こんにちは。村岡民弥子です。
この事を人に言うのは、初めてです。
私は、母親から幼児虐待を受けていました。
正確に表現すると、
おそらく母親にはその自覚が無いでしょう。
でも、私は、「殺される、、、」とまで感じる
恐れを抱いていました。
母は「しつけのためだった」と言うでしょうけれど、
「いじめ」と同じ定義で言えば、
私は、虐待を受けていました。
人の成長に、
一番最初に、一番大きな影響を与えるのは、
間違い無く「母親」であると、
私は確信しています。
むしろ、
「この母親に育ててもらおう!」と
その「影響を受ける事」を選択して、
お空から、「その子」は
「生まれてくる場所」を決めるのだと思います。
この事は、私自身の娘が幼児期に、
私に具体的に話してくれた事から
確信を持つに至ったので、
後あと、お話ししていきますね。
さて、話を、私と私の母親に戻します。
病的な潔癖症の母親は、
とにかく、「あるべきルール」に
全ての物事が秩序正しく整っていない事が
全く受け入れられないらしく、
ものの置き方なら1ミリずれてもダメ!
時間なら、1秒遅れてもダメ!
そのほんの小さな誤差を許してもらえず、
鬼のような形相で「ぶたれる!」
今、こうして、書いていても、
その母親の形相と、
グーでぶたれる痛みの恐ろしさで、
気持ちが悪くなる感じです。
その感情を思い出したくないから、
今まで一度も、誰にも、言った事が無いのだと、
今気が付きました。
もう一つ、オマケに、
私は、母親に抱かれた記憶がありません。
「抱っこされた」という温もりの記憶が無いのです。
6か月ピッタリ(笑)までは、
完全母乳で育ったらしいので、
もちろん、「抱っこ」されてはいたのでしょうが、
当時、子育て本の本流だった
スポック博士の育児書に、
「6か月で断乳せよ」と書いてあったそうで、
それに従い、ピッタリ断乳。
私が自分で歩けるようになってから、
「抱っこ」をしてもらった事は無いので、
私には、母の温もりの記憶が無いのです。
母は、スキンシップを極度に嫌います。
信じられないと思いますが、
私は、母親に触れた事すらありません。
私が「温もりが欲しくて」寄って行くと、
「来ないで、触らないで!」と
身をよじって、逃げるのです。
これには、理由があります。
恐らく、母には、罪は無いのでしょう。
母も「抱っこ」されていないはずだから。
母を出産した、その瞬間に、
祖母が「結核」に感染している事が判明し、
そのまま、祖母は「結核病棟に隔離」
母は、病院併設の「愛育院」という
養護施設に移されてしまったそうです。
昭和17年、当時まだ、「結核」は
死の病だったはずです。
祖父の経済力のお蔭で、
希少な高価な薬を使用する事が出来たので、
祖母は奇跡的に回復をしたのですが、
何と!
母親は、養護施設から、そのまま
親戚の家をたらい回しにされ、
他人の手で7歳まで、育てられる事と
なってしまったのです。
だから、母親自身が、
「愛を持って、抱かれる」という
経験をしていない。
当然、その必要性を認識できるはずもない。
残念な事に、その祖母も、
実の母に産み落とされて、
そのまま捨てられ、
叔母の養女として育った
という歴史があります。
「抱いてもらうどころか、触らせてもくれない」
毎日、本当に些細な事で、グーでぶたれる。
私は、本気で、
「自分は捨て子なんだ」と思っていました。
いい子にしていないと
また、捨てられちゃう。
私にとって、家庭は安らぎの場ではなく、
母親の怒りに触れないように
いつも、「様子をうかがって」
「いい子でいるように」努力していました。
それなのに、思いも寄らない事で、
母の怒りが爆発して、
ぶたれ、押し倒され、踏みつけられ、
布巾で叩かれ、馬乗りにされる。
皆さん、勘違いしないで下さいね。
私は、母が大好きです。
母のところに生まれてきて良かったと
心から思っています。
それは、今の私は、
この母親に育てられなければ
「存在しない」と断言出来るからです。
私が母親から受け継いだもの。
それは、いわゆる世の中で
「成功哲学」と言われている思考です。
母親は、そんな言葉も知らないと思うのですが、
母の考え方、行動、習慣は、
私が大人になって、かなりの大金を払って
「自己啓発セミナー」などで聞いた話
そのままだったのです。
私は「命の危険」を感じながら、
母親の「成功哲学」を叩き込まれたと
言えるのかもしれません。
その大元は、母方の祖父。
千葉県の片田舎の農家の長男だったのに、
尋常小学校を卒業して、東京に丁稚に出て、
商いの修行を積み、戦後の混乱期に上手く稼ぎ
内神田に自社ビルを持つほどに成功した人。
七歳まで、手元で育てなかった事を
悔いたのか、祖父は、
その「成功哲学」を
母親に一番伝えていました。
「お金を稼ぎ出す」というセンスは、
遺伝的に母親が一番もらっている感じです。
その証拠に、一部上場の鉄鋼大手企業に勤め、
ほとんど家には居なかった
高度経済成長時のモーレツサラリーマン
だった父親のサラリーよりも、
専業主婦といいながら、
「仕組みから稼ぐ」事を常にしていた
母の方が、稼いでいました。
母から教えられたたくさんの事を
今度は、私から娘に、自然に伝えてきています。
どうやら、隔世遺伝で、私の娘には、
学ばずとも「稼ぐセンス」が備わっている
ようで、現在、面白いプロジェクトを
進行中です。
お時間が許せば、彼女のブログを
覗いて頂けると嬉しいです。
http://s.ameblo.jp/yuki-momo419/entry-12026312060.html?frm_id=v.jpameblo
長くなり過ぎましたので、
私が母から教えられた具体的な事は、
少しずつお話ししていきます。
この事を人に言うのは、初めてです。
私は、母親から幼児虐待を受けていました。
正確に表現すると、
おそらく母親にはその自覚が無いでしょう。
でも、私は、「殺される、、、」とまで感じる
恐れを抱いていました。
母は「しつけのためだった」と言うでしょうけれど、
「いじめ」と同じ定義で言えば、
私は、虐待を受けていました。
人の成長に、
一番最初に、一番大きな影響を与えるのは、
間違い無く「母親」であると、
私は確信しています。
むしろ、
「この母親に育ててもらおう!」と
その「影響を受ける事」を選択して、
お空から、「その子」は
「生まれてくる場所」を決めるのだと思います。
この事は、私自身の娘が幼児期に、
私に具体的に話してくれた事から
確信を持つに至ったので、
後あと、お話ししていきますね。
さて、話を、私と私の母親に戻します。
病的な潔癖症の母親は、
とにかく、「あるべきルール」に
全ての物事が秩序正しく整っていない事が
全く受け入れられないらしく、
ものの置き方なら1ミリずれてもダメ!
時間なら、1秒遅れてもダメ!
そのほんの小さな誤差を許してもらえず、
鬼のような形相で「ぶたれる!」
今、こうして、書いていても、
その母親の形相と、
グーでぶたれる痛みの恐ろしさで、
気持ちが悪くなる感じです。
その感情を思い出したくないから、
今まで一度も、誰にも、言った事が無いのだと、
今気が付きました。
もう一つ、オマケに、
私は、母親に抱かれた記憶がありません。
「抱っこされた」という温もりの記憶が無いのです。
6か月ピッタリ(笑)までは、
完全母乳で育ったらしいので、
もちろん、「抱っこ」されてはいたのでしょうが、
当時、子育て本の本流だった
スポック博士の育児書に、
「6か月で断乳せよ」と書いてあったそうで、
それに従い、ピッタリ断乳。
私が自分で歩けるようになってから、
「抱っこ」をしてもらった事は無いので、
私には、母の温もりの記憶が無いのです。
母は、スキンシップを極度に嫌います。
信じられないと思いますが、
私は、母親に触れた事すらありません。
私が「温もりが欲しくて」寄って行くと、
「来ないで、触らないで!」と
身をよじって、逃げるのです。
これには、理由があります。
恐らく、母には、罪は無いのでしょう。
母も「抱っこ」されていないはずだから。
母を出産した、その瞬間に、
祖母が「結核」に感染している事が判明し、
そのまま、祖母は「結核病棟に隔離」
母は、病院併設の「愛育院」という
養護施設に移されてしまったそうです。
昭和17年、当時まだ、「結核」は
死の病だったはずです。
祖父の経済力のお蔭で、
希少な高価な薬を使用する事が出来たので、
祖母は奇跡的に回復をしたのですが、
何と!
母親は、養護施設から、そのまま
親戚の家をたらい回しにされ、
他人の手で7歳まで、育てられる事と
なってしまったのです。
だから、母親自身が、
「愛を持って、抱かれる」という
経験をしていない。
当然、その必要性を認識できるはずもない。
残念な事に、その祖母も、
実の母に産み落とされて、
そのまま捨てられ、
叔母の養女として育った
という歴史があります。
「抱いてもらうどころか、触らせてもくれない」
毎日、本当に些細な事で、グーでぶたれる。
私は、本気で、
「自分は捨て子なんだ」と思っていました。
いい子にしていないと
また、捨てられちゃう。
私にとって、家庭は安らぎの場ではなく、
母親の怒りに触れないように
いつも、「様子をうかがって」
「いい子でいるように」努力していました。
それなのに、思いも寄らない事で、
母の怒りが爆発して、
ぶたれ、押し倒され、踏みつけられ、
布巾で叩かれ、馬乗りにされる。
皆さん、勘違いしないで下さいね。
私は、母が大好きです。
母のところに生まれてきて良かったと
心から思っています。
それは、今の私は、
この母親に育てられなければ
「存在しない」と断言出来るからです。
私が母親から受け継いだもの。
それは、いわゆる世の中で
「成功哲学」と言われている思考です。
母親は、そんな言葉も知らないと思うのですが、
母の考え方、行動、習慣は、
私が大人になって、かなりの大金を払って
「自己啓発セミナー」などで聞いた話
そのままだったのです。
私は「命の危険」を感じながら、
母親の「成功哲学」を叩き込まれたと
言えるのかもしれません。
その大元は、母方の祖父。
千葉県の片田舎の農家の長男だったのに、
尋常小学校を卒業して、東京に丁稚に出て、
商いの修行を積み、戦後の混乱期に上手く稼ぎ
内神田に自社ビルを持つほどに成功した人。
七歳まで、手元で育てなかった事を
悔いたのか、祖父は、
その「成功哲学」を
母親に一番伝えていました。
「お金を稼ぎ出す」というセンスは、
遺伝的に母親が一番もらっている感じです。
その証拠に、一部上場の鉄鋼大手企業に勤め、
ほとんど家には居なかった
高度経済成長時のモーレツサラリーマン
だった父親のサラリーよりも、
専業主婦といいながら、
「仕組みから稼ぐ」事を常にしていた
母の方が、稼いでいました。
母から教えられたたくさんの事を
今度は、私から娘に、自然に伝えてきています。
どうやら、隔世遺伝で、私の娘には、
学ばずとも「稼ぐセンス」が備わっている
ようで、現在、面白いプロジェクトを
進行中です。
お時間が許せば、彼女のブログを
覗いて頂けると嬉しいです。
http://s.ameblo.jp/yuki-momo419/entry-12026312060.html?frm_id=v.jpameblo
長くなり過ぎましたので、
私が母から教えられた具体的な事は、
少しずつお話ししていきます。