと暑さに耐えていた。
21km前急坂を下ったら、ばんからな男たちが西城秀樹のYMCAを踊っていた。
折り返してこの坂登りたくないなぁと思った。
やっとハーフ通過したら3時間もかかってしまった。
後半分!と思いながらゴールに向かう。
折り返してすれ違うとまだまだ自分の後ろに人がいると思うとなんか安心した。
そこでなぜか折り返しに向かう秋吉じいちゃんとすれ違った。
あれ?いつの間に私抜いたのだろ。
それから岩井社長や、前年度の宮古島トライアスロンで落車してリタイヤしてリベンジに燃える毛利さんがいた。
折り返して進んでいるとさすがに陽射しはなく辺りはだんだんと夕焼けから夜に向かっていた。
一番しんどい急坂を登り始めたらYMCA軍団は疲れたのか踊っていなく、
「お疲れ様でした」
みたいな感じになってて笑ってしまった。
急坂を登り終わるとスーパーマンクラブの池田さんが座り込んでいた。
「大丈夫ですか?」
と声をかけると股関節を痛めているみたいだった。
池田さんは翌週の石垣島トライアスロンも参加するようなので心配だった。
「田守さん、私のことはいいから先に行ってゴールしてくれ」
と言われた。
「池田さん絶対ゴールしましょう!」
と言い進みだす。
足は痛いが進む。
辺りは暗くなり、エイドには氷がなくなっていた。
水分を取りすぎたのかトイレが近い。
トイレに三回も行き、ゴールを目指す。
28km地点を過ぎると後ろ走ってるおじちゃん選手が
「まだ28kmか。なんとか30kmにしてもらえんかの!」とか言い出す。
ツッコミたくなった。
薄暗くても宮古島の人たちの声援は途切れない。
30kmのチェックポイント通過したらUSTREAMの放送が関門時刻を知らせてる。
七時過ぎた。
俺は絶対行ける!
もう歩いて走れない人もみんなでゴールしたい。
そんな気持ちだった。
35kmチェックポイント過ぎて、いよいよ市街地に入る。
宮古島に花火がうち上がる。
ゴール関門一時間前の合図だ。
目の前を懸命に走る女性に応援の人たちが並走。
「○○ちゃん!ゴールはもうすぐよ!」
と声をかけてる。
あ、もうすぐか…
と思ってもなかなかゴールに着かない。
「おかえりー!」
「よくがんばったー!」
「待ってたよー!」
と声援が大きくなるにつれ、あかりが大きくなってきた。
ゴールの陸上競技場が見えた!
いきなり歩道から酔っぱらったおじさんが缶ビール持ってきてコースに入ってきた。
「完走おめでとう!おじさんと乾杯しよう!」
と言われるが笑顔で丁重にお断り。
人だかりの中陸上競技場の中に入る。
ゲストハウスのおじさん、おばさん、応援団のみんな、うっちーとトラックを走る。
大歓声の中、アナウンスされみんなでゴール!!
「足の裏が痛い」
と言いながら完走メダルとフィニッシャータオルをかけられる。
写真を撮られまくって、うっちーと健闘をたたえあう。
次々とゴールしてくるアナウンスが流れる。
夜空を仰ぎながらスーパーマンクラブのメンバーが呼ばれていく。
そして、最終関門の8時30分のカウントダウンのアナウンス後全日本宮古島トライアスロン大会は終了した。
13時間16分の激闘でした。