古都散策

京都・奈良、全国の古都を散策し鑑賞した文化・建築等紹介し、咲く花の美しさや魅力を画像に収めたり想いを綴っています。

八坂神社②蘇民将来

2008-07-24 17:53:15 | Weblog
前回の西門前に疫神社があります。
ここに蘇民将来が祀られています。
昔、蘇民は貧しいにもかかわらず、旅人(牛頭天王)に食事を施し、宿泊させた。そのため天王から、今後、疫病が流行しても蘇民の子孫と言えば、のがれられると教えを受けました。
以来、祇園祭の時に授与される「蘇民将来子孫也」と言う粽(ちまき)になったと伝えられています。

八坂神社①西楼門

2008-07-23 09:17:21 | Weblog
八坂神社は祇園のシンボル的存在で7月の祇園祭、大晦日のおけら詣り、新年3日のかるた始めなどの行事は有名です。
祭神は、スサノオノミコト、クシナダヒメノミコト、ヤハシラミコガミ。
古くは祇園社と呼ばれ、全国祇園社の根本神社で1868年に現在の八坂神社に改名しました。
その起こりは876年に僧、円如が牛頭天王を迎えたが、この天王がスサノオノミコトとなって現れました。いわゆる厄病除けの神。
疫病の流行に際して、京都の人たちはこの神を祈って厄を追い払おうとしていた。こうして、祇園会(祇園祭)が始まったとか。平安時代中期から山鉾巡行も行われ、年々壮大な催しになっています。以後、祇園町の守り神として開運・招福、商売繁盛のご利益を授かる祇園さんと親しまれています。
東山に面する写真の西楼門は室町時代に建てられた重文で、ここから境内に入ると、町の老舗や芸・舞妓の名の入った提灯の火が揺れて独特の雰囲気が漂っています。

祗園祭③

2008-07-22 17:30:39 | Weblog
コンコンチキチン、コンチキチンとお馴染みの祗園囃子は八坂神社に向かう四条通では奉納のお囃子、また四条河原町交差点で方向転換すると町衆のお囃子になります。
今年も盛大に行われて終わりました。

祗園祭②

2008-07-21 09:01:10 | Weblog
祗園祭は7月1日の吉符(きっぷ)入りに始まり、約1ヶ月に亘って繰り広げられます。
山鉾の先頭は「長刀鉾」でその後はくじ取り順に山鉾が続きます。

祗園祭①

2008-07-20 09:48:34 | Weblog
日本三大祭の一つ、祇園祭の写真をお届けします。
17日、コンコンチキチン、コンチキチンの囃子に乗って鉾などが勇壮に巡行しました。
この祭は八坂神社の例祭で平安時代の疫病、非業の死を遂げた怨霊を鎮めるための朝廷の催事、御霊会が源とか。
一ヶ月に及ぶ祭のクライマックスが山鉾巡行です。

相国寺⑥枯山水庭園

2008-07-19 14:39:05 | Weblog
光明寺庭園の庭園も見事な枯山水庭園です。
何も考えずに、庭を鑑賞していると無我の境地に陥る感じです。
禅の世界は「無」と言うことが、何となく解るように思いました。
ここは境内自由なので、ゆっくり庭園美を満喫できました。

相国寺⑤大光明寺

2008-07-18 17:40:34 | Weblog
浴室からさらに境内を進むと、大光明寺があります。
ここは京都十三仏の普賢菩薩霊場でもあります。
庭園も見応えのある枯山水庭園で静寂さが漂っています。
禅寺の素晴らしさを満喫できますね。

相国寺④戦国時代の浴室

2008-07-17 17:56:13 | Weblog
法堂の西は浴室があります。
宣明(せんみょう)と呼ばれ、現存の室は1596年に再建されたもの。
蒸気浴と掛け湯式の合わせて行う方法で、戦国時代の浴室とはこういうものだったのかと、一種のカルチャーショックを受けました。

相国寺③方丈

2008-07-16 17:41:20 | Weblog
前回の法堂の向こうに方丈と庫裡があります。
方丈は1807年に再建されたもので、建物の北側を裏方丈と呼び、東西に長い枯流れになっています。
ココは次回にご紹介します庭園が見事です。
建物も僕の好きな建築様式が素晴らしいと思います。

相国寺②法堂(はっとう)

2008-07-14 17:39:29 | Weblog
総門をくぐり右に塔頭の王龍院、光源院などを、左に放生池や松並木を見ながら広々とした参道を進むと、威風堂々とした鐘楼、宗旦稲荷があり、その先が写真の重文・法堂です。
本瓦葺き、入母屋造りで一層で、五山の中では最も古いとか。
桃山建築の素晴らしさを今に伝えています。天井には狩野光信の「幡龍図」が描かれています。
法堂の東側には開山堂が建てられ、開山の夢想国師の木像が安置されていて、ここの庭は白砂を敷き詰め、周りに木々を植えた禅寺らしい枯山水庭園が広がって見どころ十分です。