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[JCJふらっしゅ] 2006-06-18 1097号 からの転載です。
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Y・記・者・の・「・ニ・ュ・ー・ス・の・検・証・」
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□■国会閉幕 各紙社説はいかに伝え、どう論じたか
国会が閉幕した。重要法案についての議論が深められず、政府与党は軒並み「継続審議」としたい意向だが、教育基本法改正案や自衛隊の「省」格上げ法案のように、わざと国会終盤に駆け込みで提出された重要法案がある。
狙いは政府に対する批判の矛先を変えること、そして「法案提出」の実績、痕跡を残しておくことだろう。今後の国内政治関連報道は、小泉首相の訪米、サミット、そして自民党の総裁選にスポットをあてることになるのだろう。従来の紙面づくり、番組づくりからいけば。だが、果たしてそのような他人任せ、政治家にいいように使われる報道で、今後もいいのかどうか。
新聞各紙が社説でこの国会を振り返っているので、それを紹介しながらいま市民とメディアが考えていくべきポイントを探索・整理しておくことにしよう。
17日付東京新聞社説のタイトルは
「国会閉幕 忘れ物は総裁選でぜひ」。
1月に召集されたこの国会に私たちは期待したが、中身の乏しい薄味な国会だった、とまして、以下の検証ポイントを提示した。
1 金銭万能の格差社会への傾斜の是非
2 規制緩和と安全・安心との関係
3 郵政公社や高速道路会社の民営化は「改革」と呼べるのか
4 小泉人事の妥当性について
5 米軍再編に伴う日本の負担や同盟のあり方
6 イラクの自衛隊撤収問題
7 こじれるアジア外交
8 国会終盤に駆け込み提出された教育基本法の改正や防衛庁の省昇格
その上で、「国会終盤に駆け込み提出された教育基本法の改正や防衛庁の省昇格などの法案成立を自民、公明両党が声高に叫んだのは、政権与党に注がれる厳しい視線の先を変えたかったからと取られても、仕方あるまい」と分析している。
政府与党は、本当はどこを突かれると痛かったのか、本来どこを国会で徹底検証すべきだったのか。政府与党は情報を握って離さず、この政権の5年間といま抱える重要な案件について、市民やメディアと真摯に幅広く議論を深めようとはしなかった。その意味から、東京新聞の「政権与党に注がれる厳しい視線の先を変えたかったから」という指摘は、鋭いところを突いているように思う。
また同社説は、今後について以下のポイントを挙げる。
A 国民の税で運営される国会、助成金で活動する政党が、国民の関心事に応えないのでは話にならない。とりわけ自民党に反省を求める。
B 次の国会までのほぼ百日間、同党が次の総裁選びへ政争だけに明け暮れするのでは醜い。
C 次期総裁は「改革」を取捨選択する任務も負うはずだ。小泉政治の評価、検証を逃げるようでは、後継争いのスタート台に立つ資格さえ怪しくなる。
D アジア外交について、小泉首相の靖国参拝をどう考えるか、うかがいたい。格差論をどう認識するか、財政再建、日米同盟のあり方でも、小泉手法の是非を語ってほしい。
E 立場上、発言をはばかるなら職を辞せばいいだけのことだ。発言を期待されながら黙り込む人があるとしたら、論外と言わねばならない。
続いて北海道新聞社説は、
16日付「国会閉会へ*首相が招いた消化不良」、
17日付「自民党総裁選*早くみたい政策の違い」を紹介しておく。
16日付で、「小泉政権の5年間を、しっかりと検証すべき国会だったのに十分な論議も聞かれず、なんとも締まりのないものとなった」とまとめた。
その上で、<会期を延長しないことが悪いのではない。会期は決まっており、よほどの事情でもない限り、会期末がくればそこで閉じるのが原則だ。だが、その終わり方が釈然としないのだ。駆け込みのように法案を出しながら、小泉首相は「総合判断」だとか「外交など、閉会してもやるべきことが山積している」と言って、会期延長を拒み続けた>として、国会を消化不良にした首相の責任を指摘する。
そして、以下3点を提言した。
A 今月から来月にかけて日米首脳会談や主要国首脳会議(サンクトペテルブルク・サミット)が控えるものの、残る時間を無為に過ごすようなら、何も任期いっぱい務めることもない。
B 積み残される教育基本法改正案や国民投票法案、防衛庁の「省」昇格法案などは、いずれも国の基本にかかわるもので慎重な判断や議論が必要だ。首相が交代する以上は継続審議ではなくいったん廃案にし、新しい政権の判断の下で仕切り直すのが筋だ。
C 民主党は対決路線を掲げる以上、国会の場でもっともっと政権を追い詰める姿を見せなければならなかった。
また17日付社説
「自民党総裁選*早くみたい政策の違い」では、今度の自民党総裁選で問われるのは、「5年余の長期政権となった小泉政治そのものだ」として、「出馬するなら、小泉政治をどう評価し、何を受け継ぐのか、あるいは改めるべきものはどう改めるのか、を示すこと」だと候補者に注文をつけている。
格差拡大の問題や、首相の靖国神社参拝問題でこじれた中国、韓国との関係をどう立て直すかなど、内政、外交全般にわたり、さまざまな問題点が浮き彫りになっている。それをどのようにしていくのかを候補者は示すべきであり、「候補の調整や合従連衡などで派閥が前面に出たり、劇場型のうわついた総裁選は見たくない」と断じている。これは政党に留まらず、メディアの取り上げ方、報道全般についていえることだろう。
続いて17日付琉球新報社説「通常国会閉会へ・重要な問題へ議論不十分」をみておこう。まず社説は以下を指摘している。
1 重要法案として提出した法案が自民党総裁選後の臨時国会へ先送りされるなど、 十分な議論の場が確保されたのか
2 在日米軍再編問題についても、「国民へ理解を求める」と繰り返しながら、国会 でどれほど議論が尽くされたのだろうか
3 年金の不正免除問題についても本格的な議論の場に上ったとは言い難い。
4 国の基本にかかわる問題が山積する中で、国会の議論が十分に尽くせなかったこ とは、有権者の負託と信頼を裏切るものだ
その上で次のように問題提起する。
教育基本法改正、組織犯罪処罰法改正案・共謀罪、防衛庁の「省昇格」法案など重要問題について、十分な時間をかけた議論が必要な問題であり、その限りでは継続は当然だと考えるが、問題は、提出の仕方だ。会期が残り少ない中で法案を提出し、「あとは後継者で」と言うのではおかしな話だ。そうであるならば廃案にし、あらためて国会へ提出。その考え方を示すべきだろう。
続いて全国紙――毎日新聞、朝日新聞、読売新聞の順にみておこう。
16日付毎日新聞社説のタイトルは
「国会閉会へ 失われた150日の責任は…」だった。
1 何もかもが中途半端に終わった150日間といっていいだろう。
2 衆院で与党が3分の2以上を占める中、始まった国会の当初のテーマは、ライブドア事件や耐震データ偽造事件など、小泉政治の「影」というべき4点セットだった。
3 追及する側の民主党がメール問題で自滅。以後、国会は開店休業状態に陥った。
4 民主党は小沢一郎代表が就任し、体制を立て直したが国会論戦は二の次だった印 象がある。
5 教育基本法改正案にせよ、国民投票法案にせよ、首相自身に熱意がなかった。
6 首相の最大関心事だった郵政民営化が実現した昨秋の時点で、既に小泉政権の目 標自体がなくなっていた。
7 「失われた150日間」を招いた最大の責任は小泉首相にあった。
8 与党も数をたのんで強引に採決に踏み切れなかったのは、いずれの法案も緊急性 に乏しく、国民に胸を張って成果を強調できるものではないと感じているからだろう。
9 例えば教育基本法改正は、改正されれば本当に教育はよくなると言えるのか。腰 が据わっているように思えない。
10 「ポスト小泉」に誰がなろうと、首相交代を機に、もう一度法案の必要性を吟 味し直すのも一案である。
前述した東京新聞、北海道新聞、琉球新報と比較するとソフトな論調ではあるが、(1)教育基本法改正は、改正されれば本当に教育はよくなると言えるのか、(2)首相交代を機に、もう一度法案の必要性を吟味し直すのも一案、との提起は意味がある。
朝日新聞は15日付社説で
「国会閉幕へ 拍子抜けの150日間」を掲げた。
1 政府予算は早々と成立し、それ以降の後半国会は「空白国会」と呼びたくなるほど盛り上がりを欠いた。巨大議席数のパワーの見せどころではないのかと、与党内には不満もくすぶっている。
2 首相は、この国会では5年間の改革路線でやり残したことや政策の方向を次の政権にきっちり引き継げればそれでいい、と思い定めていたふしがある。行政改革推進法を成立させ、国家公務員の削減などの数値目標や枠組みを確定させると同時に、7月にまとめる最後の「骨太の方針」で今後の財政運営などの基本方向を定める。
3 あとは米国訪問と主要国首脳会議(サミット)で外交を締めくくり、長期政権の花道を飾りたい――。 小泉商店の店じまいの時期という位置づけなのだろう。
4 与党の強い要請で教育基本法改正案などの国会提出までは受け入れたが、本格的な取り組みは次の政権に委ねた。「本来、与党と野党第1党が対立すべき法案ではない」という首相の指摘は正しい。なんとも潔い態度だが、店じまい優先のあらわれでもあるだろう。
5 「空白国会」は野党第1党の民主党の責任も極めて大きい。追及が本格化する矢先に、偽メール騒動でつまずいた。会期半ばで前原執行部が交代を余儀なくされ、自らの態勢の立て直しに追われた。
6 小沢新執行部は、対決路線を掲げるものの、米軍再編をめぐっても、本来、責任を負うべき首相に迫りきれないまま終わってしまった。
この社説のトーンは、国会の揶揄、自民・民主両党への風刺においているのか、米軍再編をめぐる民主党の追及の甘さに言及しているものの、朝日新聞として国会のありように主体的に迫ろうとする姿勢が伝わってこないのが残念だ。また教育基本法改正案などについて、<「本来、与党と野党第1党が対立すべき法案ではない」という首相の指摘は正しい>とする議論は、自民党の改憲強硬派を突出させてはいけないとする論法なのだろうが、その分、そのスタンスからは、現在の政治の問題点をきちんと読者に伝えられないという、日本の大手メディアに共通してはびこる提起の弱さを感じる。
読売新聞は15日付社説
「[重要法案先送り]「『国のかたち』に政略はなじまない」
で、重要法案の軒並み先送りを残念がっている。
1 今国会は、教育や国防など国の基本政策に関する法案が数多く提出された。
2 教育基本法改正案は、1947年の法制定以来初めて、国会審議の舞台に乗った。
3 国民投票法案は、60年近く続く立法府の不作為に終止符を打つものだ。この法律なしには、憲法改正という最も重要な国民主権は行使できない。
4 政府が防衛「省」昇格法案を国会提出したのも初めてだ。
5 小泉首相の、後継首相に重い「宿題」を残す姿勢には、首をかしげざるを得ない。
6 民主党が、教育基本法改正案と国民投票法案で対案を作り国会に提出しことで、改正論議は建設的なものとなったが、対案の提示も、政府案の審議や採決を阻む目的なら、旧社会党が常套(じょうとう)手段とした「反対のための反対」と変わらない。
7 「国のかたち」の法案を早期成立に導いてこそ、責任政党としての存在感が増す というものだ。民主党は政略に走るべきではない。
この社説のいわんとするところは、民主党が政権党をめざすならば、自民党と協力できるところは協力すべきだということだろう。それでこそ大人の党として有権者に認めてもらえるわけで、そういう姿勢でいればいつか政権のお鉢が回ってくるものだよ、という野党戒めのトーンで貫かれている。
このいい回しは、無用な争いを好まぬ社会にむかってのメッセージとしては聞こえがよいが、日本社会は日常的には無用な争いをさけ、「和」をもって尊しとする精神文化の環境は消え去ってはいないだろうが、その一方で江戸中期から後期にかけてはびこった「一揆」のように、申し合わせの一線を超えて「和」を乱すお上の行為には断固としてたたかうという精神風土も存続しているように思う。いや、いずれもが人間と人間社会がともに所持していてしかるべき性格といったほうがわかりやすいだろう。
端的に言って、この読売流社説に代表される旧社会党の「反対のための反対」批判は、政治的なプロパガンダである。現代において、偏ったイデオロギーとして認識されるべき言動であろう。これについて詳細に論じ始めるのは避けるとして、その「批判」がもつ世論誘導のねらい、民主主義社会において大部数を維持する新聞がその手の論調を堅持すること自体の社会的意味と影響力については、小泉政権の5年間を振り返り、検証する意味でも避けてとおれない問題を内包しているように思う。
反対のための反対を止め、対案を出し合って、建設的な議論をというのは小学生にもわかる理屈である。それは議論を主導する側から提示される「テーマ」自体に疑念を挟み込む必要がない場合にいえるわけだが、その正当性をめぐって議論が分かれるようなテーマの場合は、単純にそう言い切ることは危険でさえある。
また、政府・与党の進行に対案を出して議論に参加するのが正しく、廃案を求めるような野党は、政権をめざす政党として不適格といわんばかりの論は、野党に対して「自民党の自壊を待て」といっているに等しい。自民党が崩壊しない限り、政権党を維持存続させるのが野党のつとめであり、それが民主主義だと主張するに等しいのである。
私は大手新聞の、こうした誤った「改革者気取り」「正しい批判勢力気取り」の論説の体質は、日本の民主主義の健全な発展を阻害し、ゆがめてきたのではないかと感じている。ジャーナリズムがそのとき言うべきことを言わず、政権にこびる姿勢を糊塗するために先回りして生ぬるいと叱咤する。それは国会の論戦や政治家の言動も含めて、日本の言論の質を後退させ、停滞させる効果を果たしているのではないだろうか。
現代のジャーナリズムが担うべき建設的な政治批判とは、政権をなまぬるいとか、もっとがんばれなどと叱咤することではなく、政権の判断が日本国憲法に照らしてどうなのか、人々の命と生活と人権を大切にする観点からみてどうなのか、世界を平和に導いていこうとする立場からどうなのか、という点にある。
それは独りよがりの正義漢気取りでは済まない。大手新聞に蔓延する「事なかれ主義」「与党側に立った調停主義」「客観報道に名を借りた妙な評論家気取り」の論説こそ、市民の政治的関心の高まりを抑圧し、阻害し、日本の市民社会から言論の自由と独自性と個性尊重の芽を摘み取ってきたものではないだろうか。それは未だに続いており、より問題が深刻化している。
日本の国のかたち、進むべき道が「戦争か平和か」を問う法案を政府与党が提出しているにもかかわらず、政権の側に立つなら立つでその本質を提起すべきであるのに、それには手を染めようとしない。そうした新聞の立場からは、いかなる重要法案も行政事務的な色彩をもってその意義が語られ、法案の社会的、政治的意義や意味を深めて語ることは避けてとおる。野党を「批判のための批判」勢力としてけん制するだけの論説は、そうした文脈から市民によって、また競合するメディアによって見直される必要があるように思う。
ブロードバンド社会、ブログ社会の到来によって、情報の広範な普及・共有の時代が訪れ、それを基盤とした物言う人々の飛躍的増大と、市民記者勃興時代もその序章期を迎えようとしている。その時代に、マスメディアは公正、平和、命、人権にこだわった言論活動をリードすべきである。
人の命や生活や人権をないがしろにし、戦争を奨励するようなマスメディアがこだわるのは自分の会社の生き残りだけだろう。メディア企業における企業の論理の突出、言論報道機関としての自覚をかなぐり捨てたプレスの姿勢は、そのまま社会を構成する市民個々の人格と社会集団をつなぐ力を削ぎ、弱肉強食を奨励し、強者への同調と迎合を促す社会風潮の促進につながっているのではないか。
これは読売新聞の論説に留まらない。新聞に留まらない。記者が情報に振り回され、取材対象を追いかけることに汲々としたり、不正や犯罪に手を染めたりする状況、政治報道が永田町内部の構造や勢力争いに傾斜しがちの現状、記者が内部からの自己発展を期すことができずにいるような閉塞した社内状況が依然として広がっているのだとすれば、それはマスメディアの行く末を内側から強烈に警告するサインにほかならない。
そうしたメディア企業の内実を克服しない限り、政治の劇場化、政治家のキャラクター化、テーマや論争のゲーム化、エンタテイメント化はおさまらないのかもしれない。情報の受け手だけでなく、送り手側にとって深刻かつ重要な課題である。
東京新聞17日付社説 国会閉幕 忘れ物は総裁選でぜひ
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20060617/col_____sha_____003.shtml
北海道新聞16日付社説 国会閉会へ*首相が招いた消化不良
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?
&d=20060616&j=0032&k=200606167177
北海道新聞17日付社説 自民党総裁選*早くみたい政策の違い
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20060617&j=0032&k=200606177461
琉球新報17日付社説 通常国会閉会へ・重要な問題へ議論不十分
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-14575-storytopic-11.html
毎日新聞16日付社説 国会閉会へ 失われた150日の責任は…
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060616ddm005070026000c.html
朝日新聞15日付社説 国会閉幕へ 拍子抜けの150日間
http://www.asahi.com/paper/editorial20060615.html#syasetu1
読売新聞15日付社説 [重要法案先送り]「『国のかたち』に政略はなじまない」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060614ig90.htm