街散歩
図書館の帰りに図書館の前の公園を横切る、公園の中程に満開の河津桜が公園内に彩りを。
桜は隣の建物で会社の敷地から公園に張り出すように、思いがけない桜見物が出来ました。
河津桜を見物し公園を出れば、路地の先に桃の花が一本の木から白とピンクの花である。
早朝散歩の公園ではアカシアの花が満開に、散歩の時間は暗いので気付かなかったが。
エリカの花も然りである、暗い街灯の下では花が咲いているのも、、、うっかりと。
歩道から店先の入り口の鉢植えに、躑躅が見頃を迎えて居ました。
街の散歩もこの時期は様々な花に遭遇するものである、集合住宅の住民にとってはありがたい事と。
花の持ち主には、会話も弾み出会いもある。
街散歩
この2,3日気温が上がり、花々が一斉に噴き出すように花が咲き始まった。
之が自然の息吹とでも言うのであろう、桜の花芽も一段と緑色に変わって来た。
早朝散歩のコースに木蓮が植わっている家があり、朝は大分花芽が白くなって来たと思った。
しかし、午後住区センターへ行く時には、花が見頃となって来ているのには驚くばかりであった。
河津桜の種類であろうか、公園の隣接の屋敷から公園側に乗り出すように満開である。
桜と反対の公園には、ベニバスモモが満開に咲いていました。
住区センターの帰りに別の公園を横切る、枯れた低木の中に黄色の花があちら此方に近づいて見れば土佐水木であった。
植物も温かくなるのを待っていたのであろう、三寒四温まさにこの季節である。
街散歩
下町の路地裏では、僅かな空き地や植木鉢で花を楽しんで居る。
路地から路地への散歩は、人と人との接点が生まれ会話も弾むものだ。
地肌のむき出しの中で二本ばかりの緑、その中の一本に花が宿っていた。
ヒマラヤユキノシタは、花の時期が長いのであろうか、、、。
歩道続きの玄関前に、鉢植えの菜の花が満開に咲いていた。
路地と屋敷の僅かな空間に、鉢植えの桜であろう。
この時期は水仙は、我が季節とばかりに咲誇る。
沈丁花と言えば、赤が混じるものだが白一色も良いものである。
マンションの一階部分にある教会の入り口に、大輪の椿の花が自慢げに咲いていた。
花の命は短いと言うだから美しいのであろうか、人の運命も長いようで短いものである。
平均寿命まで3年、今日を悔いの無いように懸命に生きる事のみである、、、、と。
街散歩
路傍の草花、公園の草叢、路地には路地の花々が咲いている。
花の名も知らないが時に図鑑や、路地の住民との会話の中に珍しい花の名を知る事もある。
空き地の草叢に、天気に誘惑されてすっかり目覚めている犬ㇷぐり。
玄関先の路地に鉢植えに、いちはつの花が満開に。
下町ならではの路地と敷地の僅かな空間に、鉢植えに花を咲かせていました。
雪柳と言えば白、持ち主が「一寸ピンクが入っている」、、、と。
路傍の草叢に、薺(ぺんぺん草)の花も満開に。
自然の営みは力強いものと、寒いさむいと思っていたが何時の間にか路傍の草叢には花が。
街散歩もあの場所には木蓮が、梅の花が、枝垂れ梅には目白が、、、と、興味が尽きないものである。