平らな深み、緩やかな時間

140. 『橘田尚之 展』(gallery21yo-j)を見て

12月27日まで、東京・自由が丘の「gallery21yo-j」で『橘田尚之 展』が開催されています。
ぜひ、この展覧会をご覧になっていただきたいので、はじめにギャラリーに関する情報を書いておきます。開廊日は木曜日から日曜日、開廊時間は13時から18時までです。自然光の美しいギャラリーですので、できれば明るいうちにご覧になるとよいと思います。閑静な住宅地のなかにあるギャラリーですから、橘田さんの作品を眺めながら白い部屋の中をゆっくりと歩いていると、ここはコロナ禍とは無関係な空間のように思えてきます。とはいえ、出かける際には十分に注意をしてください。入り口には消毒液が用意されていますので、手の消毒も忘れないようにしましょう。
その「gallery21yo-j」のホームページから、橘田さんの過去の展覧会の紹介、ギャラリーが制作した橘田さんの作品集、ギャラリーへのアクセスなどがご覧になれます。自由が丘駅からはすこし歩きますので、参照してから出掛けてください。
http://gallery21yo-j.com/

さて、私は橘田尚之という作家について、これまでも何度か小文を寄せています。
14.橘田尚之展、宇佐美圭司のこと(2013年2月)
32.『トスカーナと近代絵画』『さとう陽子展』『橘田尚之展』(2013年9月)
50.山梨県立美術館「やまなしの戦後美術」における橘田尚之(2014年10月)
75.『dialogue vol.5 橘田尚之×稲 憲一郎』ギャラリー檜(2017年2月)
以上が、このblogでお読みいただける文章です。よかったら、blog内検索で読んでみてください。
これだけ、橘田尚之について書きながら、今回、あらためて文章を書いてみようと思ったのは、これまで橘田作品の魅力を感じながらもうまく語れなかったことが、すこしだけわかってきたような気がしたからです。それがどんなことなのか、説明してみたいと思います。
まず、橘田尚之自身が今回の展覧会のために書いた文章を読んでみましょう。

基底材とメデューム
絵画の支持体と基底材の語の意味はほとんど同じですが、辞書を引くと基底の意味はひとつではありません。
私は絵を始めた高校時代、キャンバスは手作りでした。木枠を作り、麻布を貼り、その上に膠と胡粉を塗りました。板もキャンバス代わりにしました。
それから年月が経ち、アルミ板で立体を作るようになりました。以前のように自前の基底材(基底になると思うもの)を作っています。
(「gallery21yo-j」ホームページより 橘田尚之)

「基底材」というのは、「絵が描かれるための物質のこと」で、例えば布や紙、板などがそれにあたるでしょう。せまい意味としてとらえれば、橘田が高校時代に麻布の上に膠と胡粉を塗ったというその部分が、「基底材」の制作にあたるものでしょう。もう少し広い意味で捉えれば、その布を支えている木枠づくりも、「基底材」の制作の範疇に入るのかもしれません。
これは絵画における「支持体(support)」と、ほぼ同義語だと思われますが、「支持体」の方が絵画に特化した用語のように私には感じられます。ここで橘田が「基底材」という言葉を選んだのは、アルミ板の立体について語るうえで、絵画の表面を支えるという意味の「支持体」よりも、表現の基底になるものという意味でも捉えられる「基底材」の方が、より自分が言いたいことの意味に近いと判断したからでしょう。
それから「メデューム(medium)」ですが、こちらは一般的には「媒介するもの」という意味ですが、美術用語としては絵具の展色剤、つまり絵具の顔料や染料などの色の成分を画面に接着させるための接着剤のことを意味します。「基底材」との対比で言えば、「基底材」が作品のベースになるものだとすれば、「メデューム」はその表面を形成するもの、作品の表面から見えるもの、ということになると思います。
しかし、橘田の立体作品のことを思うと、さまざまな意味での矛盾が生じてきます。
そもそも立体作品における「基底材」とは何なのでしょうか。あるいは、「基底材」と「メデューム」との関係はどうなるのでしょうか。
もしも立体作品における「基底材」があるとしたら、例えば塑像を制作する際の骨組みに使う木材や金属部品であるとか、作品を支える台座のようなものであるとか、そんなものがイメージできます。そして、立体作品における「メデューム」といえば、作品の表面にあらわれる粘土や木、金属などのことを意味すると捉えられるでしょう。
そうだとすると、橘田の作品では、そもそも「基底材」と「メデューム」が一体となっていますから、それらを分けて考えることができません。「基底材」と「メデューム」を別に考えることに無理があるのです。おそらく、そんなことは橘田自身がよくわかっているはずで、それでも橘田は「以前のように自前の基底材(基底になると思うもの)を作っています」と言いたかったのです。
それは、なぜでしょうか。
私は、橘田が「基底材」について語りたくなった気持ちが、何となくわかるような気がします。それは何も高校時代をなつかしんで語っているわけではないのです。しかし、そのことを説明するのには、すこし話が長くなりますが、どうかお付き合いください。
私は「基底材」と「メデューム」という二つの言葉の関係を思う時、即座にフランスの現代美術の運動、「シュポール/シュルファス(supports/surface)」のことを連想しました。
「シュポール/シュルファス」は1960年代末に南仏のC.ヴィアラ(Claude Viallat , 1936 - ),D.ドゥズーズ(Daniel Dezeuze, 1942 - ), P.セトゥール(Patric Saytour, 1937 - )らの美術家が起こした美術運動でした。それにL.カーン(Louis Cane, 1943 - )などが後に加わって、1972年ごろまで活動していました。「シュポール」はフランス語で「支持体」を、「シュルファス」は「表面」を、それぞれ意味します。「シュポール/シュルファス」の作家たちは、「絵画」という表現が「表面」とそれを支える「支持体」から成り立っている「制度」である、と考えました。
これは当時、隆盛であった構造主義哲学の影響を受けたものです。構造主義の祖と見なされるスイスの言語学者、ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857 - 1913)は言語を「シニフィアン/シニフィエ(signifiant/ signifié)」(意味しているもの/意味されているもの)という二つの要素に二分して分析しました。例えば、「海」という文字や「うみ」という音声が「シニフィアン」だとすれば、海のイメージや海という概念、ないしはその意味内容が「シニフィエ」ということになります。ソシュールはこれらの関係が表裏一体となって言葉の意味というものを形成していて、それらの関係が流動的なものだと考えたのです。これはそれまで考えられてきた言葉の構造を根本から覆すような、画期的な研究だったようです。
この構造主義の考え方を「絵画」に応用し、「支持体」と「表面」を二分して考えるとどうなるのでしょうか。例えば、「シュポール/シュルファス」のなかでも、もっとも著名だ思われるC.ヴィアラは、木枠から外した布を洗濯物のように紐でつるしてみたり、ごつごつした岩の山の上に投げ出したりしました。そのほかの作家たちも、布をはがした木枠だけをむき出しにした作品や、木枠に網目のようなものを張った作品、布の小さな断片を貼り合わせた作品などを発表しました。いずれも木枠に張ったキャンバスを「絵画」として当然のもののように受け容れてきた、私たちの概念を覚醒させるものでした。木枠に張った布を「物質」として捉えずに、ただその「表面」だけを見るのが普通の絵画の鑑賞方法です。そのときに、木枠の木の厚みなどはいっさい気にしませんし、むしろ額縁をつけてそれを覆い隠して見るのがフォーマルな絵の見方だと、誰もが思ってきました。しかし、それは西洋絵画における「制度」にすぎない、ということを「シュポール/シュルファス」の作家たちは、告発したのです。
こういうふうに、それまでの制度に疑問符を突きつけ、それを解体してしまう、という行為は、モダニズム以降の芸術においては常套手段です。私が大学に入って街の画廊を回るようになった頃は、そのような解体の嵐が吹き荒れた後の時代でした。同じころ、すでに作家として活動していた橘田は、その嵐の最後の頃に立ち会ったのではないでしょうか。キャンバスが金属板になり、その金属板が壁から離れて独立していく、という橘田の作品の流れは、「絵画」の解体を自分なりに消化し、それをどのように表現として高めていくのか、という葛藤の結果だったのではないか、と私は思います。そして今回、橘田の文章が、「基底材」から制作していた高校のころからのつながりについて語っているのを読んで、私は橘田の作品の成り立ちについて、あらためて思いを馳せることになりました。
橘田の作品について考える時に、さきほど参照した「シュポール/シュルファス」の作家たちのことを考えてみると、より理解が深まります。「シュポール/シュルファス」の作家たちは、「絵画」の制度を解体する際に「絵画」の「物質」としての側面に焦点をあてました。そして彼らは、ひたすらその物質性をあらわにすべく「絵画」を解体したのです。
ここで私が注目したいのは、「シュポール/シュルファス」のこの試みが「物質」という側面でのみ行われたことで、その「物質」が「絵画」となる瞬間、つまりたんなる布が「絵画」となるその現場に立ち会うということが、「シュポール/シュルファス」の動向の中では、ついに行われなかった、ということなのです。
突然こんなことを書かれても、何のことやらわからないと思いますが、前回から続けてこのblogを読んでくださっている方なら、私が何を言いたいのか、察してくださると思います。私はこのような「絵画」に対する視点を、前回取り上げた平井亮一の文章から学びました。平井は、ただの「物質」であるはずの布や絵具が「絵画」となるときに、「物質」から「絵画」への「死にものぐるいの“飛躍”」があるのだ、と書いたのでした。前回のblogと重複しますが、重要なことなので再び平井の文章を書き写しておきます。

物体のおもて、表面を特定し、そこに形象をしるすこと、この絶対的な余剰―あるいは表面(場所)の絶対性。物体に拠ってはいるけれど、これは物体、その連続性からの決定的な離脱であり、死にものぐるいの“飛躍”を意味している。
(『画布/画面/絵画 中西夏之にふれながら』平井亮一)

「シュポール/シュルファス」の作家たちは、平井が指摘するところの「物体、その連続性」の中でのみ活動したのだと、私は思います。彼らは、「物質」が「絵画」となるときの「死にものぐるいの“飛躍”」を、問題として取り上げることができなかったのです。
私は「シュポール/シュルファス」の作家たちのなかで比較的C.ヴィアラの作品を見てきた方ですが、ある時期から彼の作品に物足りなさを感じるようになりました。このことは彼の作品に「絵画」に対する「死にものぐるいの“飛躍”」という視点がないことを原因として考えると、腑に落ちるのです。C.ヴィアラの装飾的な作品がいかに美しく見えても、初期の画布を岩に打ち捨てた作品の衝撃にはかないません。彼が巨匠となってから後の巨大なテントのような作品も、結局のところ「物体、その連続性」の範囲から出ることがなかったと私は思うのです。そのことによって、ヴィアラの作品は美術表現としてのスリリングな展開を失ってしまった、と私は解釈しています。
また、同じく「シュポール/シュルファス」の作家であるL.カーンが、「シュポール/シュルファス」の運動の後に制作した絵画的な作品を見る機会がありましたが、私の知るかぎりではそれも「死にものぐるいの“飛躍”」には至っていない、安易な絵画であると言わざるを得ませんでした。L.カーンの作品が、印象派のモネ(Claude Monet, 1840 - 1926)の睡蓮の池を描いた作品との比較で並べられた展覧会を見ましたが、その作品の差異は歴然としていて、カーンを気の毒に思ったことを思い出しました。
このような「物体、その連続性からの決定的な離脱」という観点から橘田の作品を見た時、橘田は(前回のblogで取り上げた)中西夏之(1935 – 2016)とは別な方法で、それも立体作品という独自な表現で「死にものぐるいの“飛躍”」を成し得たのではないか、と私は考えています。橘田のこれまでの作品発表は、いわば彼の「死にものぐるいの“飛躍”」の軌跡でもあるのです。
それでは、橘田の立体作品はどのようにして「物体、その連続性からの決定的な離脱」を成し遂げ、「死にものぐるいの“飛躍”」を成し得てきたのでしょうか。
まずは、橘田の作品の成り立ちを分析的に見てみましょう。
橘田の作品は、彼の作品が壁から離れて独立した時に、作品を支えるための形状が必要でした。それがそのまま作品の「基底材」となったわけです。さらにその「基底材」の表面が、そのまま「メデューム」へと変貌していくわけですから、橘田の作品は制作の当初から、作品をイメージしてアルミ板を切り取るところから、すでに「死にものぐるいの“飛躍”」を成し遂げていなくてはならないのです。
何だか当たり前のことを言っているように思われるのかもしれませんが、これが一般的な彫刻作品であったらどうでしょうか。彫刻作品の「基底材」は、その立体作品のボリュームを支えるものであり、先ほども書いたように、その骨組みの素材が「基底材」ということになるでしょう。そしてその「基底材」の上から「メデューム」である粘土を盛り付けることで、それは「作品」となります。あえて言えば、ただの骨組みが「メデューム」によって「作品」となる瞬間が、「死にものぐるいの“飛躍”」にあたるものだと言えるでしょう。しかし橘田の作品は平面の連続体であり、そこには作品内部の骨組みもなければ、後付けの表面もありません。くり返しになりますが、そもそも彼の作品は壁から離れて独立する瞬間から、「死にものぐるいの“飛躍”」を成し遂げなければならない構造になっていて、それが為されなければ、ただのアルミ板の張りぼてになってしまうのです。
このように何の重みのないペラペラのアルミの板が、互いを支え合って成立する「基底材」であり、さらにその表面が鑑賞者の目にさらされる「メデューム」であるということ、それは作家にとって相当な試練なのだろうと思います。作品を支える構造を考える時から、それが人目にさらされる表面であることを意識しなければなりませんし、何よりも構造と表面が表裏一体となっていること自体が、作品の難易度を果てしなく上げてしまっているように思います。
橘田が今回、あえて自分の制作を「基底材」と「メデューム」という二つの概念で語ろうとしたのは、その作品の困難な構造の故なのではないでしょうか。アルミ板を切り出す、その「基底材」の制作から自分の作品の重要な作業がすでに始まっているという認識、それが高校時代の手作りのキャンバスを作るときのドキドキするような不安と高揚感と同じものなのだ、と言いたかったのかもしれません。木枠を作るところから絵画制作が始まっていたように、いまの橘田はアルミ板を前にして構想を始めるところから、すでに「死にものぐるいの“飛躍”」を始めているのです。
そして、その難しい作品構造の中で、橘田がどれほど高度な作品を作り続けてきたのか、ということを、ぜひギャラリーの制作した作品集で多くの方に確認していただきたいと思います。以前に紹介した千崎さんのカタログ同様に、このような良質な資料を私たちに提供して下さるギャラリーのスタッフには、頭が下がるばかりです。こういう公共的な役割を果たすギャラリーに、「GO TO」どころではないような補助があるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。

さて、今回はそれに加えて、「人体」が橘田の平面作品に表れているところに注目しましょう。女性のヌードがあらわに描かれた作品から、そのフォルムが画面上で再構成されたであろう作品まで、その表現に幅はありますが、いずれにしろ西欧美術において伝統的な「人体」が、橘田の作品に登場していることに、私は正直、驚きました。
確かに、これまでの橘田の作品にも人の形のようなもの、あるいは生き物の形のような曲線が見られました。しかしそれは「マッス」の伴わない、いわば中空の張りぼてのような形であって、「フォルム」としての完結したまとまりを感じさせない表現でした。今回の作品も、「マッス」としての重量感、あるいは「フォルム」としての完結性を回避しようという意図は見られますが、さすがに女性のヌードとなると西欧の伝統的な「人体」からイメージされるものを避けることができません。
その影響は平面作品ばかりではなくて、立体作品にも見られているようです。立体作品には具体的な人体の「フォルム」を表現する形は見られませんが、作品の中心部分に橘田の作品としてはめずらしく風通しのない、四角い衝立のような形が見られます。その四角い部分の下は空洞で、上には表と裏を仲介するようなカーブを描いた形がかぶさっています。ですから、まったくその部分の空間の流れが止まってしまっているわけではありません。しかしいつもの橘田の作品なら、作品全体が大きくらせん状に上昇したり、下降したりするようなうねりや、空気の流れを感じるところですが、今回はその点では抑制的な作品となっています。
さらにもうひとつ指摘しておくと、細い曲線が作品全体を包むように、大きなカーブを描きながら作品の周囲の空間を巡っています。たっぷりとした空間の中を動いている線なので、作品を制約するような線には見えませんが、それでも大きな閉じた形が作品を囲っていることには違いありません。以前にもこのような試みをしている、ということですが、先ほどの空間が閉じた部分と合わせて考えると、小さくない作品の変化を感じます。
ここにおいて、橘田は何を目指しているのでしょうか。
橘田は私に、近代は行き詰っている、と言いました。だから、何かを打開しなければならない、というのです。私から見ても、美術に限らず、モダニズムの社会全体が袋小路に入ってしまい、出口の手掛かりすら見あたらないように思えます。あらゆる分野において、私たちは見直しを迫られているのだと思いますが、実際の社会は大きな歯車で動いていますから、そう簡単に方向転換などできません。壊れてしまいそうな世界を目前にして、社会全体が引き返すことも出来ずに停滞し、このまま流されるままに惰性で進めばいい、という政治家の楽観論も聞かれる始末です。
そんな大きな話は脇に置いておくとしても、少なくとも美術の世界におけるモダニズムの行き詰まりについては真摯に受け止め、それではいったい、何をどのように表現すればよいのか、ということを試行錯誤することが、私たちにできるささやかなことではないでしょうか。
それにしても、そもそもモダニズムの行き詰まりはいつから始まっていたのでしょうか。哲学の世界では、ルネ・デカルト(René Descartes、1596 - 1650)がその元凶だと言われることが多いようです。その流れが、カント(Immanuel Kant、1724 - 1804)やヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770 - 1831)に繋がっているとも言われます。いやいや、ギリシャ哲学にまで遡らなければ、という人もいます。いずれにしろ、難しいことを言われても私にはわかりません。
それでは、どうしたらよいのでしょうか。
自分たちの実感できるところから見直してみて、そして実際にやり直しながら、あるべき方向を探るしかない、というふうに私には思えます。橘田は今回、人体表現にまで遡ったようですが、中世からルネサンスのころまでは、人体表現こそが西洋美術の中心でした。モダニズムの進行に伴い、人体表現は脇に追いやられ、かく言う私もヌード・デッサンを大学卒業以来、描いていないような気がします。ということは二十歳そこそこから描いていないということになります。なぜかと言えば、人体のもつボリューム感こそが、伝統的な西洋美術にとって重要な概念である「マッス」や「フォルム」を含んでいるからです。ある意味では、伝統的な「人体」表現を退けたところから、モダニズムは走り始めたのだとも言えるのです。ですから、「人体」表現に戻ることがモダニズムを見直す第一歩である、という捉え方も可能でしょう。
しかし、だからと言って「人体」をそのまま描いたのでは、近代以前の「絵画」や「彫刻」に先祖帰りをするだけです。さらに言えば、「マッス」を否定した立体表現こそが、橘田の作品の特徴ですから、もしも橘田が「人体」に戻って表現をするのならば、「マッス」や「フォルム」を否定した「人体」を追究することになるのでしょう。しかし、それは予想するだけでも困難な難行です。
「マッス」や「フォルム」を否定した「人体」がどんなものなのか、私には見当もつきませんが、もしかしたら晩年のマティス(Henri Matisse, 1869 - 1954)が追究した人体が「マッス」にとらわれない人体表現のひとつのあり方なのかもしれません。しかし、マティスは切り絵という軽やかな素材に移行したうえでの追究でしたし、私の知っているマティスの女性像の立体(彫刻)作品は、むしろボリュームがたっぷりとしたものです。立体表現とは言っても、彫刻の延長にあるものは、橘田の追究する表現とはまったく異なるものなのでしょう。そもそも橘田の作品形態そのものが唯一無二のものなので、古今東西のどこを見ても参照すべき例など存在しないのではないでしょうか。
これから橘田の作品がどのように展開していくのかもわからないのに、無責任にいろいろと想像を広げて書くわけにもいきませんが、近代の行き詰まりを実感した中での橘田の表現には、いずれにしろ注目し続けなければなりません。というよりも、このような作家の創造的な試みの現場に居合わせたことが、私たちにとって幸運なことなのです。しっかりと目を開いて、この同時代の興味深い動きを見て、私たち自身も自分のやるべきことに取り組んでみたいものです。

私の理解の及ぶ範囲で、埒もないことを書いてしまいましたが、とにかく、12月27日までの今回の橘田さんの個展を、ぜひ見てください。これまでも橘田さんの作品に関することで何回か書きましたが、その作品のオリジナリティーといい、クオリティーといい、そしてこれからの美術を示唆する方向性といい、橘田尚之は今もっとも重要な作家の一人です。コロナ禍とはいえ、そんな作品を鑑賞する人が少なくなってしまうのは、あまりにももったいない話です。どうか、無理のない範囲で実物の作品を見てください。

 
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