平成23年(2011年)1月28日(金)、佐渡高校野球部、佐渡島民、島の球児たちの「悲願」
だった甲子園の扉がついに開きました。
第83回選抜高校野球大会の21世紀枠3校に選出され、「甲子園で戦え!」って呼ばれたんです。
この日までの48年間にどれだけの先輩たちが、憧れ挑戦し敗れ涙し続けたであろう聖地「甲子園」。
それは、離島佐渡の人たちにとっても「夢のまた夢」となりかけた存在でもあったんです。
しかし、一人の男の熱意が誰も信じなかった夢を現実に変え、新たな歴史を創りました。
離島の持つハンディや意識を成長の糧に、甲子園に挑んだ佐渡高校野球部の戦いを新聞記事など
から紹介したいと思います。
まずは、新潟日報(1月29日、土)から
○県勢初センバツ2校
佐 渡 21世紀枠で出場
日本文理 春夏通じ9度目
3月23日に開幕する第83回選抜高校野球大会(甲子園)の出場32校を決める選考委員会が28日、大阪
市内で開かれ、昨秋の北信越大会で準優勝した日本文理(新潟市)の2年ぶり4度目の出場と、21世紀
枠の佐渡(佐渡市)の初出場が決まった。本県の2校同時出場は初。21世紀枠での出場は2003年の柏崎
以来。創部48年の佐渡は佐渡島内の高校で初めて甲子園の土を踏む。
佐渡は主戦の鎌田侑樹投手が力投して県大会準優勝。初めて臨んだ北信越大会は、初戦で佐久長聖
(長野)に0-6で敗れたが、離島のハンディを克服して好成績を残したことなどが評価された。
選考委から出場決定の連絡が両校に届くと、選手や関係者は喜びを爆発させた。佐渡の仲川篤志主将
は「興奮を抑えるのに必死だった。自分たちの力だけではここまで来られなかった。感謝の気持ちでい
っぱい」と声を弾ませた。組み合わせ抽選会は3月15日に行われる。
○日報抄
このところ活躍が目覚ましい県高校野球の歴史に、また新たな1ページが刻まれた。春のセンバツに
日本文理と佐渡の2校が出場することが決まったのだ。
中でも21世紀枠で選ばれた佐渡は佐渡勢として初の甲子園だ。全員が佐渡っ子で、試合や遠征時には
朝3時に起き、帰宅は深夜という生徒もいるという。フェリーでは他の乗客が降りてから最後に降りる
姿は、島民にはおなじみという。島民の喜びもひとしおだろう。
チームを率いる深井浩司監督は2003年に柏崎の部長として甲子園の土を踏んでいる。1回戦で斑鳩
(奈良)に1-2で惜敗、甲子園の素晴らしさ厳しさを味わった。5年前に佐渡に赴任すると「本気で甲子
園に行く気があるのか」と部員の意識改革を進めた。
3年目の08年には夏の県大会決勝まで進み延長11回の末敗れたが、あと一歩に迫った。今回も秋の県大
会は堂々の準優勝だった。21世紀枠だからといって臆することはない。これまで23校中9校が初戦に勝ち、
2校が4強入りしている。万全の準備をして本番に臨んでほしい。
一昨年夏の甲子園で準優勝した日本文理は、センバツでも県勢の歴史を塗り替えている。5年前に初出
場し県勢初勝利を挙げると、2回戦も勝ってベスト8に進んだ。県勢7回目の挑戦、大会は78回を数えていた。
今回も両校への県民の期待は高い。でも選手たちには、伸び伸びプレーしてもらいたい。入場行進の
曲は「ありがとう」だ。土の上で野球ができることを感謝し、楽しんでほしい。そうすればきっと結果は
付いてくる。
○きょうの人 選抜高校野球大会の21世紀枠で初出場を果たした佐渡高校監督
深井 浩司(ふかい こうじ)さん(48)
佐渡勢として初の甲子園。足掛け5年で夢が現実となった。「佐渡の子どもたちにも甲子園の土を踏ませ
てあげられる」。出場決定の瞬間は万感の思いがこみ上げた。
長野県出身。丸子実高(現丸子修学館高)では主将を務めた。大学卒業後は都内の児童養護施設に勤務。
やりがいを感じつつも、毎年夏が来ると選手として行けなかった甲子園への思いがよみがえった。29歳の時、
妻華子さんの地元新潟に移ることになり一念発起。「行かないで」と悲しむ施設の子供たちに甲子園を約束
し教師の道に進んだ。
2003年春、柏崎高が21世紀枠で甲子園に出場した時は野球部部長。「監督としてチームを作ってみたい」。
家族も思いを後押しし、06年4月に単身で佐渡に渡った。
「人間力を付けないと野球もうまくならない」が信条。生活習慣の大切さなどを記した「選手心得」を
全員に配布し、同校初の県外遠征も行った。就任前には地区大会でコールド負けしていたチームが08年夏、
10年秋と県大会で2度準優勝を飾るまでになった。
「授業中はギャグを言ったりして優しいけど、グラウンドでは真剣。その姿がうれしい」とある選手。指
導は厳しいが、叱った後は褒め、控え選手にも気を配る。「人間としての生き方を学んだ」という養護施設
での経験が指導の根底にある。
上越市の自宅に帰るのは年に5回ほど。趣味の釣りもほとんど行けないが「佐渡にいる間は、好きな野球を
思い切りやりたい」と野球少年のような笑顔で話した。家族は妻と2女。社会科教諭。
○社説 快挙が島民に勇気与える(センバツに2校)
3月23日から甲子園球場で行われる第83回選抜高校野球大会に、日本文理高と佐渡高の出場が決まった。
センバツに本県から同時に2校出場するのは初めての快挙である。両校に「おめでとう」の言葉を贈るとと
もに、大会での活躍を期待したい。
日本文理高は昨秋の北信越大会の準優勝校だ。一昨年の甲子園では準優勝もしている。これまでの実績も
含め順当な選出と言っていい。
一方、佐渡高は21世紀枠に北信越地区から推薦されていた。21世紀枠は困難な状況を克服するとともに、他
校の模範となる社会奉仕など戦力以外の要素が加味される。本県からの選出は2003年の柏崎高以来である。
佐渡高は本県特有の雪、そして離島という二重のハンディを見事にはね返した。毎週末の島外遠征などで
力をつけ、昨秋の県大会決勝では日本文理高と堂々と渡り合っている。
戦力面でも全国各地区から推薦された他の8校と比べてそん色ないと思われる。21世紀枠の趣旨に照らせば、
妥当な選出であろう。
何より、佐渡高の出場は離島の球児だけでなく、そこに住む人々に大きな勇気と自信を与えてくれるはずだ。
若者の島外流出、少子高齢化、どこの離島も同じ悩みを抱えている。活気が失われ、閉塞感が漂う。そんな
重苦しい雰囲気を島の若者たちが振り払う。その面からも佐渡高の出場は大きな意義を持つ。
「やればできる」。佐渡高ナインが教えてくれることは多い。かつて島の球児たちは、どれだけ本気で甲子
園を目指していたか。夢のまた夢の舞台でしかなかったはずである。
だが、佐渡高ナインは違っていた。甲子園出場という具体的な目標を掲げ、離島という悪条件を言い訳にせ
ず練習を重ねてきた。その努力が報われたのである。大いに胸を張るべきだ。
本県は長く野球後進県と呼ばれてきた。センバツの長い歴史の中でも、県勢が出場した大会は、今回を入れ
ても10回しかない。勝ち星を挙げたのは06年の日本文理高が初めてだった。
雪国のハンディはそれだけ大きかったということだろう。まれに出場しても選手たちは甲子園の雰囲気に最
初からのまれていた。持てる力を出し切れず、ホームベースすら遠かった。
だが様相は大きく変わってきている。日本文理高の準優勝に続き、昨夏も新潟明訓高が8強に駒を進めた。室
内練習場などの整備が進み、3万人収容の県立球場も誕生した。弱小県返上の条件はそろったといっていい。
今度はセンバツに2校、しかも1校は春夏通じて初めての佐渡勢である。この勢いを大切にしたい。
だった甲子園の扉がついに開きました。
第83回選抜高校野球大会の21世紀枠3校に選出され、「甲子園で戦え!」って呼ばれたんです。
この日までの48年間にどれだけの先輩たちが、憧れ挑戦し敗れ涙し続けたであろう聖地「甲子園」。
それは、離島佐渡の人たちにとっても「夢のまた夢」となりかけた存在でもあったんです。
しかし、一人の男の熱意が誰も信じなかった夢を現実に変え、新たな歴史を創りました。
離島の持つハンディや意識を成長の糧に、甲子園に挑んだ佐渡高校野球部の戦いを新聞記事など
から紹介したいと思います。
まずは、新潟日報(1月29日、土)から
○県勢初センバツ2校
佐 渡 21世紀枠で出場
日本文理 春夏通じ9度目
3月23日に開幕する第83回選抜高校野球大会(甲子園)の出場32校を決める選考委員会が28日、大阪
市内で開かれ、昨秋の北信越大会で準優勝した日本文理(新潟市)の2年ぶり4度目の出場と、21世紀
枠の佐渡(佐渡市)の初出場が決まった。本県の2校同時出場は初。21世紀枠での出場は2003年の柏崎
以来。創部48年の佐渡は佐渡島内の高校で初めて甲子園の土を踏む。
佐渡は主戦の鎌田侑樹投手が力投して県大会準優勝。初めて臨んだ北信越大会は、初戦で佐久長聖
(長野)に0-6で敗れたが、離島のハンディを克服して好成績を残したことなどが評価された。
選考委から出場決定の連絡が両校に届くと、選手や関係者は喜びを爆発させた。佐渡の仲川篤志主将
は「興奮を抑えるのに必死だった。自分たちの力だけではここまで来られなかった。感謝の気持ちでい
っぱい」と声を弾ませた。組み合わせ抽選会は3月15日に行われる。
○日報抄
このところ活躍が目覚ましい県高校野球の歴史に、また新たな1ページが刻まれた。春のセンバツに
日本文理と佐渡の2校が出場することが決まったのだ。
中でも21世紀枠で選ばれた佐渡は佐渡勢として初の甲子園だ。全員が佐渡っ子で、試合や遠征時には
朝3時に起き、帰宅は深夜という生徒もいるという。フェリーでは他の乗客が降りてから最後に降りる
姿は、島民にはおなじみという。島民の喜びもひとしおだろう。
チームを率いる深井浩司監督は2003年に柏崎の部長として甲子園の土を踏んでいる。1回戦で斑鳩
(奈良)に1-2で惜敗、甲子園の素晴らしさ厳しさを味わった。5年前に佐渡に赴任すると「本気で甲子
園に行く気があるのか」と部員の意識改革を進めた。
3年目の08年には夏の県大会決勝まで進み延長11回の末敗れたが、あと一歩に迫った。今回も秋の県大
会は堂々の準優勝だった。21世紀枠だからといって臆することはない。これまで23校中9校が初戦に勝ち、
2校が4強入りしている。万全の準備をして本番に臨んでほしい。
一昨年夏の甲子園で準優勝した日本文理は、センバツでも県勢の歴史を塗り替えている。5年前に初出
場し県勢初勝利を挙げると、2回戦も勝ってベスト8に進んだ。県勢7回目の挑戦、大会は78回を数えていた。
今回も両校への県民の期待は高い。でも選手たちには、伸び伸びプレーしてもらいたい。入場行進の
曲は「ありがとう」だ。土の上で野球ができることを感謝し、楽しんでほしい。そうすればきっと結果は
付いてくる。
○きょうの人 選抜高校野球大会の21世紀枠で初出場を果たした佐渡高校監督
深井 浩司(ふかい こうじ)さん(48)
佐渡勢として初の甲子園。足掛け5年で夢が現実となった。「佐渡の子どもたちにも甲子園の土を踏ませ
てあげられる」。出場決定の瞬間は万感の思いがこみ上げた。
長野県出身。丸子実高(現丸子修学館高)では主将を務めた。大学卒業後は都内の児童養護施設に勤務。
やりがいを感じつつも、毎年夏が来ると選手として行けなかった甲子園への思いがよみがえった。29歳の時、
妻華子さんの地元新潟に移ることになり一念発起。「行かないで」と悲しむ施設の子供たちに甲子園を約束
し教師の道に進んだ。
2003年春、柏崎高が21世紀枠で甲子園に出場した時は野球部部長。「監督としてチームを作ってみたい」。
家族も思いを後押しし、06年4月に単身で佐渡に渡った。
「人間力を付けないと野球もうまくならない」が信条。生活習慣の大切さなどを記した「選手心得」を
全員に配布し、同校初の県外遠征も行った。就任前には地区大会でコールド負けしていたチームが08年夏、
10年秋と県大会で2度準優勝を飾るまでになった。
「授業中はギャグを言ったりして優しいけど、グラウンドでは真剣。その姿がうれしい」とある選手。指
導は厳しいが、叱った後は褒め、控え選手にも気を配る。「人間としての生き方を学んだ」という養護施設
での経験が指導の根底にある。
上越市の自宅に帰るのは年に5回ほど。趣味の釣りもほとんど行けないが「佐渡にいる間は、好きな野球を
思い切りやりたい」と野球少年のような笑顔で話した。家族は妻と2女。社会科教諭。
○社説 快挙が島民に勇気与える(センバツに2校)
3月23日から甲子園球場で行われる第83回選抜高校野球大会に、日本文理高と佐渡高の出場が決まった。
センバツに本県から同時に2校出場するのは初めての快挙である。両校に「おめでとう」の言葉を贈るとと
もに、大会での活躍を期待したい。
日本文理高は昨秋の北信越大会の準優勝校だ。一昨年の甲子園では準優勝もしている。これまでの実績も
含め順当な選出と言っていい。
一方、佐渡高は21世紀枠に北信越地区から推薦されていた。21世紀枠は困難な状況を克服するとともに、他
校の模範となる社会奉仕など戦力以外の要素が加味される。本県からの選出は2003年の柏崎高以来である。
佐渡高は本県特有の雪、そして離島という二重のハンディを見事にはね返した。毎週末の島外遠征などで
力をつけ、昨秋の県大会決勝では日本文理高と堂々と渡り合っている。
戦力面でも全国各地区から推薦された他の8校と比べてそん色ないと思われる。21世紀枠の趣旨に照らせば、
妥当な選出であろう。
何より、佐渡高の出場は離島の球児だけでなく、そこに住む人々に大きな勇気と自信を与えてくれるはずだ。
若者の島外流出、少子高齢化、どこの離島も同じ悩みを抱えている。活気が失われ、閉塞感が漂う。そんな
重苦しい雰囲気を島の若者たちが振り払う。その面からも佐渡高の出場は大きな意義を持つ。
「やればできる」。佐渡高ナインが教えてくれることは多い。かつて島の球児たちは、どれだけ本気で甲子
園を目指していたか。夢のまた夢の舞台でしかなかったはずである。
だが、佐渡高ナインは違っていた。甲子園出場という具体的な目標を掲げ、離島という悪条件を言い訳にせ
ず練習を重ねてきた。その努力が報われたのである。大いに胸を張るべきだ。
本県は長く野球後進県と呼ばれてきた。センバツの長い歴史の中でも、県勢が出場した大会は、今回を入れ
ても10回しかない。勝ち星を挙げたのは06年の日本文理高が初めてだった。
雪国のハンディはそれだけ大きかったということだろう。まれに出場しても選手たちは甲子園の雰囲気に最
初からのまれていた。持てる力を出し切れず、ホームベースすら遠かった。
だが様相は大きく変わってきている。日本文理高の準優勝に続き、昨夏も新潟明訓高が8強に駒を進めた。室
内練習場などの整備が進み、3万人収容の県立球場も誕生した。弱小県返上の条件はそろったといっていい。
今度はセンバツに2校、しかも1校は春夏通じて初めての佐渡勢である。この勢いを大切にしたい。
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