魚肉入り☆彡恋のぼり

福岡市天神にある、鍼灸指圧 マッサージ 「タモリマッサージ」の店長日記です。 twitter junitylow

全日本宮古島トライアスロン参戦記(走)

2012-04-19 09:22:01 | Weblog
バイクをトランジッションに置き、真っ先にトイレに向かう。
そしてボトルに残った水分を全て飲み干し、さ、食べようかなと思っていた補給食は熱と陽射しでダメになっていた。
予想外で、これはやばいかもと焦る。
あるだけポケットに積み、フルマラソンスタートする。
目標は5時間!
「このまま押しきってやる!」
と決意したのはいいが、ブリックトレーニングしていた時のように全然息切れが収まらない。
いきなり歩きだす。
気温30度湿度90%。
考えたくない条件でスタートしていたのはその時知らなかった。
後ろからスーパーマンクラブの秋吉じいちゃんが私に追い付いてきて
「田守くん、私は去年18kmまで歩いたよ。それにしても暑いねー」
とあっさり抜かれてしまう。
暑いのが苦手なのはわかってたがここまで苦しいとは。
エイドでアクエリアスや水、コーラ、塩、バナナ全てとる。
濡れたスポンジを大量に頭や首にかける。
全然走れない。
身体がゆうことをきかない。
中にはコースを外れて日陰の歩道を行く人もいた。
とうとうエイドで倒れてる人を見た。
ようやく5km。
ほとんど歩いてるくせに息が切れてる。
それでも島の人たちの「ワイドー」「がんばれ!」
の声援は続く。

首や肩周りがジリジリ痛い。
ガソリンスタンドのおじちゃんがおいでとか言うから近づくと洗車の水を当ててきた。
勢いありすぎて目が覚めた。
ランニングコースはずっと登り坂と下り坂で平地が少ない。
このコースをサブ3する人は相当すごいなと思いながら進む。
5時間とかこりゃ無理だと思い、折り返しを終えてゴールに向かうトップ集団は足取りがそれほど速くなく暑さに苦しめられてるみたいだった。

8km過ぎても一向に陽射しが弱まらない。
下を向いて歩くと、後ろからお尻を突っつかれる。
誰だよこのきつい時にと思って振り向いたら
ダチョウだった。
びっくりして100m走れた。
脱走したみたいだった。

エイドで水を被りまくって補給してたら左足の甲や裏が痛くなってきた。
10km過ぎてブチっと音とともに靴擦れが起きた。

どうやら水分が靴に染み込み皮膚がふやけて膨張して擦れて靴擦れが起きたみたいだった。

めちゃくちゃ痛い。
歩いては走ってはの繰り返しでさらに走りにくくなってしまった。
ゆっくり歩いてると折り返したスーパーマンクラブの直江さんとすれ違い
「田守くん!頑張ろう!」と言われまた走り始めた。
4時を過ぎても陽射しは強く、痙攣を起こした者、嘔吐してる者、途方にくれて座り込む者など想像を絶する光景が広がったが前に進まねばならなかった。
暑くてたまらなくて、頭がぼーっとした。




折り返しですれ違うメガネで水色のウェアは伸夫くんだ。
「いけるって!」
背が高くてスライド大きくサンバイザーつけてすれ違うのはくーまくんだ。
「まだまだ!」
小さな身体ですいすい進んですれ違う女性はのりこさんだ。
「がんばれ!」
ワンポイントのお花を頭につけてすれ違うのははやのちゃんだ。
「ゴールでみんな待ってるよ!」




そんなこと考えながら痛みと暑さに耐えていた。
21km前急坂を下ったら、ばんからな男たちが西城秀樹のYMCAを踊っていた。
折り返してこの坂登りたくないなぁと思った。

やっとハーフ通過したら3時間もかかってしまった。
後半分!と思いながらゴールに向かう。
折り返してすれ違うとまだまだ自分の後ろに人がいると思うとなんか安心した。
そこでなぜか折り返しに向かう秋吉じいちゃんとすれ違った。
あれ?いつの間に私抜いたのだろ。
それから岩井社長や、前年度の宮古島トライアスロンで落車してリタイヤしてリベンジに燃える毛利さんがいた。

折り返して進んでいるとさすがに陽射しはなく辺りはだんだんと夕焼けから夜に向かっていた。
一番しんどい急坂を登り始めたらYMCA軍団は疲れたのか踊っていなく、
「お疲れ様でした」
みたいな感じになってて笑ってしまった。
急坂を登り終わるとスーパーマンクラブの池田さんが座り込んでいた。
「大丈夫ですか?」
と声をかけると股関節を痛めているみたいだった。
池田さんは翌週の石垣島トライアスロンも参加するようなので心配だった。
「田守さん、私のことはいいから先に行ってゴールしてくれ」
と言われた。
「池田さん絶対ゴールしましょう!」
と言い進みだす。
足は痛いが進む。
辺りは暗くなり、エイドには氷がなくなっていた。
水分を取りすぎたのかトイレが近い。
トイレに三回も行き、ゴールを目指す。
28km地点を過ぎると後ろ走ってるおじちゃん選手が
「まだ28kmか。なんとか30kmにしてもらえんかの!」とか言い出す。
ツッコミたくなった。

薄暗くても宮古島の人たちの声援は途切れない。
30kmのチェックポイント通過したらUSTREAMの放送が関門時刻を知らせてる。
七時過ぎた。
俺は絶対行ける!

もう歩いて走れない人もみんなでゴールしたい。
そんな気持ちだった。

35kmチェックポイント過ぎて、いよいよ市街地に入る。

宮古島に花火がうち上がる。
ゴール関門一時間前の合図だ。
目の前を懸命に走る女性に応援の人たちが並走。
「○○ちゃん!ゴールはもうすぐよ!」
と声をかけてる。
あ、もうすぐか…
と思ってもなかなかゴールに着かない。

「おかえりー!」
「よくがんばったー!」
「待ってたよー!」

と声援が大きくなるにつれ、あかりが大きくなってきた。
ゴールの陸上競技場が見えた!

いきなり歩道から酔っぱらったおじさんが缶ビール持ってきてコースに入ってきた。
「完走おめでとう!おじさんと乾杯しよう!」
と言われるが笑顔で丁重にお断り。

人だかりの中陸上競技場の中に入る。
ゲストハウスのおじさん、おばさん、応援団のみんな、うっちーとトラックを走る。
大歓声の中、アナウンスされみんなでゴール!!

「足の裏が痛い」
と言いながら完走メダルとフィニッシャータオルをかけられる。
写真を撮られまくって、うっちーと健闘をたたえあう。
次々とゴールしてくるアナウンスが流れる。
夜空を仰ぎながらスーパーマンクラブのメンバーが呼ばれていく。
そして、最終関門の8時30分のカウントダウンのアナウンス後全日本宮古島トライアスロン大会は終了した。
13時間16分の激闘でした。

全日本宮古島トライアスロン参戦記(バイク)

2012-04-19 09:21:39 | Weblog
8時30分前にロードバイクで前浜を出て池間大橋を目指す。
トランジッションで日焼け止めやワセリンをたっぷり塗ったのに、首がなぜかヒリヒリする。
タイムを見ようと時計を見たら9分40秒で止まってる。
多分バトルに巻き込まれた時停まってしまったのだろう。

風も穏やかで進むのが楽だ。
途中今朝の食堂のおばちゃんが見えて手を降った。
エイドのボランティアの中学生は大声で
「コーラありますよ!」
「アクエリアスありますよ!」
「お水ありますよー」
と言っていた。
本当にありがたかった。
スピードを上げて通過するロードバイクにタイミングよくボトルや濡れたスポンジを渡していく。
中学生たちはこの日のために練習をしていたそうだ。
各エイド前にボトル回収ボックスがあるが、私のボトルはなかなか減らなかったので通過していた。
前半登りもほとんどなくあっという間に池間大橋に着く。
池間大橋から見る海は絶景で素晴らしかった。
先頭集団はものすごい速さですれ違う。
島尻集落に向かうくらいにノってきて、
自分のロードバイクより高い高級ロードバイクを抜くのが快感になっていた。
しかし、脚力ある人はあまり関係なく速い。
集落手前でホイールが大破して歩道で立ち尽くす選手がいた。
比嘉ロードパークを過ぎ、登りと下りが続き、下りはDHバーを握りノーブレーキで下りる。
そのものすごいスピードの中足をまわして下りる人も居た。
私はランニングのために足を残しておこう!
目指すは東平安名岬の灯台。
このあたりからトイレに行きたくなった。
10時を過ぎて太陽が登り始めた時の陽射しがきつく
「これはやばい、ランニングの時相当暑くなるぞ」
と思い、バイクステージで本気出して時間稼がないと間に合わないかもと軌道修正をした。
残り95kmその時は60km地点を過ぎていた。
東平安名岬では獅子舞みたいな躍りをして応援してる人たちがいた。
トイレもあったが時間稼ぎしたいから自転車降りたくないと思いさらに進んだ。
東平安名岬から来間大橋に向かう道のりは大変だった。
まず向かい風が強くてアベレージ25kmついに切ってしまった。
そして強烈な登り坂が2つあり、選手たちを苦しめた。
「誰だよ宮古島は平地しかないから楽と言ったのは…」
とボソッと言ってしまいそうになった。
来間大橋を過ぎ一周100kmを関門時間12時50分より一時間ほど早く通過。
この辺からサドルで股関を圧迫され違和感を感じた。ついでにトイレも行きたい。
スペシャルドリンク一つ目をエイドで貰った時は皆疲れていたのか周りはバイクから降りて補給していた。
残り半周、陽射しは容赦なく襲いかかる。
二度目の池間大橋は景色を見る余裕はなかった。
早く宮古島陸上競技場に行かないといけない。
道路には落ちたボンベなどいろんなものがあり、集中力途切れて踏んだら落車の危険もあった。

そしてとうとうバイクフィニッシュを迎えた時はバイクタイム6時間を切っていて嬉しかった。
つづく…

全日本宮古島トライアスロン参戦記(泳まで)

2012-04-18 16:53:54 | Weblog
朝3時に起きてうっちーと食堂に向かい食事をとる。ご飯おかわりしてしまう。ゲストハウスに戻り、荷物をまとめていよいよ前浜ビーチに向かう。
朝5時というのに気温27度。
最終受付を済ませ腕にゼッケンナンバーと、袋わけした荷物を預ける。
バイクを預けたとこに向かい、補給食2つをトップチューブに輪ゴムで留めて、アミノバリューと高カロリー流動食をボトルに入れた。
トイレ待ちが多かったが早めにトイレを済ませ、もう一度バイクトランジッションを点検してから、ウエットスーツに着替えた。
そこで同じ福岡で山笠に出てる人と出会い共に頑張ろうと誓った。
そして河原選手とすれ違い「頑張りましょう!」
と言われた。


決戦となる海は3kmで1700mを50分で通過しないとリタイヤになってしまう。
軽く試泳をすると、前日の夕方と違い泳ぎやすい。
浜に上がりスタート地点に向かう。
テントの中で白い袴着たおばちゃんがナムナム言ってた。
水難事故がないようにと祈っていたのだろう。
スタート地点には1470人のウエットスーツを着た集団が居て異様だった。
放送で福岡から来た人が代表して
「皆さん絶対完走するぞー!」
みたいなこと行って鼓舞した。
スターターは朝の連ドラに出てる夏菜さんがつとめ、一斉に海に入る。
いよいよ長い戦いの始まりだ。
私は作戦通りインコースをとろうとするが行かせてくれない。
そして、いつまで経っても足が着いてる。

ようやく足が着かないとこでスイム開始。
案の定バトルに巻き込まれる。
今日は怒らない。
それ覚悟で来てるから。
中にはインコース過ぎてコースから外れて泳ぐ者も居た。
最短すぎるやろ(笑)
600mをあっという間に過ぎていよいよ逆潮が待ってるとこに来た。
うわ、進まねー。
と思いながらバトルの中突き進む。
ずっと底が見えて、魚たち、珊瑚などシュノーケルしてる感覚になってた。

そして、ダイバーも中に居て海底から手を振ってくれたらなぜか逆潮の心配も吹っ飛んだ。

各フロートには距離が表示されていて、1700mまで潮に耐えていた。

漸く1700m地点を過ぎてヘッドアップして方向転換した時これで絶対完走できると思った。

そのまま流れに乗って浜に向かうが波でまた船酔いみたいになってた。
海上から左に寄ってくださいと指示があり、左に寄るとやがて足が着き浜を走ってシャワーのとこに向かおうとするが、バットにおでこつけて30回回ったみたいにくらくらして走れず歩いて向かった。
途中「がんばったねー」
「おかえりなさい」
の声は嬉しかった。
ウエットスーツを脱いでトライスーツになり
シャワーで潮を流し、走って着替えるとこに向かう。普段やらないのに嬉しくてボランティアの学生とハイタッチしながらトライスーツに着替え、バイクの準備をした。
そして軽く補給して、バイクパンツに補給食を詰め込みバイクステージに出撃。
12分かかってしまった。

つづく…

全日本宮古島トライアスロン戦記( 序)

2012-04-18 16:09:12 | Weblog
ストロングマンテキストが届き、スイムステージで潮の流れが逆とわかり、スポーツジムで上半身を鍛え、最短で行くため水中プロレスに挑むことを決めた。

4月13日。
宮古空港に到着してすぐ強烈な陽射しと湿気と気温が迎えてくれた。
正午すぎに受付を済ませ、昼食は宮古牛を食べに行った。
そのあとお世話になるゲストハウスに行くと、隣部屋で同じ福岡からロングディスタンストライアスロン初参戦のうっちーと出会う。彼は細身で暑さに強い水泳部出身。
共に頑張ろうと誓い、到着しているロードバイクを組み立てた。
それからワイドーパーティに向かう。
大きなテーブルに大きなケーキがあり、各テーブルにはオードブルや寿司やサンドイッチなど並べられている。
競技説明の後、「まだかまだか」と食べれるのを待つ選手たち。
前年度優勝の河原選手の選手宣誓は感極まって泣いていた。
「がんばれ!」
と遠くから声かけるのもいた。
漸く乾杯音頭をとったときにはみんな食べ尽くし飲み尽くしてました。
帰りはタクシーでゲストハウスに戻る時前方にライトも点けないで進むロードバイクを発見。
危ないなー
と思ったら、ワイドーパーティから帰るうっちーでした。
ゲストハウスの居間でうっちーと作戦会議。
彼は分刻みで通過地点をシュミレーションしていた。そしてその日は就寝。

4月14日
朝早く目覚めてそのままロードバイクに乗り、前浜ビーチに向かう。
昨日と違い雲で空を被われ、涼しく気持ちよい1日になりそうだった。
今日トライアスロンやればいいのにと思った。
本番前日なのでゲストハウスで持ち物チェック。
足りないものがちらほら。昼食はてんぷらを食べに行くつもりが閉まっててファミレスで定食を食べた。
その足でサイクルショップくるくるに向かいCO2ボンベを買いに行くが既に宮古島にあるボンベは売り切れたとのこと。
それからスペシャルドリンクポイント地点2ヵ所に置くためにドラッグストアでカロリーメイトのゼリーを二個買い、再び前浜ビーチに向かった。
早速ウエットスーツに着替えて試泳をした。
50m以上行かないと足着かない地点であり、凄い逆潮、浜に戻る波で結構船酔いみたいになった。
シャワーを浴びてたら、宮古島トライアスロン参戦するスーパーマンクラブの有村さんから「壮行会があるから来ないか?」
と電話があり、その店に向かう。
到着したら既に各自自己紹介や宮古島トライアスロン参戦の想いを述べていた。
食事はやはり前日ということでカーボローディングのためか炭水化物が多めだった。
宮古そばやおにぎりを食べていた。
最後岩井社長の挨拶で
「明日は6年ぶりの逆潮です。スイムで足を切られないよう何がなんでも1700m地点を50分以内に通過してください。宮古島は制限時間に厳しいです。容赦なく切っていきますから」
と言われ、大丈夫かなと不安になるが、ま、なんとかなるだろうと思った。
それからゲストハウスに戻り、うっちーと最終点検して就寝。
10時に寝て翌日3時に起きて決戦の日を迎えるのであった。

初めての落車

2012-04-10 21:15:21 | Weblog
前日の激しい雨が嘘のようにあがり、自主トレをしようと普段履かないタイツを履き、ロードバイクを乗り糸島を目指す。
以前教えて貰った糸島の練習コースはアップダウンがきつく練習にはもってこい。
市街地を抜け、そこからアベレージキロ25キロ以上で糸島に到着。
新しい決戦ホイールで糸島に来たのは初めてでわくわくした。
いつも通りのヒルクライムはなんかペダリングが少し楽になったかなと思った。頂上から一気に下ろうと、下ドロップを握り下り始めた。
路面が濡れてるせいか妙にグリップに違和感を感じてた。
下りのカーブをギリギリ曲がりきってしまった。
まずい…………
次のカーブ曲がりきれないかもしれない。
減速を試みるがスピードが落ちない。
後輪はロックされ、流れ始めた。
ガードレールが近づき、その向こうは空だ。
もうだめだ。
ぶつかる前に身体を投げ出し全身擦り傷になるか、どうなるかわからんが当たりに行くか…
決めた。
一か八か当たりに行こう。
ホイールから当たると修理額が高くなる。
ならハンドルから当たってやれ!
とここまで5秒かからず考えた。
そして、時速40kmでガードレールに体当たりした。
ビンディングペダルが外れ、私の身体がガードレールを飛び越え投げ出された。

目の前に空の視界が映り、もうだめかと初めて思った。
気づいたら畑に着地してた。
上のほうで後輪のラチェット音がチチチチ聞こえる。
わけがわからずその方向へ向かった。
身体よりロードバイクのほうを心配してる自分がいた。
左ハンドルから突っ込み、バーテープが破れ衝撃で右ハンドルが曲がってた。
ふとガードレールを見たら白いガードレールが真っ赤に染まっていた。
身体の関節を恐る恐る動かしてみた。
全て一通り動く。
よし、折れてないかも。
すると血が出てるとこが飛び込んできた。
握ってた左ハンドルの指にガードレールの先が刺さったような傷。
内出血と共にぐちゃぐちゃになってた。
タイツは破れ右ハンドルが大腿部に刺さり挫傷。
そのままロードバイクを押して下る。
このまま血が止まらなかったらヤバいと思い、誰でもいいからSOSを求めようと出会ったおじさんに事情を説明した。
「病院どこですか?」
と聞くと
「近くにない。酷い傷だね」
と言われる。
おじさんはお花を育ててるといい、そのビニールハウス近くで奥様が包帯やタオルを持ってきてくださり止血し、傷口を洗い、ヨモギの汁で応急処置。
おじさんに
「家はどこだ?」
と聞かれ中央区と答えると乗せて行ってやると言われ、本当に嬉しかった。
まさに地獄に仏だ。
とりあえず連絡とれそうな友人に連絡し、帰宅した。
タイツを脱ぐと脛骨あたりの傷がひどく穴があいて肉と骨が剥き出しになってた。
くっつくかな?
と不安になったが、皮膚を寄せて蓋を閉めるようにモイストヒーリング療法でケアをした。
ところが、興奮してるせいか痛みが全くない。
昼過ぎから仕事の予約があったので病院行くよりも仕事を選んだ。

その夜必ず痛み出てくるので予め痛み止を買っておいた。
案の定出てきたから投薬。普段薬飲まないからとても効いた。

翌日至るところに青アザができていた。

3週間患部の治療を自分でやり続けなんとかくっついた。
我ながら回復力だけは自信あるのだ。

おじさんから別れ際
「宮古島トライアスロン完走してきてね」
と言われたのを思い出す。
4月15日自分のなかで新しい歴史が刻まれる。