魚肉入り☆彡恋のぼり

福岡市天神にある、鍼灸指圧 マッサージ 「タモリマッサージ」の店長日記です。 twitter junitylow

アイアンマン台湾バイク

2012-11-13 16:47:58 | Weblog
バイクトランジッションを出る時は宮古島トライアスロン同様ものすごい応援だった。
中国語で「加油」ジャーヨー(頑張れ)と応援されながら最初の登り坂に向かう。あっという間に登り、すぐ下る。
バイクコースは2周半回コース。
アベレージ33~35kmあたりでスイスイ進む、はずが路面がとにかく悪い。
大きな穴や、ガタガタ道が所々ある。
普段は遠くを見ながらバイクを進めるが手前も見ないと危ない。
日本と違い車両は右側通行でいろんな国籍から右からも左からも抜きにかけられる。
集団走行したくて集団に入りたいがずっと少数縦長。
そして左からいきなり斜行され接触落車寸前。
声かけてくれよ。
本当に怖かった。
日本じゃありえないほどマナーが悪かった。
ヨーホーの前を過ぎた途端に向かい風が強くなりアベレージが30kmを切ってなかなか進まなくなってきた。コーナーを曲がったら急坂出現。
シッティングでグイグイ。そこからグイッと下りで住宅街に入る。
給水ポイントにアイアンマン台湾のロゴが入ったボトルをもらい、小さな勾配をさらに進む。

子供たちの声援の中2周目に入る。
後ろからイワイ社長に
「タモリさん足首のセンサー取れそうだよ」
と言われて抜かれた。
あれ?私もうバテちゃった?
と思いながら足首見たらぶらーん。
路肩停めてセンサー留めてイワイ社長を追っかける。
ヨーホー前で今度は宮古島の練習で世話になった和田さんに「よーっ!」と言いながら抜かれる。
慌てて巡航スピード上げる。
今度は横風が強くハンドルをとられる。
急坂を登りきったとこでイワイ社長をとらえる。
そこから和田さんも抜く。残り20kmの距離を切ったとこだ。
「身体でかい人がぬきまーす」
とイワイ社長が後ろから言ってくる。
完全に私を風避けにしてるんだな(笑)
残りはイワイ社長に追われてる感じで最後まで進んだ。
海浜公園のトランジッションでランニングの準備をする。
あーヘルメット被りながら出ようとしてる!
手袋はめながら出ようとしてる!
とモタモタしながら雲から顔を出す太陽に向かってランニングステージをスタートした。
つづく。

アイアンマン台湾スイム

2012-11-06 11:02:32 | Weblog
朝3時に目覚める。日本時間は4時。
テレビをつけたら去年のアイアンマン台湾のレース中継録画が朝からやってる。外は暗く、少し雨が降ってたようだ。
部屋のドアノブに朝食がぶら下がってて取って開けたら、中身はパン二個、バナナ二個、ゆで卵二個だった。
これだけでアイアンマンになれるかなと不安になり、おつまみに買ってたお菓子を食べた。
ラントランジッション、バイクトランジッションの荷物の最終チェックをした。
そして腕に薄紙でナンバーを透写させ、真っ暗な中バスに乗り込みスタート地点に向けて出発した。

到着してすぐナンバーチェックされると、多国籍の人たちがすでに大勢いた。
バイクトランジッションに向かい、DHバーにボトルセッティングしてアミノバリューを入れ、トップチューブにジェル3つを輪ゴムでくくりつけた。

ウエットスーツに着替えて、首や脇、股にワセリンを縫って、ベスパを飲んでスタート地点に向かった。
浜辺は薄暗く沖のブイはまだ見えない。
早速試泳をしようと水に入ると適温だった。
続々と浜辺に人が集まり、野良犬まで集まってきた。
明るくなりいよいよコース出現!
と思いきやブイもコースロープも見えない。
どこに向かって行けばいいのかと外国人に聞かれても答えられない。
先にスタートするエリート選手たちは皆さん左に寄るからみんなつられて寄る。スイムコースは400 100 400の二等辺三角形を2周する。
エリート達がスタートした途端にボートでセキュリティが配置される慌てよう。なんか不安になってきた。いつも通り後方スタートにしようと下がると池田先生や有村さんがいた。
同室の塩谷さんは先制しかけるから前にいってた。
スタート2分前、スイムのゴーグルが突然外れる。
池田先生に慌てて後ろを結んでもらった。
1分前。もうスタートしてました(笑)

1600人が一斉に海に入るとこは宮古島トライアスロンを思い出した。
海の透明度はほとんどなく、天草みたいにずっと緑。
生き物はちっちゃい海月以外何もいない。
しかし、恐怖は突然やってきた。
ほとんどのスイマーがフロッグなのだ。
突然足が私の鳩尾を一撃し、息ができなくなった。
波も高い。
波の下に潜って浮上したらフロッグに蹴られたり、スゴいバトルが始まった。
突然黄色のビキニ女性が現れたりして驚いたが、一周目は混戦できつかった。
ネックアップでブイを発見し、旋回したら沖も、うねっていた。
一周目が終わり、陸にあがると池田先生が居て、ほぼ同時だった。
2周目はばらけていたから泳ぎやすく思いっきりフリーで泳げた。
しかしコースロープがないものだからかなりの人はショートカットしてインチキしてるとこを見てしまった。
朝日が上り始めた頃に2周目は終わった。

すぐにシャワーに入りウエットスーツを脱いでると後ろからイワイ社長と渕野先生が追っかけてきて、
「あんな危ない海初めてだー」
って言ってた。
確かにいかに宮古島トライアスロンの海が泳ぎやすかったか、日本の海との違いを痛感した。
バイクトランジッションに向かいウエットスーツを袋に入れ、ジェルを1つ食べてバイクを押してバイクステージに向かった。

つづく

アイアンマン台湾序

2012-11-05 18:57:35 | Weblog
朝から嫌な気がした。
レンタル予定のウエットスーツが出発日まで到着しない。
港のセンターへタクシーで行きそのまま空港へ向かう。
一番遅いと思ったらそうでもなかった。
みんな輪行バックはシーコンのエアロコンフォート。私のは旧式レッドだから目立つ(笑)
見送りの皆さんに写真を撮ってもらい、グッドゥィルのイワイアイアンマンツアーが始まりました。
サプリメントたくさん持って行ったせいか税関で色々調べられたりしながらようやく出発。
客室乗務員は日本語ができる中華航空を利用しました。
洋画リンカーンを見ながら暫くすると、
「チキンオアビーフ?」
と聞かれ、チキンと答えるとフィッシュが出てきました。
食べ終わってビールを飲み続けてたら2時間半弱で台北空港到着。
台北は暑いと思ったら風が強く涼しかった。
バイクが無事到着してるか確認して、バイクはトラックに乗せられそのままホテルへ向かって行った。
グッドゥィルの担当者と合流し、昼食をもらう。
昼食はセブンイレブンのおにぎり二個とお茶。
それをみんなでそれはないわと言いながら桃園駅までバスで20分で行く。
そこから新幹線で高雄まで1時間40分で向かう。
新幹線は日本のにそっくりでした。
台中、台南と進むにつれ、みんな車内販売のビールを買っては飲み、到着まで車内販売のビールはとうとうなくなっちゃいました。
高雄到着してそこからバスで3時間弱。
もうあたりは薄暗くなってきました。
途中のトイレ休憩のコンビニでみんなビールとおつまみを買い込んでいました。そして8時半に到着。
受付兼ホテルであるヨーホーにはたくさんの人が居ました。
そこに私達は泊まりました。
すぐに食事をしたのですが一度に大勢客が集まり過ぎたのかあまり捌けてなかったです。
そして台湾の料理は旨いと聞いていたので期待してましたが残念な味でした。
カエルや鯰、変な色した鳥のスープに悶絶しました。
そして参加される皆さんと自己紹介をして、各部屋に行きました。
荷物をばらしてるうちにバイクが漸く到着してその日に組み立てました。
そして組み立て終わった人から部屋飲み会が始まり、気がついたら寝てました(笑)。
翌日風呂に入り朝食をとりに行きましたが恐る恐るでした。
バイキングだったので好きなものを食べたら普通でした。
それから朝ツアーバスに乗り、コースの下見をしに行きました。
まずは海へ向かうのですが、運転手さんは道は間違えるわ黄色のタクシーにぶつかりかけるわ危なっかしかったです。
ようやく海に到着。
スイムコースの隣は原発があるではないか!
みんなウエットに着替えてるが私は海パン一丁で海に入った。
風が強いせいか波が高い。みんな沖まで出るが私は適度なとこで引きかえそうとした。
沖から岸まで波乗りの感覚で行きました。
それからバイク、ランのコースに向かうのですがまた運転手は道を間違え、タクシーと当たりそうになったりして、みんなで帰ろうコールをして早めにヨーホーに到着。
そのときには登録が始まってるせいかいろんな国籍の人間が溢れてました。
エントリー完了してエキスポで色々買ってたらシーポのブースにダンディーでゴツいシーポの田中社長が居てシーポバイクの説明してました。

それからまた恐る恐る昼食をとりに行くと昼食は油っぽすぎる炒飯山盛りとオレンジジュースそれぞれおかわり自由。それのみ。

胃がパンパンになりながらバイクに乗ってトランジッションに向かう。
そこで初めて知る。
この道路はヤバいと。
去年とルートは変わったのは知ってるがガタガタすぎる路面だった。
バイクを預けてそこでツアーバスに乗り込みヨーホーに戻る。
夕方から日本語説明会があり、ウイットさんが上手い日本語でジョークを交えながら翌日のレース説明をしてくれました。
全1600人中280名が日本人だったようです。
説明会が終わり、夕食をとるとさっきの炒飯で胃がキリキリしてるせいかたくさん食べれなかった。
レースの日の朝食は去年酷いと言われてたから今年はマシになるのではないかと期待をしてたのかもしれない。
早めに消灯。
そして決戦の朝を迎えるのであった。
つづく。

九州脊梁トレイルランニング大会

2012-09-24 10:30:43 | Weblog
初めて参加してきました。
先週の小倉競馬場リレーマラソンで裸足で3周回ったら踵が痛くなり、1週間走らず水泳とロードバイクのみの調整でした。

前夜祭からUTMF関係者の六花先生とお酒を飲みながらトレイルランニングの話を聞けて充実してました。

レースのほうはやはり前日の雨のせいでトレイルがぬかるんでいました。

登りでは足が滑り踵で踏ん張ったら踵は痛みが走るわ膝が木の枝に擦って擦過傷になり一気に萎えた。

スキー場の坂が一番傾斜がありきつかったが、あとの山々はそれほどでもなかった。

しかし踵の激痛は下り坂でやってきて度々歩いていた。

結局35kmゆっくり完走できました。

補給食1つ消費と1.5kgのハイドレーション半分以上残って重かった(笑)

次戦まで踵をきちんと治そうと思いました。

フルマラソンよりちょいときついレースを九州で楽しみたい方にはオススメです!
ちからつきますよ!

秀ちゃんラーメン20 周年祭

2012-09-15 22:46:10 | Weblog

タモリマッサージのお隣の秀ちゃんラーメンが20周年というわけでそのパーティーに行ってきました。
各店舗の店長がスーツを着て案内してくださいました。
高島市長の挨拶から始まり、ラーメン協会の会長の挨拶や来られなかった芸能人のビデオレターなどおもしろかったです。
そして主役の秀さんの挨拶と、秀さんのお母さんに感謝状を送るとこはグッときました。
私の席の隣にはあやまんJAPANが居たり、DJのFPM田中さんが居たり、豪華な顔ぶれでした。
乾杯をして席をまわりましたがやはりラーメン屋の社長さんばかりでした。
なかなかマッサージ屋さんは居ませんよね(笑)
素晴らしい式典でした。
私もこれからももっと頑張ろうと思いました。

新事業

2012-09-11 17:06:47 | Weblog
ご無沙汰しております。
祖父の死後色々今後のこと考えておりました。
そして、私も新事業を立ち上げることができました。
PARCA(パルカ)という女性向けの手作りアクセサリーを朝10時から夜6時まで販売することになりました。
女性デザイナーの岡本が精魂込めて作った作品をぜひ一度御覧になられてください。
場所はタモリマッサージと同じとこになります。
勿論タモリマッサージ夜中12時まで受付営業しておりますのでこれからも宜しくお願いします。

R.I.P

2012-07-09 13:06:20 | Weblog
2012年7月5日午後1時14分、祖父が旅立ちました。

去年6月に倒れずっと入院していて、残り寿命3か月と言われてました。

毎年初めに家族皆健康に過ごせて私は幸せだなと思ってましたが、必ずこの時はやってきます。
親族が亡くなるのは初めてで最初どうしたらいいかわからなかったです。
すぐに石川県に到着して祖父の顔を見ました。
安らかな顔ってこういう顔なんだとわかりました。
そして身内だけの葬式をして、その夜父から祖父との思い出話をしてくれました。
私が小さい頃可愛がってくれて、学生になれば厳しくて怖かった祖父。
私が知らない父と祖父の間の話をしていくと父は声がつまり涙声になりました。
そして並べた祖父の遺影は私が小さい頃一緒に写った写真の顔を伸ばしてつかいました。

お通夜では町中の人々がやってきました。
祖父が地元で何をやり、どんな人柄だったのか非常に興味がありました。

入りきらないほどの人と各方面からのお花がありました。

何年も会ってない私の同級生やその家族と会えて、あぁ祖父が会わせてくれたんだなと思いました。
そして、長男である父の挨拶でなんとなく祖父のことがわかってきました。

観光会長になったり、町の建造物に対してや赤十字への寄付をしたり社会貢献もしてた祖父を知りかっこいいと思いました。

翌日葬式になり、祖父が可愛がってた愛犬の写真を棺桶に入れ火葬場に行きました。
祖母や父、親戚は皆泣いてました。

私が生まれた時は私がたくさん泣いて、祖父は笑ってくれました。
祖父が亡くなる時はみんなが泣いて、祖父は笑ってると思いました。

祖父の火葬の間私たちは待合室で祖父の思い出話を皆で話してました。
そしてどんな人柄かわかりました。

時代が変わっても愛される祖父の人柄はこれからの私の勉強になりました。

火葬が終わり遺骨を箱に入れ、葬式は終わりました。
最後に親戚やお世話になった方々と食事をした時、多くの方々が私の前で私が知らない祖父のことを語ってくれました。
これから時間が経つと祖父の偉大さや思いがわかってくると思います。

私が32歳まで祖父は生きてくれて、いろんなこと考えることができました。
間違ってないな、こうすべきたと考えることができるのは祖父が長生きしてくれたおかげだと思います。

これからも家族を大切にし多くの経験と共に守っていきます。

また会いましょう。

ありがとうございました!

蜃気楼

2012-06-24 05:30:08 | Weblog
昨夜寝たら普段夢を見ない私が現在死期が近く石川の大学病院で病床の祖父の夢を見た。


祖父は昔国語の先生だった。
広い教室に大人数集められなぜか私は隅っこに座る。1人1人好きな歌のフレーズを言えと言われ、有名なフレーズを1人1人言っていく。
私は恥ずかしくて当てられなかったが、当てられたら大好きなhideのever freeの「夢に夢見た季節忘れちゃってあなたに聞いてみる~」と言うつもりだったが当てられず終了。

なにか条件をつけられ並ぶと後ろのほうだった。
そして一人一人言葉の問題を答えていくのだが、簡単なのだが答えられない人ばかりだった。
最後にスケジュール帳みたいなの渡され、休日の過ごし方ばかり言われる。

帰宅したらテーブルに祖父と祖母が座り談笑してる。私はそこで祖父だときづく。
食べ物の話しをしていた。
魚の話しをしていて、のどぐろのお寿司の話しになった。
祖父のいつもの口調で
「そりゃ~うまいわ」
と言い、
「この間買っていったよ」と私は答えた。
のどぐろのお寿司は店で650円はするとか細かいこと言ってた。

私は元気に話す祖父を見てとうとう言ってしまった。
「病気大丈夫なん?」

すると何も答えず

「食事のこと考えてくれる人が見つかって安心した」
とだけ私に告げられ目が覚めた。

こんなにはっきり覚えてる夢を初めてみた。
国語の先生だった祖父、食生活で倒れた祖父、私の将来をいつも心配してた祖父。
鏡を見たら目が赤くなっていた。

全日本宮古島トライアスロン参戦記(走)

2012-04-19 09:22:01 | Weblog
バイクをトランジッションに置き、真っ先にトイレに向かう。
そしてボトルに残った水分を全て飲み干し、さ、食べようかなと思っていた補給食は熱と陽射しでダメになっていた。
予想外で、これはやばいかもと焦る。
あるだけポケットに積み、フルマラソンスタートする。
目標は5時間!
「このまま押しきってやる!」
と決意したのはいいが、ブリックトレーニングしていた時のように全然息切れが収まらない。
いきなり歩きだす。
気温30度湿度90%。
考えたくない条件でスタートしていたのはその時知らなかった。
後ろからスーパーマンクラブの秋吉じいちゃんが私に追い付いてきて
「田守くん、私は去年18kmまで歩いたよ。それにしても暑いねー」
とあっさり抜かれてしまう。
暑いのが苦手なのはわかってたがここまで苦しいとは。
エイドでアクエリアスや水、コーラ、塩、バナナ全てとる。
濡れたスポンジを大量に頭や首にかける。
全然走れない。
身体がゆうことをきかない。
中にはコースを外れて日陰の歩道を行く人もいた。
とうとうエイドで倒れてる人を見た。
ようやく5km。
ほとんど歩いてるくせに息が切れてる。
それでも島の人たちの「ワイドー」「がんばれ!」
の声援は続く。

首や肩周りがジリジリ痛い。
ガソリンスタンドのおじちゃんがおいでとか言うから近づくと洗車の水を当ててきた。
勢いありすぎて目が覚めた。
ランニングコースはずっと登り坂と下り坂で平地が少ない。
このコースをサブ3する人は相当すごいなと思いながら進む。
5時間とかこりゃ無理だと思い、折り返しを終えてゴールに向かうトップ集団は足取りがそれほど速くなく暑さに苦しめられてるみたいだった。

8km過ぎても一向に陽射しが弱まらない。
下を向いて歩くと、後ろからお尻を突っつかれる。
誰だよこのきつい時にと思って振り向いたら
ダチョウだった。
びっくりして100m走れた。
脱走したみたいだった。

エイドで水を被りまくって補給してたら左足の甲や裏が痛くなってきた。
10km過ぎてブチっと音とともに靴擦れが起きた。

どうやら水分が靴に染み込み皮膚がふやけて膨張して擦れて靴擦れが起きたみたいだった。

めちゃくちゃ痛い。
歩いては走ってはの繰り返しでさらに走りにくくなってしまった。
ゆっくり歩いてると折り返したスーパーマンクラブの直江さんとすれ違い
「田守くん!頑張ろう!」と言われまた走り始めた。
4時を過ぎても陽射しは強く、痙攣を起こした者、嘔吐してる者、途方にくれて座り込む者など想像を絶する光景が広がったが前に進まねばならなかった。
暑くてたまらなくて、頭がぼーっとした。




折り返しですれ違うメガネで水色のウェアは伸夫くんだ。
「いけるって!」
背が高くてスライド大きくサンバイザーつけてすれ違うのはくーまくんだ。
「まだまだ!」
小さな身体ですいすい進んですれ違う女性はのりこさんだ。
「がんばれ!」
ワンポイントのお花を頭につけてすれ違うのははやのちゃんだ。
「ゴールでみんな待ってるよ!」




そんなこと考えながら痛みと暑さに耐えていた。
21km前急坂を下ったら、ばんからな男たちが西城秀樹のYMCAを踊っていた。
折り返してこの坂登りたくないなぁと思った。

やっとハーフ通過したら3時間もかかってしまった。
後半分!と思いながらゴールに向かう。
折り返してすれ違うとまだまだ自分の後ろに人がいると思うとなんか安心した。
そこでなぜか折り返しに向かう秋吉じいちゃんとすれ違った。
あれ?いつの間に私抜いたのだろ。
それから岩井社長や、前年度の宮古島トライアスロンで落車してリタイヤしてリベンジに燃える毛利さんがいた。

折り返して進んでいるとさすがに陽射しはなく辺りはだんだんと夕焼けから夜に向かっていた。
一番しんどい急坂を登り始めたらYMCA軍団は疲れたのか踊っていなく、
「お疲れ様でした」
みたいな感じになってて笑ってしまった。
急坂を登り終わるとスーパーマンクラブの池田さんが座り込んでいた。
「大丈夫ですか?」
と声をかけると股関節を痛めているみたいだった。
池田さんは翌週の石垣島トライアスロンも参加するようなので心配だった。
「田守さん、私のことはいいから先に行ってゴールしてくれ」
と言われた。
「池田さん絶対ゴールしましょう!」
と言い進みだす。
足は痛いが進む。
辺りは暗くなり、エイドには氷がなくなっていた。
水分を取りすぎたのかトイレが近い。
トイレに三回も行き、ゴールを目指す。
28km地点を過ぎると後ろ走ってるおじちゃん選手が
「まだ28kmか。なんとか30kmにしてもらえんかの!」とか言い出す。
ツッコミたくなった。

薄暗くても宮古島の人たちの声援は途切れない。
30kmのチェックポイント通過したらUSTREAMの放送が関門時刻を知らせてる。
七時過ぎた。
俺は絶対行ける!

もう歩いて走れない人もみんなでゴールしたい。
そんな気持ちだった。

35kmチェックポイント過ぎて、いよいよ市街地に入る。

宮古島に花火がうち上がる。
ゴール関門一時間前の合図だ。
目の前を懸命に走る女性に応援の人たちが並走。
「○○ちゃん!ゴールはもうすぐよ!」
と声をかけてる。
あ、もうすぐか…
と思ってもなかなかゴールに着かない。

「おかえりー!」
「よくがんばったー!」
「待ってたよー!」

と声援が大きくなるにつれ、あかりが大きくなってきた。
ゴールの陸上競技場が見えた!

いきなり歩道から酔っぱらったおじさんが缶ビール持ってきてコースに入ってきた。
「完走おめでとう!おじさんと乾杯しよう!」
と言われるが笑顔で丁重にお断り。

人だかりの中陸上競技場の中に入る。
ゲストハウスのおじさん、おばさん、応援団のみんな、うっちーとトラックを走る。
大歓声の中、アナウンスされみんなでゴール!!

「足の裏が痛い」
と言いながら完走メダルとフィニッシャータオルをかけられる。
写真を撮られまくって、うっちーと健闘をたたえあう。
次々とゴールしてくるアナウンスが流れる。
夜空を仰ぎながらスーパーマンクラブのメンバーが呼ばれていく。
そして、最終関門の8時30分のカウントダウンのアナウンス後全日本宮古島トライアスロン大会は終了した。
13時間16分の激闘でした。

全日本宮古島トライアスロン参戦記(バイク)

2012-04-19 09:21:39 | Weblog
8時30分前にロードバイクで前浜を出て池間大橋を目指す。
トランジッションで日焼け止めやワセリンをたっぷり塗ったのに、首がなぜかヒリヒリする。
タイムを見ようと時計を見たら9分40秒で止まってる。
多分バトルに巻き込まれた時停まってしまったのだろう。

風も穏やかで進むのが楽だ。
途中今朝の食堂のおばちゃんが見えて手を降った。
エイドのボランティアの中学生は大声で
「コーラありますよ!」
「アクエリアスありますよ!」
「お水ありますよー」
と言っていた。
本当にありがたかった。
スピードを上げて通過するロードバイクにタイミングよくボトルや濡れたスポンジを渡していく。
中学生たちはこの日のために練習をしていたそうだ。
各エイド前にボトル回収ボックスがあるが、私のボトルはなかなか減らなかったので通過していた。
前半登りもほとんどなくあっという間に池間大橋に着く。
池間大橋から見る海は絶景で素晴らしかった。
先頭集団はものすごい速さですれ違う。
島尻集落に向かうくらいにノってきて、
自分のロードバイクより高い高級ロードバイクを抜くのが快感になっていた。
しかし、脚力ある人はあまり関係なく速い。
集落手前でホイールが大破して歩道で立ち尽くす選手がいた。
比嘉ロードパークを過ぎ、登りと下りが続き、下りはDHバーを握りノーブレーキで下りる。
そのものすごいスピードの中足をまわして下りる人も居た。
私はランニングのために足を残しておこう!
目指すは東平安名岬の灯台。
このあたりからトイレに行きたくなった。
10時を過ぎて太陽が登り始めた時の陽射しがきつく
「これはやばい、ランニングの時相当暑くなるぞ」
と思い、バイクステージで本気出して時間稼がないと間に合わないかもと軌道修正をした。
残り95kmその時は60km地点を過ぎていた。
東平安名岬では獅子舞みたいな躍りをして応援してる人たちがいた。
トイレもあったが時間稼ぎしたいから自転車降りたくないと思いさらに進んだ。
東平安名岬から来間大橋に向かう道のりは大変だった。
まず向かい風が強くてアベレージ25kmついに切ってしまった。
そして強烈な登り坂が2つあり、選手たちを苦しめた。
「誰だよ宮古島は平地しかないから楽と言ったのは…」
とボソッと言ってしまいそうになった。
来間大橋を過ぎ一周100kmを関門時間12時50分より一時間ほど早く通過。
この辺からサドルで股関を圧迫され違和感を感じた。ついでにトイレも行きたい。
スペシャルドリンク一つ目をエイドで貰った時は皆疲れていたのか周りはバイクから降りて補給していた。
残り半周、陽射しは容赦なく襲いかかる。
二度目の池間大橋は景色を見る余裕はなかった。
早く宮古島陸上競技場に行かないといけない。
道路には落ちたボンベなどいろんなものがあり、集中力途切れて踏んだら落車の危険もあった。

そしてとうとうバイクフィニッシュを迎えた時はバイクタイム6時間を切っていて嬉しかった。
つづく…