高槻市フォトウォッチングバックナンバー
<紹介文>普門寺は、慈雲山と号し明徳年間(14世紀末)に僧・説厳が創建したと伝えられ、釈迦如来と十一面千手観音を本尊とします。永禄年間(16世紀後半)には、室町幕府の管領細川晴元や14代将軍足利義栄が滞在、普門寺城とも呼ばれていました。柿葺き(こけらぶき)の屋根が美しい重要文化財の方丈(本堂)は永禄期の建築で、方丈内には襖絵、水墨画がある、江戸時代初期には、中国・明の高僧、隠元が宇治に万福寺を開くまでの間、ここに留まりましたが禅師が去ってから寂れ昭和初期まで専任住職が居ませんでした、その後昭和57年代に復興がされ、国名勝としての枯山水庭は江戸初期の名人造園師、玉淵の作庭、又境内の一角に細川晴元の墓と伝えられる宝篋印塔があります。
<紹介文>普門寺は、慈雲山と号し明徳年間(14世紀末)に僧・説厳が創建したと伝えられ、釈迦如来と十一面千手観音を本尊とします。永禄年間(16世紀後半)には、室町幕府の管領細川晴元や14代将軍足利義栄が滞在、普門寺城とも呼ばれていました。柿葺き(こけらぶき)の屋根が美しい重要文化財の方丈(本堂)は永禄期の建築で、方丈内には襖絵、水墨画がある、江戸時代初期には、中国・明の高僧、隠元が宇治に万福寺を開くまでの間、ここに留まりましたが禅師が去ってから寂れ昭和初期まで専任住職が居ませんでした、その後昭和57年代に復興がされ、国名勝としての枯山水庭は江戸初期の名人造園師、玉淵の作庭、又境内の一角に細川晴元の墓と伝えられる宝篋印塔があります。