時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

ゆうパックで、年賀状とどく。

2020年11月22日 | 時のつれづれ・霜月 

多摩爺の「時のつれづれ(霜月の9)」
ゆうパックで、年賀状とどく。

北九州に住んでる妹から・・・ 地元の銘菓と一緒に、ゆうパックで年賀状が送られてきた。
自宅マンションの目の前が郵便局なんだから、そちらで買えばいいものだが、
郵便局員さんにもノルマがあって、妹が友人から頼まれたということから始まり、
上京してからずっとだから・・・ もう35年以上のお得意様である。

最初は100枚ぐらいから始まり、最高に多いときには200枚を少し超えていたから、
通算すれば・・・ もう7,000枚ぐらいは、その方から購入している。

それにしても、ここんとこ毎年思ってるのは・・・ 年賀状を、ゆうパックで送ってくること、
これほど、郵便事業に貢献した経済対策はないだろうと感心してしまう。
おそらく、なにも考えてないと思うが・・・ 妹の律義さに、座布団1枚じゃ足りないかもしれない。

私の年賀状は、プリントゴッコから始まり、
その後は、その年に撮った風景や家族写真から、お気に入りを1~2枚選んだ写真付きに進化し、
3年前に孫ができてからは、孫の写真がメインになっている。

最近では、子供や孫の写真がプリントされた年賀状が、嫌だという人も居るらしい。
ひょっとしたら、私が出してる方々の中にも、そういった思いの方が居るかもしれない。
定番というか、ありきたりの印刷メニューから選ぶだけじゃ、図柄が被ったりして味気ないので、
もし、嫌な思いをされてる方がいらっしゃったら、大変申し訳ないが、あと数年ほど勘弁願いたい。

また、年賀状の構成も、一工夫してるというほどじゃないが、
ありきたりの「あけましておめでとうございます。」や
「謹賀新年」、「ハッピーニューイヤー」じゃ面白くないので、
2文字や4文字の、春めいた言葉をドカンと大きく表記し、自筆で言葉を添えるようにしている。

近年では「春風献上、笑門来福、萬古清風、草木萌動」などの言葉をドカンと表記したが、
少しだけ古風で、なにかしら良いことを予感させるような、意味ある言葉を探すのも、
この時期ならではの・・・ 楽しみの一つでもある。

因みに、今年の言葉は既に決まってて・・・ 「日日平安」にしようと思っている。
本音を言えば、文句なしに「悪霊(新型コロナウイルス)退散」なんだが、
さすがに正月から「悪霊」は禁句だと思うし、もらった方の気分も害してしまうだろう。

おそらく、ネットで検索しても「日日平安」と云う四字熟語は出てこないと思うが、
この言葉は、近所の本屋さんの文庫本コーナーで見つけた・・・ 1冊の表題にヒントがあった。

昭和30年代に山本周五郎さんが書かれ、
映画化された時代劇「椿三十郎」の原作が、日日平安なのである。

コロナ禍のこのタイミングだからこそ、来年からは心と生活に平安を取り戻し、
落ち着いた日々を安らかに過ごしたいし、過ごしていただきたいとの気持ちが相まって、
年賀状の検討するには、ちょっと早すぎるが、夏には既に来年は日日平安でいこうと決めていた。

作成する枚数のピークは、おそらく60歳のころで、
200枚を超える年賀状を出していたと思う。

ただ・・・ いつまでも、これだけの枚数を出し続けるわけにはいかないので、
そろそろ整理しなくちゃと思っていて、
還暦を節目として、ケチりたいわけではなかったが、5年かけて50枚ぐらいを減らすことにし、
欠礼分を含めれば・・・ 実質的には150枚ぐらいにまでなっている。

次なる目標は、古希を迎える5年後を目途に、年賀状終いをする予定にしてるが、
行き来のある親しい友人や、親族にはどうしても必要になるので、
最終的には、50枚ぐらいは残るだろう。
1枚は63円だけど、年金生活者だから、やっぱり頑張るしかないだろう。

とはいえ、気になるのは・・・ 高齢となった両親が4名、故郷で健在なことだ。
健在と言っても、ピンピンしてるのは実母(90歳)ぐらいで、
実父(91歳)と義母(88歳)は施設暮らしで、
岳父(90歳)は今年2度目の骨折で入院中だから、3名の体力は推して知ることができる。

昭和の初期に生まれ、学生時代は戦時下、戦後の復興さなかに所帯を持ち、
一生懸命に私たちを育ててくれたんだから、
できることなら、もっともっと長生きしてほしいと思ってるものの、
遠くに住んでれば、してあげられることも限られており、
ついつい順番だから・・・ との思いが、頭の中に浮かんでは消える日々が、最近は増えてきている。

年賀状を作る前から、欠礼の心配をする必要はないんだが、
近年は・・・ 作った年賀状を、ポストに投函する日がやって来るまで、
そのことだけが気になっている。

コロナ禍が治まったら、写真じゃなくて、本物の曾孫を見せに帰るから、
まずは、その日を楽しみに、元気で頑張ってほしい。
遠くからで申し訳ないが・・・ 日日平安であることを祈念する。

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