平らな深み、緩やかな時間

173.『野村厚子展』、バシュラール、池澤夏樹、須賀敦子

展覧会の日程ギリギリになってしまいましたが、今日(7月23日)東京・京橋のギャラリー檜で『野村厚子展』を見ました。今週のギャラリー檜では、4人の女性の作家が個性的な作品を競い合っていますが、残念ながら明日が最終日です。
実は私は来週から始まる『Gallery HINOKI Art Fair ⅩⅩⅢ』に出品するための小品三点を届けに行くという用事もあったのですが、東京オリンピックの開会式当日になってしまって、高速道路には交通規制が敷かれ、一般道には警察の方の姿があちこちに見られるという状況でした。渋滞を予測したのですが思いのほか車が少なくて、それがかえって無事に画廊に着けるのだろうか、という不安を増大させました。しかし画廊に入ると充実した展示がされていて、ここだけはいつもの時間が流れているということにホッとしました。私も仕事がら、ウイルスを学校に持ち込むわけにはいかないので、つい行動が用心深くなり、街中に足が向かなくなるのですが、画廊も作家も歯を食いしばって頑張っています。ギャラリー檜や『小田原ビエンナーレ2021』に限らず、感染に注意しながら美術館や画廊出かけられる方は、ぜひ鑑賞しに行きましょう。
それで今回は、『野村厚子展』について、一言だけですが、簡単な感想を書きます。今回の作品のうちの一枚が案内状になっていますので、ギャラリー檜のホームページから確認してください。
http://hinoki.main.jp/img2021-7/c-4.JPG
今回の作品は、この案内状のように空を広くとった風景画が並んでいます。画材はパステルらしき描画材や絵の具を使ったものなど、いつもの野村厚子の展覧会のように自由な作品が並んでいますが、私の印象では空を広くとったことで普段よりもオーソドックスな空間の風景が揃っているように見えました。
その中でも、とりわけこの案内状の作品は見事ではありませんか?作家本人と話ができなかったので確認できませんでしたが、大地に暗い影のような何かがあり、空の上方には黒雲のようなものが広がろうとしています。このように雲の形を描くときに、その取り留めのない奥行きや広がりに、どうしても絵画空間が吸い込まれてしまいます。その結果、平面的な張りのない凡庸な空の絵が出来上がるのです。このことは風景画が盛んに描かれ始めた印象派の頃からの課題であり、私にとってはときにモネ(Claude Monet, 1840 - 1926)やターナー(Joseph Mallord William Turner、1775 - 1851)の風景画の中でさえ感じる不満の種なのです。しかし野村厚子のこの雲は、絵画空間としての張りを持ちながら、それでいてイノセンスな描写のようにも見えます。さすがに野村にとっても、このような充実した画面をどの絵の中でも実現するのは難しかったようで、どちらかと言えば素直な描写の風景画が多く、そのうちのいくつかは捉え所のない奥行きへと吸い込まれていたようでした。でもけっして、それらの作品が魅力がないということはなく、無駄な描写を排した野村の直感的なタッチが、画家の息遣いとともにその風景があったことを表しているのです。私のような凡庸な画家は、仮にうまく描けなくても時間をかければ何となかる、という思い込みでしつこく絵と向き合ってしまいますが、野村の絵画を見るとそんなことが間違った思い込みであることがわかります。こういう直感的な表現は、私には学ぶことができないものであり、ただ羨望を持ってながめるしかないのです。美術館に行けば、数百年の歴史の中で残った遺品を見ることができますが、野村厚子のような作品を見ると、今このときに息づいている絵を見ることの喜びを感じます。絵を描いている野村と同じ時間を共有できること、これは私も目標としている表現の境地ですが、野村は軽々とそこに達しているような気がします。
もしも今(7月23日 金曜日)、このblogを読んでいる方がいたら、明日ギャラリーに行けばその生き生きとした空間を共有できます。それは何ものにも代え難いことだと私は思っています。


さて、前回からの小田原ビエンナーレの話題の続きです。
『小田原ビエンナーレ2021』で私と同じ空間を共有していた加藤富也さんの作品を見ながら、私はモチーフとなっている水について思いをめぐらしました。加藤さんの写真から水について夢想するなら、それはロマンチックな幻想のようなものではなくて、もっと硬質で水の物質としての本質を突くような夢でなければならない、と勝手に考えました。名所や旧跡を流れるような豊かな水ではなく、もっと私たちの身近にあって、それでいて人をイマージュへと誘い込むような、それが「硬質な夢」という意味です。
そう思っていたところ、このblogでも以前に話題にしたバシュラール(Gaston Bachelard, 1884 - 1962)のことを思い出しました。バシュラールはフランスの哲学者ですが、ときに科学哲学者とも呼ばれます。科学史という分野から出発したバシュラールは、私たちがいわゆる「理系」「文系」と呼んでいるジャンルを乗り越えて、物質から起因する硬質な詩学を展開した人です。そういえば日本にも宮沢 賢治(1896 - 1933)という理系の要素が色濃い詩人がいました。文学や詩が「文系」のものだというのは、私たちの単純な思い込みなのかもしれません。そのことについて、後でじっくりと考えましょう。
そのバシュラールに『水と夢』(1942)という本があります。水について考えるなら、水がタイトルになっている本を紐解けば・・・、と短絡的な気持ちで本を開いてみたら、このあてははずれませんでした。まずはじめに、バシュラールはこんなふうに私たちを戒めています。

詩人と夢想家たちは、水の表面的な遊びに誘われるというよりもしばしば面白がっている。そのとき水は彼らの風景の一装飾となっており、真の意味において彼らの夢想の「実体」substanceではないのだ。哲学者の立場からいえば、水の詩人らよりも、火や土の呼びかけに耳を傾ける詩人たちの方が、自然の水が所有する実在に「加担」しているのである。
水の思考、水の心的現象の精髄そのものであるこのような「加担作用」participation を解明するために、きわめて珍しい数例を深く究める必要があるだろう。しかし、水の表面的イマージュの下に、ますます深化し執着を増してゆくイマージュの一系列が存在することを、読者に納得させることができれば、このような深化への共感を彼みずからの観想のなかでただちに経験するであろうし、形式の想像力の下に実体の想像力が始まっていることを感ずるであろう。
(『水と夢』「序 想像力と物質」バシュラール著 小浜俊郎、桜木泰行訳)

バシュラールは、いかにも詩人らしく水を語ることは「装飾」に過ぎず、本当の意味での「夢想」とは言えない、と書いています。もしも私たちが想像力の「実体」に触れようとするなら、「水の詩人ら」よりも、むしろ「火」や「土」に耳を傾ける詩人に注目せよ、というのです。それはどういうことでしょうか。
バシュラールはさまざまな詩人について論じていますが、例えばエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809 - 1849)について、次のように書いています。

もしわれわれが主張するように水がエドガー・ポーの無意識にとって根元的物質であるならば、水は土に命令するはずである。それは大地の血なのだ。それは大地の生命だ。風景全体をおのれ自身の運命に向かって引いて行こうとするのは、水にほかならない。とりわけこの水やあの小さな谷がそうである。エドガー・ポーの詩においては最も明るい谷さえ暗くなる。

昔は沈黙の小さな谷が微笑していた
そこにはだれも住んでいなかった
・・・・・・
今は訪れるひとはみな
陰気な谷のざわめきを語るであろう
(『不安の谷』)

不安はいずれ谷間のわれわれを驚かすにちがいない。谷は水や憂いを集め、地下水は底を穿ち働きかける。この隠れた宿命これこそ、ボナパルト夫人が指摘するように「いかなるポー的風景のなかでも生活したくなくなる」ようにするものである。「不吉な風景についてはもちろんそうだ、だれがアッシャー家に住みたいだろうか?けれどもポーの美しい景色はほとんど反発させる、それはあまりにも故意に甘美で人工的であって、どこにも爽やかな自然が息づいていないのだ。」
美の悲哀をもっともよく強調するため、エドガー・ポーにおいては美は死によって報いられることをわれわれは付け加えよう。言いかえれば、ポーにおいては美は死の一因である。
(『水と夢』「第二章 深い水ー眠っている水ー・・・」バシュラール著 小浜俊郎、桜木泰行訳)

ここで想像力の事例としてあげられているのは、美しい湖水の風景を詠った詩人ではなく、谷底を掘れば憂いに満ちた血が出てくるのではないか、と思えるような谷間の様相を描写した、詩人でありミステリー作家の元祖でもあるポーなのです。ポーは言葉やイメージを鍛え上げるあまり、「あまりにも故意に甘美で人工的」な世界へと到達します。「だれがアッシャー家に住みたいだろうか?」と問いかけられているアッシャー家とは、あの有名な『アッシャー家の崩壊』のことです。ホラー映画を思い起こさせるような小説ですが、物語の中にゾンビや殺人狂が出てくるわけではありません。ポーは、言葉とイメージを彫琢することで、あの異様な世界を創造したのです。「美は死の一因である」というのは、究極の美の表現であるのかもしれません。
しかし、これではあまりに重たいし、この『水と夢』で取り上げられている詩人はポーのほかに、私の教養ではあまり馴染みの人物がいません。そこで唐突ですが、私が思い出したのはある小説の中の、グラスの水について語るシーンです。これこそ理系で文学的で、物質的で詩的な描写です。それは次のような会話の場面です。

星の話だ。
ぼくたちはバーの高い椅子に坐っていた。それぞれの前にはウィスキーと水のグラスがあった。
彼は手に持った水のグラスの中をじっと見ていた。水の中の何かを見ていたのではなく、グラスの向こうを透かして見ていたのでもない。透明な水そのものを見ているようだった。
「何を見ている?」とぼくは聞いた。
「ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかと思って」
「何?」
「チェレンコフ光。宇宙から降ってくる微粒子がこの水の原子核とうまく衝突すると、光が出る。それが見えないかと思って」
「見えることがあるのかい?」
「水の量が少ないからね。たぶん一万年に一度くらいの確率。それに、この店の中は明るすぎる。光っても見えないだろう」
「それを待っているの?」
「このグラスの中にはその微粒子が毎秒一兆くらい降ってきているんだけど、原子核は小さいから、なかなかヒットが出ない」
彼の口調では真剣なのか冗談なのかわからなかった。
(『スティル・ライフ』池澤夏樹)

こんなふうに、ふだんの私なら興味を持つはずのない会話が続きます。それでいて「チェレンコフ光」という訳のわからない言葉が、降り注ぐ微粒子のイメージとともに僅かな光を放っているような場面を想像させるから不思議です。グラスの底の水がいつの間にか無限の宇宙空間と繋がっていくような、そんな壮大な広がりを感じさせるのです。
もちろん、あらゆることに鈍感な私が、はじめからこの池澤夏樹(1945 - )の芥川賞受賞作をこのように感受して読めたわけではありません。これは須賀敦子(1929 - 1998)の「解説」を読んで、あらためて読み直して、この稀有な作家の価値を知ったのです。そして須賀敦子という解説者の書いた素晴らしいエッセイに魅了されるのは、その後だったと思います。池澤夏樹の真の価値を教えてくれた人が、あの須賀敦子だったのか、とこれも後から思い知ったのです。そんな話もどこかで書いたような気がしますが、また違った角度からいつか書いてみる事にしましょう。今回は「水」を手がかりとして、理系の科学的な視点がいかに文学的なイメージと結びつくのか、という話です。それでは、須賀敦子の解説を読んでみましょう。

「大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして」

『スティル・ライフ』の導入部で、意表をついた三角形を思わせるこんな文章に出会って、この作家はいったい、どこに読者を連れていこうとしているのかと不思議さにうたれ、さらに数行読むうちに、どこでもいい、ついていこう、と思ってしまう。この小説には、他の多くの池澤作品と同様、そんな魔法が冒頭から仕掛けられているようである。
こうして、読者は、また自分の生き方を模索中といった年頃の「ぼく」と、彼よりはいくつか年上で、かなり世間をあるいてきたらしい佐々井と名乗る友人との対話を軸とした物語にさそいこまれる。二人はアルバイトの職場で知りあって、仕事の帰りに飲みに寄るバーで、しばしば話しこむのだが、会話の内容は、仕事でもなく、同僚のうわさでもなく、佐々井の「理科っぽい」語りによってリードされる。そして「ぼく」は、たぶん読者より半歩ほどさきに、「蝶のマニアが珍種について喋ったり、犬を飼っている者が犬の賢さのことを喋る風ではなく、たまたま歩いていて見かけた蝶のことを口にしているような話しかた」で、宇宙や微粒子やコップの中の透明な水の話をする佐々井に、急速にのめりこんでいく。
(『スティル・ライフ』「解説」須賀敦子)

これが須賀敦子の解説のはじまりですが、彼女はまず小説の導入部を取り上げて、最初からこの小説はそれまでの小説にはない場所へと私たちを連れていこうとしているのだ、と書いています。しかし、須賀の慧眼が本当に発揮されるのは、次の「雪」の場面の解説から後の部分になります。ちょっと長くなりますが、どの文章も重要で、かつわかりやすいので端折らずに書き写してみます。

「雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。岩が昇り、海の全部が、厖大な量の水のすべてが、波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。」

こんな文章が、雪について、かつて書かれたことがあるだろうか。日本でも、おそらくは世界のどの言葉でも。それでいて、私たちの多くが経験したことのある、あの呼吸を拒否したくなるような、雪片にとじこめられた、果てしない瞬間の重なりのような時空での、気象現象とヒトのひそやかな結びつきを、あますところなく伝えている。ここで読者を感動させるのは、修辞、あるいは表現の入れ換えによる新しさではなくて、思考の奥行き、あるいはシンタックスそのものに手を加えることによって、ヒトは地球の一点に、古色蒼然とした思考の修辞で縛りつけられているのではないことを証明し、そうすることによって、かぎりない安堵感を読者にもたらすような種類の新しさなのである。このような文章は、新しい自由、新しい救済の可能性をさえ示唆するかにみえる。
話が飛躍するようだけれど、数年前、ガリレオ・ガリレイの文体についてイタリアの若い研究者が書いた論文をよんで、つよい感銘をうけたことがある。16世紀の画期的な天文学者として知られているガリレオの文体が、簡潔直截で、彼以前のイタリア語の修辞に富んだ長々しい文体から一歩踏み出したものであり、それが彼の革命的な論旨を表現するにはもっとも適したものであったと、例をひいて述べられてあった。
また、これは日本のある若いダンテ研究者が、『神曲』のなかの(これまで彼岸的とだけ信じられてきた)光の扱いについての論文のなかで、詩聖といわれるダンテが、光学的な見地から言っても精密な論旨を展開していることを証明して、日本とイタリアの学界が彼の研究の独創性を認め、賞讃した。
文学と科学が、まったく別々のものとして考えられるようになったのは、そう遠いことではない(事実、ガリレオにも、『神曲』についての、今日なら文学者しか書かないだろうような、専門的な論文がある)。それなのに、私たちの多くは、この二つの分野を、まったく相容れない言語世界に属するもののように教えられてきた。著名な数学者とか物理学者というような人たちも(もしかしたら、とくに日本に多いのかもしれないけれど)、文章を書くと、たちまち道学者めいたりして、内容、文体ともに、まるでアインシュタイン以前のような古めかしさを感じさせることが多い。
そんな中で、池澤夏樹の作品の世界は、なんといえばよいのだろうか、この分断された世界の傷口を閉じ、地球と、地球に棲むものたちへの想いをあたため、究極の和解の可能性を暗示するかのようである。こういうのが、あたらしい言語ではないか、といった感動まで運んできてくれる。文化というものが、根源的に、モノとモノ、モノとヒトとの結びつきについて語るべきものであるのなら、池澤の文学は、つねにその方向にむかって歩いていく。
(『スティル・ライフ』「解説」須賀敦子)

ガリレオ(Galileo Galilei、1564 - 1642)の文体がその革命的な研究成果と一体であったとか、彼がダンテ(Dante Alighieri、1265 - 1321)の『神曲』について論文を書いていた、なんて話を知っていましたか?こんな重要で面白い話が、一つの小説の「解説」として書かれていたということが、そもそも驚異的なことだと思うのですが、いかがでしょうか。そして文学と科学の関係について、私たちはまさに目から鱗が落ちるような思いをしてしまうのです。今の理系の学者の文体について、その古めかしさ指摘しているところも痛快です。このような示唆に富んだ文章を読むと、日頃から自分自身がいかに読むものに垣根を作って、その狭い知見の中でしか物事を捉えていないのか、ということを思い知ります。そんな自分の頭の硬さは、知性的な限界にも縛られていて、如何ともし難いものがありますが、それはともかくとして、自分以外の世界を見ても、知らないうちに築いてしまった垣根の中で、やけに窮屈になっていないでしょうか。私は、ここにもモダニズムの芸術の行き詰まりの原因があるような気がします。ただの一遍の小説が、あるいはその解説が、美術の評論書では教えてくれないような、とんでもなく重要なことを私たちに語りかけているような気がしてなりません。その重要さは、バシュラールの難解な学術書にも匹敵するのではないか、と私は思います。
ところでその後の池澤の活躍を見ると、文学と科学の「和解」だけではなくて、地理や歴史も含めた人類の叡智を合わせたようなエッセイを数多く書いていて、須賀の期待通りの成果を上げていると思います。最近では、世界文学全集、日本文学全集の編纂まで手がけて、まさに池澤は現代の碩学といった風格を備えてきましたが、それでいて軽やかさを失わないところが素晴らしいと思います。
この「解説」の終わりの方で、須賀はこんなことも書いています。

いまさら、皮相的なプロットのもつれや、さもなくば、読者から読むことの快楽を奪い、自己の不毛な探求を一方的に、傲岸に押しつけようとするだけの作品を読んだところで、どうなるというのか。世界には、もっとさしせまった(文学をもふくめた)問題が山積しているはずだ。
(『スティル・ライフ』「解説」須賀敦子)

この指摘は、文学だけではなくて、あらゆる芸術表現に当てはまります。美術表現で言えば、見る者を驚かせるような奇抜なモチーフを競い合ったり、ただ単に鑑賞者に迎合することだけを考えたような作品を作ったり、さもなければ独善的で難解な作品を上から目線で押し付けたり、そんな作品が横行しています。そのような泡沫的な泡の一つになることが、美術の世界で生きていくことになるのなら、とっととそこから出て仕舞えばよいと思います。「世界には、もっとさしせまった問題が山積しているはずだ」という意識が重要で、それがなければ表現者として生きている意味がない、とたぶん、須賀は思っていたはずです。それは彼女の無駄のない足取りをたどっていくと感じ取ることができます。
水のイメージの話から、理系と文系の垣根を超えて、結論が遥かに遠くて重要なところにきてしまいました。自分自身に垣根を作らず、好奇心を全開にして、世界の差し迫った問題から目を背けずに歩いていきましょう。世界の差し迫った問題というのは、実は自分の身近な問題でもあるはずです。そこに目を向けることは、自分にとって痛いことでもありますが、とにかく目を逸らさないことが大切だ、と私は信じています。

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