以前、166回芥川賞候補に残った作家のデビュー作を紹介したが、今回はその前の、第165回芥川賞候補作になった、くどうれいんさんの『氷柱の声』をレビューしようと思う。
私が、くどうれいんさんを知ったのは、『水中で口笛』という歌集を読んだ時だった。
そこの中で、
働けば働くほどにうれしくてレモンジュースにレモン汁足す
という歌があるのだが、この歌を詠んだ時にとても嬉しいというか、痛快な気分になって、たちまちに彼女のファンになってしまった。
もちろん、この歌は、啄木の有名な歌、
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る
を本歌取りしている。
くどうれいんさんは、啄木と同じ郷地に生まれ育ったらしく、あとがきにもあるのだが、どうも啄木を個人的にライバル視しているらしいので、そこら辺がとても面白いと思った。
彼女はまた俳句も詠んでいるらしいが、短歌にしろ、俳句にしろ、この人の歌の特徴はその健気さ、素直さにあると思う。
だからこそ、読んでいてこちらまで嬉しい気持ちになるのだ。
そんなくどうれいんさんの書いた初の小説が、この『氷柱の声』である。
東北に生まれ育った彼女が、3.11のことについて書いているのだが、主人公はおそらく彼女自身に似せたものであろうと思われる。
はっきりいうと芥川賞を獲るような作品ではない。それはあまりに文章が正直すぎるからだ。
とにかく、3.11のような重いテーマを題材にしながら、文章はあまりに透き通っていて、登場人物の輪郭もはっきりしているし、構成もわかりやすい。
とにかく、芥川賞候補の作品としてはあまりに読みやすすぎるので、これが賞を獲ることはないと思っていたのであるが、私はこの作品が作者の心情をダイレクトに表しているような気がして、もうハナから賞など気にしてないのよ、って気がして、逆にそこに反骨精神みたいなものを感じたので、とても好きだった。
小説を読む時、結構、どんでん返とか、人の汚いところとか、スキャンダルなことを期待してしまう側面もあるが、この小説においてはそういうことは一切ない。
かといって、西村賢太の私小説みたいな、ある個人を切り取った、生きることの難しさ儚さ、みたいな人生の悲哀をもあまり感じない。
とにかく淡々と文章は書かれている。
それに登場人物たちは皆いい人たちだ。いわゆる悪人というがまるで出てこない。皆よく笑うし、苦しい生活ながらも、健気である。
そう言った意味では、あまり刺激のある読書とは言えないかもしれない。
しかし、作者の心情を、誠実な心情を、あまりにダイレクトに映した作品として、僕は一読してみる価値はあると思う。
一見すると派手さのない作品であるが、作者と同じような誠実な気持ちで読めば、おそらくこの作品の良さがなんとなくわかるような、そういう作品ではなかろうか、と思う。
私自身としても、大きな仕掛けがある作品というよりも、こうした作者自身が「今」書かざるを得なかった、必然性を持った、同時代性を持った作品を読むのが好きだし、これからもそうした作品を書いていってもらいたいと思った。