古都散策

京都・奈良、全国の古都を散策し鑑賞した文化・建築等紹介し、咲く花の美しさや魅力を画像に収めたり想いを綴っています。

大覚寺③勅封心経殿

2007-02-28 18:46:48 | Weblog
第①で記したように、大覚寺は心経写経の道場です。
寺の写経の歴史は、わが国三筆の一人と言われた、嵯峨天皇(786~842)に始まったとか。
その頃、飢饉や疫病が流行、国家・国民を救うために、写経されたそうです。
写真の勅封心経殿には、その嵯峨天皇をはじめ、六人の天皇の写経が奉祀されています。
僕も行けば、必ず書経に取り組みます。時間にして、一時間足らず。まさに我を忘れて没頭します。
皆さんもいかがですか。

大覚寺②庭園

2007-02-26 18:08:06 | Weblog
前回で、大覚寺の建物の素晴らしさを紹介しましたが、ここは庭園も見ごたえがあります。
やはり門跡寺院だった故でしょうか。
庭園で樹木もさることながら、咲く花の素晴らしさ。華道「嵯峨御流」が受け継がれています。
手前の写真のテクニックが大きな理由ですが、庭園の写真を撮る難しさ。全体の良さをお見せしたいのですが、デジカメでは、一部の映像になってしまって。
実物をご覧いただくのが一番のようで・・・。

大覚寺①式台玄関

2007-02-25 12:21:57 | Weblog
大覚寺は、嵯峨天皇の離宮に始まり、お寺の正式な名は、旧嵯峨御所大覚寺門跡と言います。
この寺は、いけばなの嵯峨御流の総司所であり、また心経写経の道場で有名です。
帝の皇女で淳和天皇の皇后、正子内親王が出家後、ここを寺と創建されました。
代々、門跡寺院として天皇や皇族が訪れ、また南北朝時代には南朝の御所となりました。
境内には、天皇より下賜された宸殿、五大堂、御冠の間など重要文化財の建物が立ち並び、また天皇・皇族ゆかりの美術品や工芸品などが数多く有しています。
写真の玄関は、江戸時代の建造で、正面には狩野永徳の筆による「松に山鳥図」が掲げられています。

清涼寺③地獄から朝帰り

2007-02-24 16:59:21 | Weblog
境内・釈迦堂の西側に、薬師寺があり、「生の六道」と刻まれた石柱(写真)が立てられています。
何の変哲も無い普通の石柱ですが・・・。
地獄の閻魔(えんま)大王に仕えていた、小野篁(たかむら)は、夜になると、六道珍皇寺から冥界に出かけていました。
そして朝になると、地獄からこの井戸から抜け出して昼の朝廷勤務についたとか。
若い時は、よく徹夜で飲んで、朝帰りしていましたが、篁はなんと地獄から朝帰り。

清涼寺②義政と富子の銘入り鐘

2007-02-23 18:20:25 | Weblog
寺の境内に、梵鐘があります。1484年の日付と寄進者の中に、室町幕府将軍で銀閣寺を建てた足利義政、その妻、日野富子などの銘があります。
銀閣寺を建てた義政、不安定な頼りなかった室町幕府の財政を立て直すために、男勝りと言うのか大きな力を発揮した女性、しかし一方では巨万の富を築き悪女・悪妻と悪名高い、富子。
夫婦であるから当然ながら,対照的と言われる二人の名がある鐘。
たかが、鐘のことだけど、歴史は興味深いものです。
貴方と彼女、貴方と彼、どっちかな?

清凉寺(せいりょうじ)①本堂

2007-02-22 18:13:37 | Weblog
清凉寺は嵯峨釈迦堂とも呼ばれ、嵐山の駅から天竜寺を通って、そのまま北に約5分の位置にあります。
東大寺の僧、然(ちょうねん)が、983年に中国・宋に渡り、修行を終えて帰国。
中国から持ち帰った釈迦如来立像を安置しました。
写真の現存する本堂(釈迦堂とも言う)は、1701年に徳川五代将軍、綱吉公と生母・桂昌院が再建したもので、桃山初期の建築様式を残しています。
境内には、源氏物語の主人公、光源氏のモデルと言われる源融(みなもと・とおる)公の別荘跡に建てた阿弥陀堂もあります。

化野(あだしの)念仏寺

2007-02-21 18:22:31 | Weblog
化野念仏寺は京都市右京区嵯峨鳥居本化野町にあります。
古来より、あだし野の地は葬送の地で、寺伝によると弘法大師がこの地にお寺を開き、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したとか。
その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、浄土宗に属しています。
竹林と多聞塀に囲まれた境内には、八千体の石仏、石塔があります。兼行法師や西行法師も詠んでいるように、念仏寺にお参りして、人の命のはかなさを考える
機会になるのでは。
毎年、地蔵盆の夕刻に、寺内の無縁仏に霊にお供えする「千灯供養」に多くの人が訪れます。

愛宕念仏寺③ふれあい観音

2007-02-19 17:59:25 | Weblog
本堂の近くに「ふれあい観音堂」があります。
この堂には、眼の不自由な方のために心の眼と手で、仏の心に触れることを待っておられる金色の「ふれあい観音像」が祀られています。
眼の見える人も見えない人も、仏に触れることができ、その人たちの心の痛みを治していただけることが出来ます。
素晴らしいことだと思います。

愛宕念仏寺②本堂

2007-02-18 11:49:39 | Weblog
ここは寺伝によると、奈良時代以前に建てられた古刹とのこと。
現存する本堂は、鎌倉中期に再建されたものです。
簡素な和様建築ですが、他に見られない構造から、重要文化財に指定されています。
内には、本尊として、寺の再興の祖、千観上人の手による千手観音像が納められています。
以前、DAM(昔の第一興商)のカラオケで、歌手の長渕剛と故西村公朝師が、この本堂で師の描いた仏画を見ながら、楽しく話している姿が映像になっていました。
その映像に乗って、長淵が「人間」という曲を歌っていました。彼も師に心酔していたのでしょうか。
本堂にたたずんでいると、心が落ち着き、安心感に包まれます。

愛宕(おたぎ)念仏寺

2007-02-17 15:25:33 | Weblog
愛宕念仏寺は京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5にあり、嵐山から、さらに徒歩で北に約三十分の位置にあります。
ここの魅力は、一人ひとりが彫った羅漢像です。
笑っている顔、悲しんでいる顔、物思いにふける顔、怒りっぽい顔などさまざまの表情をしています。
これらは仏教の祖、釈尊とその弟子の五百羅漢の石像で境内を充満させようと、当時の住職で東京芸術大学名誉教授、故西村公朝師が呼びかけて、発願したもので
主旨に賛同した人たちが、次々と境内に集まり、各自が思い思いの仏像を彫り上げていきました。
今では、その数千二百体となりました。
境内を散策していると、それぞれがなんとも言えない趣きのある表情をしており、ほのぼのとした思いに包まれます。