リハビリは、週一回、病院のリハビリ室に、通います。一時間半位ですね。もちろん、入院中は、毎日、通っていたのですから、これでは、まったく足りません。ただ、何か、脚が、そこそこ、曲がるようになって、一安心してしまいました。退院して、我が家では、結局、一日中ごろごろでした。
あんまり、頑張る気には、ならなくなってしまったんです。ずっと、ごろごろのまんまです。やはり、我が家に帰ると、落ち着いてしまいました。頑張る気持ち迄、落ち着いてしまいました。
おまけに、歩いていると、脚が、直ぐに痺れる感じになってしまいます。それが、どうしても、気持ちを萎えさせてしまうのです。これは、若い頃の怪我の後遺症が、出てきているのかな、とも思うのですが。更に、積極的な、治療を受ける気持ちには、なれませんでした。もう、暫くは、手術などはしたくありませんよ。耐え難い膝痛だけは、無くなっているのですから。
年金生活での日常生活に、困る感じでは、ありませんからね。働くとなると、どんなことをしても、治さなければならないでしょうが。実際に、どの程度迄、回復するかなど、何の保証もありません。だったら、つましく年金生活で、暮らしていくことにしようかと、覚悟を、決め始めていました。
主治医への受診間隔は、最初は、2週間後だったのですが、どんどん期間が、空いていきます。そうなると、ますます病院との関わりは、リハビリが、主になります。手術日から、5か月間、退院後で、4か月間は、保険適用で、リハビリが、受けられるようなのです。
ただ、リハビリが、回復への唯一の気持ちの張りみたいなに、なっていましたが。そうも、行きません。入院時の担当の療法士さんは、半年間の産休を、取ることになってしまいました。男の子なんですけど、そう言う制度か、あるようです。なかなか、自分の世代には、理解し難いですが。逆に言えば、それだけ、時代が進化したと言うことなのでしょうか。
まあ、奥さんも、医療関係で、収入も彼より多かったりするのかも知れません。それで、ヘルプで、面倒をみてくれていたもう一人の同い年の療法士さんが、担当に変わりました。ただ、彼は、やりたいことがあると言って、そちらを目指して、辞めるって言っていたんですけどね。
何か、引き留められて、有休を使いながら、少し、病院で、仕事をすることになったようです。ただ、新たに目指す業界が、まったく畑違いのアート系の仕事だったんです。まあ、難しいんじゃないの、とありきたりなアドバイスが、喉元迄、出てきていたんですが。時々に、好き勝手な事をしてきた自分には、言う資格なんて、ありません。まあ、「頑張ってね」と言う事で。
最初の担当者は、退院後、直ぐに休暇に。次の担当になった彼も、結局、その一か月後に。それぞれに、事情は、違いますが。何か、この医療の3K業界の闇と、終身雇用が、ほぼ無くなった社会の暗部を、見るような思いもしました。
とにかく、業界の頂点の医師ではなくても、資格取得には、かなりの投資が必要だったりします。で、その果てが、いわゆるエッセンシャルワーカーで、完全な3K職業で。加えて、余裕のない人手不足の職場と言う事になりますからね。みんな、直ぐに、嫌になっちゃってるのかも知れません。
ただ、少し、気心が知れてきて、リハビリの為の大切なパートナー役が、こうころころ変わってしまうのでは、直ぐ楽な方に逃げたがる自分は、ひたすら、やる気をなくしました。これは、ただの自業自得なのですが。まあ、三人目の担当者も、男の子で、彼らより、ちょっと年下な感じですが、大人しい真面目な感じの子では、ありました。
とにかく、リハビリも、自業自得のまま、停滞。昔の大怪我の後遺症も出てきたようです。歩ける距離に関しては、なかなか、延びないままになりました。病院でのリハビリ期間も、終了してしまいました。5分は、継続的に歩くのも、立ち続けるのも、難しい感じのままです。かと言って、瞬発的には、問題なく動けたりしますから、障害者認定などを受けるのは、到底難しそうです。
そうなると、何とか、働いてとは考えますが。手に職がある訳でもなし。ちょっと、出来る仕事は、なさそうです。家族の協力も得て、年金生活しかないなと、なりました。もちろん、働ける可能性が出てくるなら、多少でも働きたいとも、考えていましたが。
まあ、それにしても、日常生活の中で、もう少し、歩く事、立つ事を持続出来る可能性を、探っていきたいと思いました。ただ、散歩をしようにも、直ぐに脚に、痺れが出てきてしまいます。それでも、継続的に努力しようとするような、根気もないんですけどね。
とにかく、買い物は、食品、日用品は、家族の分も含めて、自分がするようにしていました。今まで通りなんですけどね。スーパーの買い物カートが、良い歩行器代わりになります。買い物カートを使っている分には、痺れてきても、歩けなくなったりは、一切しません。長時間でも、問題なく歩いていました。
でも、買い物カートに頼って、いくら歩いていても、手放すと、直ぐに歩けなくなってしまいます。進歩が無さ過ぎます。それで、もう少し何か頑張ろうかな、と考えました。ただ、普通に歩行訓練を続けるには、自分には、克己心も根気も、足りません。
町内の買い物よりも、より運動量の多い、お楽しみのお出掛けを、探してみようかな、と考えました。あまり無理のない目的地を、設定してみる。出来れば、いざと言う時の為に、妻と一緒が良いかな、と。
色々とせこく、カップルの招待券を、手に入れようとしていました。県内の指導者の方の、クラシックのコンサートとか。小さな個人で運営されている美術館とか。クルマである程度迄行けて、駐車場にぶち込める。そこからは、そんなに歩かなくても良いところです。
それでも、地元のスーパーで、買い物カートに掴まって歩くよりは、運動になりそうです。それで、少しは、脚の筋力も、自信もつけてみたい、と。ただ、いざ行ってみると、これがなかなか。上手く行きませんでした。あんまり、長く歩けないのです。直ぐに、痺れが出てきてしまいました。
しかも、機会を重ねていても、いつまでも、向上しません。杖は、必ず、持っていくのですが。やはり、あんまり上手く使えません。不器用過ぎますね。持っていても、痺れが出てくると、立ち竦んでしまい、倒れそうになります。短い距離は、杖なしで歩いた方が、ましですから。杖は、自分には、まったく役に立ちません。逆に、買い物カートの、支えとしての優秀さ、痛感しました。
to be continued
一旦、早朝に目が、覚めてしまいました。ゴミ出しで出ると、何と❗️
下弦の半月でした。台風が、逸れてくれたので、朝から、こんな晴れになっていました。直撃に、なってしまった東北地方の方々には、御免なさい。昨日が、ワクチン接種で、今朝は、GSに、車検の為に、クルマの持ち込み。ケチって、代車なし。雨は、共に、一切なしで、助かりました。我ながら、さすがの悪運ですね。
今朝の、最低気温は、空港観測値で、21.9℃。予報より、少し、低かったですね。寝苦しさを、あまり感じず、良かったです。ただ、最高気温予測は、31℃。だいぶ、蒸し暑くなっています。それより、未明に、ちょっと、揺れました。茨城沖でした。また、昨日辺りから、福島沖から、茨城沖に掛けて、ちょっと揺れてますね。まだ、大震災の余震でしょうが、大震災割れ残りの茨城沖南部から、房総東方沖に、比較的近いので、嫌な感じがします。このコロナ禍に、また、巨大地震なんて、とにかく、勘弁して欲しいですね。