31 吾嬬の森連理の梓
吾嬬の森は、亀戸梅屋敷の北、北十間川の北岸にあった。
ここに日本武尊の妃、弟橘媛を祀った吾嬬権現社が鎮座し
その境内には一本の楠木が立っていて、地上4尺辺りで二股に別れていた。
この木を連理とか、相生とかの楠木と言って、神木になっていた。
今では森だった所も住宅地となり、神社が目立たなくなっている。
この近くには、花王の工場が建っている。
神社の目の前を流れる北十間川の水量は少なく、水質も悪そうで
舟遊びをする事も、物資を運ぶ事もなさそうだ。
神木の由来…日本武尊が軍を率いて相模国から上総国へ渡ろうと船に乗った。
ところが海が荒れ船が沈みそうになったので、妃の弟橘媛が海神を鎮める為に入水した。
これにより日本武尊は無事に海を渡る事が出来た。
その後、弟橘媛が着ていた着物が吾嬬の森の近くに漂着したので、
吾嬬の森に壇を築いて収め、まがきを巡らせて廟を造らせた。
日本武尊は姫の霊を鎮めてから食事をし、その際に使った楠箸2本を
廟の東に挿した。後に箸に枝葉が出てきてくっつき一根二幹の楠に成長した
この木は男女の契りの深い事を象徴しており、これを連理という様になったというものである。
吾嬬の森は、亀戸梅屋敷の北、北十間川の北岸にあった。
ここに日本武尊の妃、弟橘媛を祀った吾嬬権現社が鎮座し
その境内には一本の楠木が立っていて、地上4尺辺りで二股に別れていた。
この木を連理とか、相生とかの楠木と言って、神木になっていた。
今では森だった所も住宅地となり、神社が目立たなくなっている。
この近くには、花王の工場が建っている。
神社の目の前を流れる北十間川の水量は少なく、水質も悪そうで
舟遊びをする事も、物資を運ぶ事もなさそうだ。
神木の由来…日本武尊が軍を率いて相模国から上総国へ渡ろうと船に乗った。
ところが海が荒れ船が沈みそうになったので、妃の弟橘媛が海神を鎮める為に入水した。
これにより日本武尊は無事に海を渡る事が出来た。
その後、弟橘媛が着ていた着物が吾嬬の森の近くに漂着したので、
吾嬬の森に壇を築いて収め、まがきを巡らせて廟を造らせた。
日本武尊は姫の霊を鎮めてから食事をし、その際に使った楠箸2本を
廟の東に挿した。後に箸に枝葉が出てきてくっつき一根二幹の楠に成長した
この木は男女の契りの深い事を象徴しており、これを連理という様になったというものである。
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