時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

子の心、親知らず。

2021年07月02日 | 時のつれづれ・文月 

多摩爺の「時のつれづれ(文月の17)」
子の心、親知らず。(母のこと)

2度目のワクチン接種を受けた母親の状況を確認しようと、昨夕から何度も電話するが
繋がらないでいた。
今朝も7時ごろから電話したが・・・ やっぱり、繋がらない。

さすがに心配になって、妹に連絡を取り、実家に行ってもらおうかと思ったが、
それでもと思って8時ごろにかけ直したら、
「どうしたの?」とビックリしたような声で電話にでてきた。

申し訳ないが「どうしたの?」は・・・ こちらの台詞である。
「さっきも電話したし、昨日から何度も電話したのに、気がつかなかったの?」と聞くと、
「ごめんごめん、ケータイを手提げ袋の中に入れっぱなしで寝て、朝見たら電池が少なかったので、
 充電したまま近所の公園に、ラジオ体操に行ってた。」と言うではないか。

91歳になった私の母親は、どうでも良いことだが、裕福な家庭に生まれ育ったお嬢様だった。
小学校の頃に母方の実家に行くと、
引き戸の玄関を開けたら裏の畑に続く通路があって、左右に大きな部屋があった。

また、左側の部屋を広縁を伝って、中庭をぐるりと回れば離れもある、本当に大きな屋敷だった。
ちょっと自慢の大きな屋敷だったが、
昭和50年代の豪雨で川が決壊して水没し、いまは影も形も残っていない。

一方で、亡くなった父方の実家は、本家は田畑を幾つも持つ豪農だが、
4人姉弟の長子に産まれた祖母が、養子を取って分家してからは、実家の支援を受けておらず、
玄関を上がって二間、二階に一間で、今風に言えば3DKだが、
母方の実家と比べれば比較にならないほど小さな家で、
私の記憶にある限りでは・・・ とても裕福な生活ではなかった。

両親は、父方の祖母と母方の祖母が、たまたま従姉妹どうしにだったことから、
なんとなく見合いで結婚したと言うが、祖母には母の実家へのやっかみがあったのだろう、
母に対する対応は厳しく、父が祖母べったりだったこともあり、
祖父を早く亡くして、祖母を引き取ったときから、
いわゆる嫁姑問題があり、母は若い頃から苦労の連続だった。

ところが・・・ 30年前に祖母が亡くなると、
それまで我慢に我慢を重ねていた母が、急にもの申すようになり、
家の中の力関係が、あっという間に逆転し始めるから・・・ 世の中なにがあるか分からない。


その日を境に、実家は母を中心に回ることとなり、母の言うことは絶対になるから驚く。
別に変なことを言うわけじゃないで、心配するほどではないが力関係は完全に逆転することになった。

そんなこともあって・・・ 母に対して、あまりしつこく問い詰めたり、責めたりすると、
腹を立てるし、いじけてしまうので、滅多なことは言えず、
妹からは、実家に寄って機嫌を伺うのは私だから「喧嘩だけは絶対にしないで。」と、
きつく念押しされている。

帰省したときに、私が女房を手伝って、洗濯物を干していると、
「男もそれぐらいしなきゃダメ!」と言いながらも、必ずと行って良いほどチェックを入れてきて、
ハンガーへの掛け方や、洗濯物によって干す位置が違うと厳しい指摘と手直しが入る。

庭があるんだから、そこに干せば良いのに、
どうしても2階のベランダに干さねばならない拘りがあり、
91歳だというのに、洗濯物を干したり取り込んだりするためだけに、
階段を上ったり降りたりしていて、
なんども「危ないから庭に干そうよ。」と言っても、私の言うことは聞いてくれない。

料理に関しては、抜群の腕を持ってて、
私が大好きな、きんぴら牛蒡、レンコンの素揚げ、きゃら蕗などをササッと作ると、
市場に出かけて魚の干物を買ってきて、私のところや、息子のところに、
お袋の味を送ってきてくれるんだから、
私が母に口ごたえするような環境は・・・ 完全に封じられている。

女房に対しては、自分の嫁姑関係で学んだのだと思うが、めちゃめちゃ優しくて、
「私は、なにをやっても遅くて迷惑掛けてるのに、おかあさんはいつも優しい。」と
言うぐらいだから、女房は完全に母に手懐けられ、
いざというときに・・・ 私の味方にはならないだろう。

妹は「好きなようにさせといて」というが・・・ もう、91歳である。
近所の人たちが驚くほど元気な「スーパー婆さん」だが、
この元気がいつまでも続くとは思えず、最近特に心配することが多くなった。

3月に父が亡くなり、家の中の物をを片づけたいと思っているものの
母は「あれをこうして、それをあぁして・・・ 」と指示する割には、
基本的にはほとんど触らせてくれず、実家にあるものは完全に把握しコントロールしている。
我が儘の極みのような・・・ 婆さんでもある。

子供からしたら、歳も歳なんで、もう少し甘えてほしいし、頼ってほしいのにそれがない。
なんて言っていいのかわからないが、あえて言うなら、
決して嫌みではないが・・・ 「子の心、親知らず。」なんだと思う。

愚痴は止めて、話を戻そう。
それで「ワクチン打った後は、どうなの・・・ ?」と聞くと、
「熱もでてないし、手も上がるし、ぜんぜん大丈夫、屁のカッパだよ。」と言い、
「で・・・ 夏はいつ帰ってくるの? 孫も一緒に帰っておいでよ。」と、
機関銃のように喋りまくるではないか。

やれやれというか、屁のカッパはカッパさんに申し訳ないと思うが、
相変わらずの元気印で、返答はほぼ想定通りだった。

とはいえ、私が一番恐れているのは・・・ 母が、あまりにも自信過剰なところである。
私や妹が一緒に住もうと言っても、
近所に人たちが良くしてくれるからと言い、全くもって聞く耳を持ってくれない。
願いは一つ、年齢なりに慎重であってほしいし、
もう少し臆病であってほしいと、思ってるだけである。

母は回遊魚(マグロと一緒)だから、動きが止まったときに、棺桶を用意するしかないのだろう。
あの世に行って、会いたくない婆さん(姑)の顔を見れば、少しはおとなしくなると思うが、
それまでは、子供たちが気を揉む日々が続くのは、覚悟せねばならない。
やれやれだが、元気なうちは・・・ それで良いと思うしかないのだろう。

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2 コメント

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Unknown (びこ)
2021-07-08 23:06:48
私の母も死ぬまで元気な人でした。いや、元気と言うか動き回る人でした。が、三年前、私と一緒に泊まっていたホテルの私の隣りのベッドで亡くなりました。というより、朝見たら亡くなっていました。92歳でした。亡くなる前の晩もホテルの夕食を美味しい美味しいと食べたあとでしたから信じられなかったのでしたが、元気に見えてもやはり歳は歳だと思いました。多摩爺さんも、お母様を最後まで自由にさせてあげてください。
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Unknown (多摩爺)
2021-07-09 10:26:26
びこさん
コメントを頂戴しありがとうございました。

諦めると言っちゃ身も蓋もないのですが、いまさら口うるさく言うことは止めようと思いました。
怖いのはボケの症状がでたときですが、監視カメラで監視する訳にもいかないので、
毎週実家を訪れてくれる妹に、よく見てもらうことと、私と女房はたわいない電話で感じ取ることにしました。
ご心配をいただき、ありがとうございました。
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