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突然思い出してしまった

2017年06月07日 | 
ので、記憶がはじける前に書き留めておくことにしたが、記録するほどの事ではない。
まあいっか・・・


1975年9月10日成田からロンドンへ向かった。
当時では一番安かったエアロフロート航空の片道切符を手にしてまずはモスクワへ飛んだ。
モスクワでスカンジナビア航空に乗り換えてコペンハーゲンでトランジット。
そして目的地ロンドンへといった2度乗り換えが必要なルートだったが、安いんだから仕方がないと思った。

まずはモスクワだ。
当時機体状態やサービス、食事など激しく評判が悪かったがここでも安いチケットだからねと諦めるしかなかった。
窓には水滴が凍り始め、食事は う~ん 口に合わない と噂通りのようだった。
只紅茶が美味かったのが唯一の救いだった。
モスクワでスカンジナビア航空の飛行機に乗り換え。
銃を手にした兵隊の間を緊張気味に待合室へ向かう乗客。
まだまだソビエトは自由な国ではなかった。
2時間後、誰も銃で打たれることなく無事乗り込んだスカンジナビアの機内はそれまでと打って変わってほ~っとしたのか明るい声が増え始めた。
皆自由をかみしめていたのだ。

9月11日コペンハーゲン、カストラット空港到着。
現在ではコペンハーゲン空港と呼ばれてるがて当時はかストラップ空港が通称名で今でも現地ではこう呼ばれている。
コペンハーゲンで3~4日ほどゆっくりしてロンドンへ向かうことにし、空港の案内所でホテルを決めた。
当時、海外旅の情報は殆どなく、ましてや現地のホテル情報もゼロに近かった。
と言うより、殆ど興味がなく調べないまま成田を飛び立ってしまったのである。
身分不相応な立派なホテルに到着しチェックインしたがこの時はまだ部屋代のことは気にしなかった。
バスルームの広さ、ベッドの大きさ、室内装飾など別世界の部屋に気分は盛り上がる一方。
無知だったせいか、ホテルでスコッチのボトルまでキープ。
このあたり日本人感覚丸出し。
そしてつまみにこれも日本でしょっちゅう食ってたポテトチップを注文。
どこにでもいる普通の若者の行動だった。
しかしスタッフの誰もが首を傾げた。
そして「ポテトチップ」が「クリスプス」っていうのが判ったのは暫くしてから。
無知だから仕方がなかった・・・

1975年のチボリ            最近のチボリ
  
殆ど同じ。


二泊目の朝、これまで幾らぐらいかとレセプションで聞くと「わ~っ、そんなに」という、目玉が飛び出るほどの金額。
当時海外持ち出しは1500ドルまで。
このままだとロンドンに着く前に破産してしまう。
当然安ホテルへ移動するしかなかった。
物価が高いので日本から持参した吸い物や食材をホテルの部屋で食べ、昨日までの大名旅行とは打って変わって節約節約の日々となった。
まあそれでもバスに乗って郊外へ。
観光情報持ち合わせてないので、勿論あてはない。
取り敢えず終点までという情報の無さだった。
小さなレストランでビール片手に、現地のお嬢様のスカイブルーの瞳や金髪に吸い込まれながら「にここは日本ではない」と実感。

市庁舎前広場
  

数日後、ロンドンへ向かった。

嫌われたお土産

2017年01月15日 | 
風がやや強かったせいか寒いと感じた今日。

寒さとは関係ないが、急に思い出したのがお土産。
昔は旅のお土産を買っていたが、あまりにも不人気なお土産のせいでその後「お土産はいらないよ」と嬉しい事を言われ、以後お土産から解放され今に至っているw
それがバンコクで買ったドリアンキャンディー
  (タイのスナックより

一見ミルクキャンディーっぽく口に入れる前は「ありがとう」の声が充満していたが

きっとこの味をイメージしてたんだろうねw
しかい直ぐにペッ ペッ。
皆さん期待した味とは正反対でしかめっ面した顔で睨まれ、その後誰も私の土産を期待しなくなった。


旅の話ついでに、ネパールのヒンドゥー教聖地ゴサインクンドへのトレッキングで、湖手前の宿の写真をTravel.jpで見た。
建物はさほど変わってない                            

昔はトイレは外の掘っ立て小屋だったが、現在は建物内にあるらしい。

ちなみにゴサインクンドはこう

この湖の小さな石を友人のお土産に1個持ち帰った。
友人は会社のデスクの上に置いたらしい。
丁度景気が良くなり彼の業績も上がり「流石に神の湖の石ですね。ご利益がありましたよ」と喜んでいた。

ついでに、トレッキングの起点になる町へのバス                         昔も今もバスはほぼ同じ
   
バスの床下にはトランクはないので天井上は重要なトランク代わりは相変わらず。
観光バスではなくローカルバスだから当たり前か・・・

小さな抵抗

2016年12月30日 | 
今年もあと一日。
昔は「ゆく年くる年」で正月を迎えたが最近は気づいたら新年w
介護があるので思うように休みがとれない。
なのに友人は私の好きな国タイでのんびりしてるらしい。
実に羨ましい・・・

悔しいので昔の写真と最近のを比べて時の移り変わりを観ながら小さな旅をすることにした。
やはりバンコク。
バックパッカー御用達の街カオサン
昔                                      Google Mapより
  
この数年カオサンには出向いていないが、昔と比べて随分すっきりしているが、本当かな?
この通りは便利だがタイの空気は希薄。
ちょっとカオサンを離れると濃厚なタイに出会えるので人の多すぎるカオサンはいつもあまり長い時間過ごさなかった。

やはり観光客に人気のホアヒン                       Google Mapよりり                      
  
昔と殆ど同じなのは王室専用駅舎だからかな?

ホアヒンの少し北のチャアム駅                       Google Mapより                               
  
多くの観光客はバンコクからバスを利用していたのでこの駅は閑散としていた。
きっと今もそうだろうな~

あまり観光客の姿のない小さな町チャイヤの駅                 Google Mapより                          
  
駅舎は風通しが悪くなってるみたいw
何時設置されたんだろう公衆電話。
最近はタイでも携帯がメインなので寂しい思いをしてるのかも。

クラビの日本人経営の店                            Google Mapより    
  
何度かバスや飛行機の手配をお願いしたことがある。
初めての時は併設されてる食堂で数週間振りの日本食が舌に浸みた思い出のひとつw

タイで一番美しい町と言われているトランのメインストリート              Google Mapより    
  

トランの駅舎                                   Google Mapより     
    
昔の方が解放感があって好きだな~
ミゼット型の車が未だに使用されてるんだ。

ウボンラチャタニ駅舎                                                                                                  
  
ここも暗い感じに見えるが・・・

ベトナムに飛んで、サファン駅                         Google Mapより
  

ニンビん駅                       Google Mapより
  

フエ
  
相変わらずピンクの駅舎。
駅前はずいぶんすっきりしてきている。

ナチャン駅                                    Google Mapより
  
お洒落な駅は相変わらず。
ベトナムの駅舎は十数年前と殆ど同じ。

こんなことしてる時、アイツは南国の太陽を楽しんでるんだろうな~
バ~イロ~と負け惜しみw

ラチャブリ

2016年11月24日 | 
湾岸は朝方から霙そして雪。
積もることはなかったのが幸い。
外気温より水温が高いからか・・・                                  寒そう                                
  


昨日から暑いタイの話。
殆どの人は興味のない町、ラチャブリ。


バンコクから南下した自転車ツーリング計画時、このラチャブリの事は全く知らなかった。
ところが一冊の本にラチャブリの事が取り上げられ、中でも特に興味を持った記事が駅前の閑散さ。
それまでのイメージでは駅前=賑わいだったが、いとも簡単に覆ってしまったラチャブリ、ムクムクと興味が沸いてしまった。
 (Google mapより)
ラチャブリ駅から繁華街までは約2kmも離れていたが旅の目的は閑散とした駅前と客を待つバイクタクシーやリキシャ。
旅をした時も記事通りちゃんとそこで彼らは客を待っていた。
当時はこれだけで満足した。
見所の殆どない町らしく市場、川沿いを散策し、像に顎を触られ歯がグラついてしまったりして過ごした町だった。
旅中                                                   現在
  (Google mapより)
殆ど変わってない、
時計台の色が変わった位で時間がゆ~っくり流れている。
急がない、いいね~
どーでもいいことだが、ラチャブリではペプシが強く、コカ・コーラとは殆ど出会わなかった。
ペプシの方が好きだから問題はなかったw

とまあ、今日の様な寒い日は南国でのことを思い出して温まるのがいいかもw

今は無きSpaek easyを思い出してしまった

2016年06月30日 | 
午前3時半、また中途半端な時刻に目が覚めた。
シャワーを浴びすっきりしたところで残っていたレコードの整理を始めているとなんとこんなのがあった。
  
日本人の誰も知らないと思うファンキーなグループ。
昔ロンドンで知り合った連中。
ある日スピーク・イージーで演奏するからおいでと言われて見に行った時、上のレコードをくれたのです。
しかし悲しいかな海の向こうでもパッとしなかった(笑)

このスピーク・イージーは今や伝説のライブクラブとして、店跡もなくなり若い人は全く知らないかも。
タクシーで「48 Margaret Street, please」と何度言ったんだろうか?
ロンドンタクシーのこと、車は店の前にピタリ。
流石だった。
 (A Dandy in Aspicより
ライブスペース、レストラン、バーがあり盛り上がるのは真夜中過ぎ。
当然ステージも11時過ぎから始まっていた。
バーはこんな感じ                                            残念ながらJ.ヘンドリックスとは一度も会ったことはない。
    
(写真はA Dandy in Aspicより)  
The Whoのキース・ムーンは派手な女性を従えしょっちゅうレストランで会った。
ジンジャー・ベーカーはステージ脇に陣取っているのを頻繁に見たが、いつも彼も周りには人がいなかった。
偶然かな~?
ジェフ・ベックと仲良くなったのはこの店のバーで。
彼はいつもオランダ航空のスタッフバッグにテレコを入れて気に入った連中のサウンドを録音してた。
しかしやはりロッド・ステュワートは光っていた。
入口近くでハーフ・パイントのビールを立って飲んでるだけで後光が射していたのは凄い。
当時はまだミュージッシャンの溜まり場という雰囲気が濃厚だった。

大物が顔を出すのでクラブのメンバーになるには審査があった。
有名ミュージッシャンのマネジャの紹介で
   

  
華麗にメンバーになることができたのはラッキー。
ちなみに当時1ポンド=640円。
今と比べると隔世の感がある。
申込書に当時の住所を書いていた。
早速Google mapで見てみた。
おんぼろの部屋だったが懐かしい。

建物は40年前と同じ。
部屋の前のバス停も待合ができてるが、場所は同じだ。
最寄りの地下鉄はEarls court。
下町の空気の濃いエリアで様々な国の人が暮らしていた。
なので結構バラエティに富んだ食事にありつけた。


国内版も数枚あった。

Row。
知ってる人は殆どいないかも。
そしてグループ解散後
  
新結成したのがポニー・テイル
個人的な付き合いがあったのでこうしてレコードが残っていたのかも。

さらに

ポップコーン
レコードのバックを演奏したのでその記念に貰ったような記憶が。
悪くないが、やはり売れなかった。
人の事は言えないが(笑)

レコード整理から走馬灯のように思い出が廻ったひと時だった。

バンコクの今昔

2016年06月24日 | 
写真家土井九郎氏の30年前のバンコクの写真を見た。
その中の一枚に
 (土井九郎氏のコレクションより)
この写真とほぼ同じ頃、ヤワラーにあるこの店にわざわざ足を運んだことがあった。
著名人を撮っていたという事で知っていたが当の店はかなり暇そうだった。
それでも数枚に知った顔があった。


1989年8月3日のホアラポーン駅                                 現在の駅は(Google Mapより)
  
ホアラポーン駅正面の写真はこれ一枚しか残ってない。
当時の構内には椅子がなかったが、いつの頃から椅子が設置された。
残念ながら当時の駅構内の写真はない。
昔と違うのは、右の通りに面した建物が建て替えられ手前のグリーンゾーンに像と柵が設けられてるぐらい。
今も昔も殆ど変わってないな~


1989年11月29日の運河沿いの民家                              1年前は(We♥Expediaより)
   
家屋の多くは改装されたり建て替えられたりしてるが基本的には運河に依存する生活は続いてるようだ。
運河からは悪臭が漂い、人々の足のボートも現地の人は頻繁に利用していた。
最近は水質も大分改善されたがまだまだ。


昔のバンコクについては避けて通れないジュライホテル。
バックパッカーをはじめ旅などに疲れた人達の拠点として伝説となった安宿。
旅で沈没という言葉はこのような宿から生まれたのかも知れない。
1994年8月15日              

翌年の1995年にこのホテルは閉館。

現在はクルン・カセーム・シークルン・ホテルとして営業を続けてるようだ(写真は1993年 イクモルさんより)
 
低料金で部屋も広く立地もいいので人気があるらしい。


1994年8月16日 北京飯店        
  
昔のバックパッカーがバンコクでお世話になった飯屋。
若い人は知らないかもしれないが昔は日本人の間では有名だった。

北京飯店は現在も営業中のようだが、恐らく昔ほどの知名度はないかも。
 (Travel123より)

昔は旅の情報は本などが主だった。
なので少ない情報に旅人は飛びつきそこは日本人になりがちだった。
そして当時かなり流行った旅行記にも取り上げられ、安宿や飯屋の知名度もどんどん上がった。
しかし海外で日本人とつるむなんて勿体ない。
そんな気がしたが自分も一か月も片言の英語などで旅するのは結構しんどかった。

無事に帰る

2016年03月25日 | 
1994年のネパール自転車旅の帰りにバンコクに立ち寄った時知り合った青年から「これからベトナムに行きます」と聞かされた。
当時ベトナムは興味範囲外だったので「気を付けて」ぐらいしか返事できなかった。
そして翌年、宝島社から発行されたこの本

気軽に読んでいるうちに一度行ってみようか、そんな好奇心が沸いていた。
そして1998年、ベトナムに向かった。
以後何度かベトナムを自転車旅をすることになった。
観光自由化になってまだ数年しか経っていなかったがすでに観光客で溢れていたのには驚き。
世界の若者は凄い!

「旅は無事に帰ってくること」をモットーにしていた小心者の私は何度か高い買い物をしたぐらいで済んだが、昨日トルコから強制帰国された若者も彼の母によると旅だと言ってるようだが、それにしてはずいぶん危険な地域を選んだもんだ。
彼の背景などは知らないが、それって旅?という疑問が浮かんだ。
まあ、無事帰ってこれたのが何より。
ともあれため息しかでない・・・

羨ましい

2016年02月18日 | 
今年はこの時期東南アジア自転車旅がかなり流行ってるようだ。
特に目に付いたのはベトナムとラオス。
今頃は季節もいいいので欧米人のサイクリストのサイトは大賑わい。
ソロより二人以上のグループが目立つ。
遠くから彼らの旅の様子を指を咥えて読むしかない。
まとまった時間が欲しいもんだ・・・

初めてベトナムツーリングをしたのは1998年
以後2回ほどベトナムのメコンデルタを走った。
  
ハノイ~サイゴン間は、昔は国道1号ぐらいしか地図に載ってなかったが数年前から海岸沿いに気分のいい道が建設されルート選択の幅が広がってるのが羨ましい。
殆どのサイクリストはGPSを常備しており技術の進化の恩恵を受け、ちょっとした迷子も比較的簡単に解決できるみたい。
紙地図の情報は古く、以前マレーシア東海岸を走っているとき地図に従うと道は行き止まりになっていたことがある。
なのでメインの道路を使うという冒険心の無さ。
兎に角頼りは紙地図だけだった。
カメラも現在ではデジカメがあって死ぬほど写真を撮れるが、昔は貧乏だったせいかフィルムを持参し、気軽に撮れる状況ではなかった。
その割にはろくな写真しか撮ってない(笑)

それと1998年にはベトナムでは一軒もなかったコンビニは現在では大きな街にあるので現地の物価が判りやすい。
昔は買い物ではいつも騙されていたに違いない(笑)
便利な世の中になったもんだ。


自転車の話のついでに、今日「自転車用レインウエアでトラブル続々 生活センターが注意喚起」というニュースが
事故の大きな理由は
・ウェアが車輪に巻き込まれる
・視界が狭くなる
らしい。
某通販サイトでも自転車用にポンチョが販売されている。

購入者のレビューを見ると事故の危険性に触れたものは殆どない。
ポンチョ以外の自転車用のレインウェアだとこういった問題はかなり解決されてるんだけど、気にしない人が多いようだ。

マドリッドを思い出した

2016年01月08日 | 
新年早々、中東はかなり危険な国際情勢にはいってしまったようだ。
平和ボケしている我々には現地の様子は想像できない。

1975年、スペインでは独裁政治がフランコ総統の死去によって終止符が打たれたが政情はかなり不安定であちこちで小さなテロや暴動が起こっていた。
丁度その直後スペインを旅した折、数人が逃げまどい彼らを追う数人が目の前で発砲そして足元に弾丸の火花が。
日本では考えられない事を目の当たりにした。
特に日が暮れるとかなり危険だった。

しかし、しがない旅人は能天気に観光を楽しんだ。
マドリッドでは昼間は大衆浴場へ行ったり、プラド美術館へ何度も足を運んだり、プエルタ・デル・ソルを中心に歩き回った。
 (Google mapより)

   (Google mapより) 
ソルで立っていると隣のお嬢様の上唇の上に明るい陽光のせいで口髭(?)が黄金に輝き、爽やかな風にふわふわたなびいていたのにはびっくりした。
まあそこまでは長くはなかったが、日本では見たことがなかったのでショック。
そしてまだ二十代の青年だったがスペインのお嬢様とはほどほどに触れ合うようになった思い出が(笑)

そして時間があればマヨール広場でボケーっとして過ごした。
(Google mapより) 

夜になると、危険よりは若さのなせる好奇心のせいかマヨー広場周辺の店へ潜入。
数回通ったのが「ラ ギターラ」
 (Google mapより)

スペインの空気が充満
 (Google mapより) 
2度目にこの店に入ると、丁度アメリカ観光客が大勢いたので店のスタッフから渡されたギターで当時のアメリカでのヒット曲を弾くと大喝采。
殆どの観光客が英語で大合唱を始めてしまった。
あれっ? ここはスペインじゃあないの、とは思わず調子にのって弾き続けてしまった。
後で店のスタッフから「お前は有名なのか?」と聞かれておおいに困ってしまった。
正直な話、フラメンコは今でも全く弾けない・・・(笑)



旅の話ついでに、結構面白い動画を追加

35年が過ぎた

2015年12月08日 | 
12月4日にBeatlesの像がリバプールに建てられたのいうニュースが。
詳細はConnecting Liverpool to the world
   

そして今日はJhon Lennonの命日。

1980年の出来事だから四半世紀以上も経ってしまっているが、相変わらず影響を保ち続けているのが凄い。


もう一つ、今日は真珠湾攻撃をした日。
12月8日は記憶に残る日だ。

トリ

2015年11月08日 | 
先日「焼き鳥食べたい」という奥様が。
我がプチプチと音を立てて崩れつつある脳細胞をフル回転してみたが、豊洲界隈では思い浮かばなかった。
今朝、そんな話が急に脳裏に浮び、まあ鳥ってことで目の前に

何かを発見したようだ。
そして

ビニール袋で遊び始めた。

・・・昔の映画を思い出してしまった。
ヒチコックの「鳥」

鳥が人間を襲うという内容の映画。
見終わって新たにカラスに恐怖心を覚えた。
そして大量に群がる鳥を見たらどうするか、といった妄想を持ち始めたきっかけの映画だった。

悲しいかな体型が映画の監督のヒチコックに似てきたがこれは真似したくない(笑)

結局は

2015年10月27日 | 
ほぼ日課にになってる近場ポタリングだが、無目的で出発すると気づいたらお台場方面へハンドルを向けていることが多い。
別に悪いことではないが・・・
そんな事で今日もここへ
9月の大雨で荒れたビーチはやっと機械で均されていた


こんな具合                                          それにしても人が少ない    
  

引き返す途中、消えたエアコン                              暑い時期には
  

そして人だかりが


長い行列だった。

当然横目に素通りです。

現地の味

2015年09月08日 | 
コンビニで買い物を済ませ父の元へ。

今日はずぶ濡れ覚悟で自転車を走らせた。
予想通りしっかりと濡れ鼠になってしまった(笑)


・・・すっかり秋の気温になってきたが頭の中はまだ夏が残っている。
8月の海でのビールが美味かったのを度々思い出す。
そうだ、もう2週間以上酒を口にしてない。
まずい・・・
そんな時こんなのを見た。
  
この写真はhttp://www.globalnewsasia.com/article.php?id=2480&&country=2&&p=1#photoからのもので、記事にはホアランポーン中央駅近くの歩道の屋台について書かれていた。

バンコクには数え切れない程足を運び、何度かこのあたりのゴザの露店で時間を過ごしたことがある。
「飲むと目がつぶれるよ」とおかしく言われているメコンウィスキーに辛い辛いイサーンのパパイヤサラダは暑いバンコクの夜にピッタリだった。
とても東京では口にしたくない辛さだがタイでは不思議に喉を通ってしまう。
よく「現地そのままの味です」と言うレストランがあるが、わたしゃ~やはり日本人に合わせてくれた料理の方が好み。
現地の味を求めるなら、現地へ行って食えばいいだけのこと。
まあ好奇心で現地の味を試すのはいいかも知れないが・・・


バンコクの話ついでに青空に流星がタイ各地で見れたらしい。

まるで映画のようだ。
流星と言えば、今年のペルセウス座流星群は東京では生憎の天気で見れなかったが、世界各地では今年は当たり年だったようだ。
う~ん・・・

青い海を見に豊岡海岸へ

2015年08月05日 | 
葛西臨海公園、お台場そして稲毛ビーチの茶色い海を見て、海=青いの確認をしに千葉県内房の豊岡海岸へ出掛けた。

普段殆ど利用しない電車なので現状はよく判らないが、有楽町線でこんなの発見。
  
火事の時にはってことで、英語、中国語そしてハングル語が表示されていた。
海外からの人には有難いかも。
ところが日本語がない。
日本人は皆知ってるんでしょうかね~?

新木場で京葉線に乗り換える。
丁度通勤時。
人の流れがかなり落ち着いたが、人混み苦手の私はやはりぼ~っとしてしまった。


蘇我で内房線の特別快速に乗り換え。
これぐらい空いてれば・・・


10時過ぎ富浦到着。


駅前は今もシャッターが


まずは原岡海岸へ向かう。
  

人がすご~く少ないではありませんか。

2年ぐらい前までは、今の時期キャンプ場として開放されかなりの賑わいを見せていたが、管理する方がいなくなってから町もビーチも閑散としてきている。
20年ほど通っているのでなんだか寂しい。

しかし、隣の豊岡海岸は

地味ながらもまだ海の家も頑張っていた。

豊岡海岸 10時45分


13時58分


15時37分

4時前には2軒の海の家のうち一軒はクローズ。
ライフセーバーも監視台を仕舞い、そろそろ帰る準備を。

さて、この豊岡海岸は小さな子連れの家族ばかりが目に付いた。
若い人は殆ど見当たらない。
じつに平和な海水浴場なのです。

ひたすら日光にあたり、体が火照ったら海へドボンの繰り返し。


目の前では海の家のご主人が
    

そしてライフセーバーは
    
数名のライフセーバーの今日の主な仕事が流された浮き輪の回収。
2度ほど回収して持ち主に渡していた。
海難事故がないのが幸い。

海と言えば、定番のこれ
  
味については文句は言いません。
この海水浴場は昔ながらのメニューしかないのです。
決して江ノ島あたりの今風の海の家と比べてはいけません。
ここはしみじみと昔と変わらない海の家を営んでいるのですから・・

さて肝心の海の透明度と青さだが
  
透明度は内房なのであまり期待は出来ないが、まあ許容範囲内なので良し!!としましょう。
そしてやはり海は青かった!

ご飯

2014年10月26日 | 
ご飯大好き人間、つまり炭水化物の過剰摂取で危険ゾーン突入。
判ってはいるものの、ご飯が・・・
と言うことで、私の家のボロ炊飯器が
  
1分ぐらい続いてしぼんでしまいました。

立派な炊飯器を買った父は少食なので昼のヘルパーさんの炊飯が面倒になりついにこれのお世話に

便利なのはいいが結構無駄なお金が・・・


ごはんと言えば、やはりカオマンガイ。
この数ヶ月食べてないせいか、食指が動き、木場の「プイ」にと思ったが今日は帰りが遅くなり時間切れ。

カオマンガイはシンガポールやマレーシアで食べたことがありますが、やはりバンコクの「ラーン・ガイトーン・プラトゥーナム」が懐かしい。
店員さんの制服がピンクなので遠くからでも目に付きます。
 (バンコクナビより)

かなりシンプルですが・・・                         少し辛目のたれをかけると
   
(アジア写真帳より  http://www.e-asianmarket.com/asia/index.html)
数年前で40バーツ(当時120円)で十分満足。
ただ私の滞在場所からだと徒歩で1時間以上、タクシーでも20分位と少し離れていたのがなんとも・・・