平らな深み、緩やかな時間

171.『小田原ビエンナーレ2021』について

今回は、私も参加する小田原ビエンナーレ2021について書いておきたいと思いますが、その前に気になるニュースがありますので、見てください。まずは7月3日の朝日新聞の『芸術と行政 自由の芽、力で摘むな』という社説記事です。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14960066.html?iref=pc_rensai_long_16_article
主な事実の経緯は次の通りです。

 東京地裁で先月、注目すべき判決があった。文化庁が所管する日本芸術文化振興会が、内定していた映画への助成金1千万円を一転不交付としたのは違法だと述べ、理事長によるこの処分を取り消したのだ。
 振興会側は内定後に出演者の一人が薬物使用で有罪となっており、「助成は公益性の観点から適当ではない」と主張した。
 これに対し判決は、専門家が芸術的観点から複数段階の審査を経て交付を決めた経緯や、問題の俳優は主要な役どころではないこと、制作者側が被る不利益が大きいことなどを挙げ、理事長の決定は裁量権の逸脱・乱用に当たると結論づけた。
(7月3日 朝日新聞社説『芸術と行政 自由の芽、力で摘むな』)

この件は少し前になりますが、『宮本から君へ』(真利子哲也監督)という映画に麻薬取締法違反で有罪判決を受けた俳優が出演していた、ということで日本芸術文化振興会が助成金を不交付にした、ということを扱った記事です。
私はこの映画を見ていませんし、内容に特に興味があるわけではありませんが、このように助成金などのお金を人質にしたような表現への締め付けの記事を読むとやるせない気持ちになります。もちろん、法律を犯した俳優には同情できませんが、それが作品全体のペナルティとなるような対応は妥当でしょうか。
そして、このような事例は19年の「あいちトリエンナーレ」を思い出させますが、やはりこの記事の中でも、トリエンナーレの話が出てきます。ただし、それはこのblogでも以前に取り上げた19年のことではなくて、最近の大阪でのことです。

判決からほどなく大阪では、19年のあいちトリエンナーレで展示が一時中止となった作品を集めた展覧会をめぐって、府の施設が会場の使用承認を取り消す事態が起きた。
 施設側は一般利用者らの安全が確保できないと説明するが、主催する側は納得せず、先月30日に裁判を起こした。
(7月3日 朝日新聞社説『芸術と行政 自由の芽、力で摘むな』)

この展示が東京では心ない人たちの妨害によって中止せざるを得なくなったのは、ご存知の通りですが、大阪では大阪府が会場の使用承認を取り消す、という暴挙に出たのです。私は芸術作品の全てが素晴らしいとは言いませんし、好き嫌いの感情は誰にでもあると思いますが、作品を鑑賞することすらできないように妨害したり、一度許可した支援を打ち切ったり、ということをするべきではないと思います。謂れのない差別を助長するとか、特定の個人を不当に貶めるとか、そういう表現の作品(?)の場合には、何らかの判断が必要になるのでしょうが、そうでなければ他者の鑑賞、批評、批判の機会を奪ってはなりません。
というところまで書いてみましたが、次々と新しいニュースが入ってきました。
7月9日の東京新聞の社説です。「表現の不自由展・その後」の名古屋市での展覧会に不審な郵便物が届いた件についての記事でした。

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で議論を呼んだ企画展「表現の不自由展・その後」の作品展示が八日、中止された。会場となっている名古屋市の市施設に郵便物が届き、破裂音がしたことから、市が施設の利用を十一日まで停止したためだ。詳細は不明だが、かりに開催への抗議であれば、許されない暴走だ。
(7月9日 東京新聞社説『表現の不自由展 抗議の暴走許されない』)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/115542?rct=editorial

こんな記事を読むと、これは一体どこの国の話かと驚きます。そして同じ7月9日の午後の毎日新聞では、大阪地裁が会場の利用を認める判断をしたというニュースが飛び込んできました。

企画展「表現の不自由展かんさい」の会場に予定されていた大阪府立施設の利用承認が取り消された問題で、大阪地裁は9日、実行委員会に会場の利用を認める決定を出した。森鍵(もりかぎ)一裁判長は会場の安全を脅かす具体的な危険が認められないとした上で、「正当な理由がない拒否は憲法の保障する表現の自由の不当な制限につながる」と判断した。施設側の処分を執行停止するこの決定は即座に効力を持つため、企画展の開催は一転して法的に可能になった。
(7月9日 毎日新聞『「表現の不自由展」大阪地裁が施設の利用認める決定 開催可能に』)
https://mainichi.jp/articles/20210709/k00/00m/040/105000c

この一連の記事の最後に、映画の助成金の不交付が話題となったときに、トリエンナーレのことも含めて問題提起したジャーナリストの江川紹子の『「表現の自由」は大丈夫か~文化芸術活動への助成・補助を巡って』という記事のリンクを貼っておきます。
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20191022-00147913/

この一連の事件のどこが問題なのか、「補助金を当てにするな」「自分の金でやればよい」「税金にたかるな」などというネット上に飛び交う怒号に対し、明確な理論でその過ちを指摘しています。こういう文章をちゃんと読むだけの冷静さを、私たちはつねに持っていたいものです。


さて、それでは『小田原ビエンナーレ2021』の話に入りましょう。これはどのような展覧会かというと、次のリンク先を見てください。
https://motion-gallery.net/projects/odawara2021
これはクラウドファンディングのプラットフォームになるのですが、大まかな説明の部分だけ書き写しておきます。

<このプロジェクトについて>
現代美術展「小田原ビエンナーレ2021」=思考と表現=は、今回が第5回の開催なります。歴史性のある西湘の小田原市内の画廊、古民家、商業施設など6会場で7月14日から8月23日の期間、29名の作家の作品を展示します。
<1、現代美術展「小田原ビエンナーレ」>
今回で第5回目となる小田原ビエンナーレは、現代美術家を中心にした自主企画展として、2012年に設立された「小田原ビエンナーレ実行委員会」の主催で開催されてきました。振り返えれば、’12年にプレビエンナーレ展を試行開催してから、翌年の’13年、その後’15年’17年19年と多くの出品作家、協力者の助力を得ながら継続して実施してきました。今回の開催は、次へと続く節目の年の開催でもあります。
ビエンナーレ展は、絵画、平面、彫刻、立体、版画、インスタレーション、写真、映像、その他多様な作品で、構成しています。会場は、歴史性のある小田原市内の歴史的建造物、画廊、古民家など、地域の場の再発見にも力を入れ、小田原ビエンナーレ展は地域の中で発展することを目指しています。
(『現代美術展「小田原ビエンナーレ2021」=思考と表現Ⅱ=より)

ところで「あいちトリエンナーレ」や「小田原ビエンナーレ」のような展覧会が、どうして企画されてきたのでしょうか?
それは経済や文化が東京に一極集中する中で、各地で地域振興や現代美術の普及が意図され、芸術祭や展覧会が企画されてきたということです。「小田原ビエンナーレ」も「地域の中での発展」という言葉が上の文にある通り、その試みの一つだと言えるのです。しかし、例えば先ほどから話題に出てきた「あいちトリエンナーレ」とは、規模の点でだいぶ違っています。「あいちトリエンナーレ」のように、大規模な企画のもとで公的な機関が主体となり、知事や有名な評論家が監督や委員などに名前を連ねた展覧会もありますが、「小田原ビエンナーレ」は草の根的な実行委員の企画のもと、出品作家や画廊、展示会場などの協力を得ながら、地道な運営を進めてきたのです。ですから、会場が分散し、期間も相互に区切られていて、何回か会場に足を運ばないと全体が見られないという不便さもありますが、それはぎりぎりの調整のもとで企画された結果なのだと思います。
ここまで読んで、こんなふうに感じた方もいると思います。そのような草の根の展覧会は、大規模な展覧会と比較してあまり楽しめないのではないか・・・と。有名な作家、話題の作品を追いかけたいのなら、それも正解でしょうが、私はそうは思いません。芸術作品との出会いは一期一会です。大規模な企画で、有名な作家、作品が数多く展示されているからといって、作品との特別な出会いが保証されているわけではないのです。結局のところ、どんな展覧会であれ、丹念に足を運び、作家と話をしたり、資料を読み込んだりして自分の理解を深める他に方法はないのです。
その好例を、今回の『小田原ビエンナーレ2021』のパンフレットから探してみましょう。私自身のことは後から触れますので、その前に八田淳という作家について書いておきたいと思います。八田淳はすでに亡くなっている作家ですが、その作品を保管している藤村克裕という美術家が作品を選んで展示する、というちょっと変わった形になっているようです。その藤村さんが、このパンフレットで『八田淳氏について』という文章を寄せています。(というのも、このパンフレットの文章は、作家がそれぞれ思い思いに綴っていて、その点でも、この草の根の展覧会の面白さが出ていると思います。)藤村さんは八田淳の作品をセレクトする立場から文章を書いているのですが、それがとても興味深いのです。このパンフレットは会場で販売する予定(1,000円)ですので、展覧会を支援するためにも、よかったら購入して読んでみてください。ここでは、そのさわりだけ紹介します。

八田淳氏が食道ガンで亡くなった夏から、もう随分時間がたちました。私はいつ頃八田氏と知り合ったのか、それさえもおぼろげになっています。濃密な付き合いがあったわけではありませんが、ご遺族のご意向で、八田氏の作品の大半は、私のところでずっと保管されています。それもあって、これまで三度、私のところに保管されている八田氏の遺作から展示する機会がありました。
(『八田淳氏について』藤村克裕)

そういうわけで、今回が四度目(『小田原ビエンナーレ』では二度目)の展示になります。主催者からは、スケッチを、と求められています。が、どのスケッチにするか、まだ決めていません。ここにはご参考に八田氏によるスケッチのいくつかの作例の写真図版をお示しします。
(『八田淳氏について』藤村克裕)

ここではお寺をスケッチした作品の写真が掲載されていますが、それと同じだと思われる作品写真の一部が見られるサイトのリンクを貼っておきます。
https://pushpull.exblog.jp/24966630/
見ていただければわかるように、紙に黒い線描で描かれた作品で、画用紙が何枚も繋げられて描き継がれています。この点について、もう少し藤村さんの文章を読んでみましょう。

これをご覧になれば分かるように、八田氏は必ず現場で対象を見ながらスケッチを描いています。特徴的なのは、どんな時もB4の画用紙を膝の上の画板に置いて鉛筆で描き始め、それを上下左右に繋いでいって、場合によってはその場所360°グルリと、見えるものを全て描き込んでいく、というシンプルな方法に貫かれていることです。ですから、例えばそこに猫が見えれば描き、移動した猫がまた見えれば描くので、絵巻物などでいう「異時同図」のようなことも時には生じます。また、手元の紙が小さいので、次々に繋いでいくと、どんなに注意していてもつなぎ合わせて「全体」を見ると、そこに現れ出る形状に意図せぬ歪みが生じます。
(『八田淳氏について』藤村克裕)

この作品分析は、とても面白いです。何が面白いのか、私なりに解説してみたいと思います。
まず、私たちは多少、絵が描けるようになると、画面の全体を把握して、その上で構図を考えながら描くようになります。その時に、画面の中で矛盾が生じないように、透視図法という遠近法を使います。それでは遠近法とは、どのように定義できるのでしょうか。手軽なネット検索で、次のようなことがわかります。

ヒトは絵や画像といった2次元平面から空間の奥行きを感じられる。視覚芸術において、本来空間が存在しない2次元平面に空間を感じさせるすなわち遠近感をもたらす手法が遠近法である。透視図法(英: perspective drawing)、別名線遠近法(英: Linear Perspective)はその代表的な一種であり、しばしば遠近法とも呼ばれる。透視図法によって描かれた図のことを透視図という。英語では「遠近法」「透視図法」「透視図」などを総称して perspective(パースペクティブ)といい、日本では遠近法、透視図のことをパースと称することが多い。(例:「建築パース」「パースがきつい」など)
透視図法では「ヒトの目には奥へ伸びる平行線が一点へ収束して映る(透視投影が起きている)」ことに起因するヒトの奥行知覚を利用し、収束する平行線を描くことで遠近感をおこさせる。平行線が奥へ行くにつれ幅が短くなるため、透視図法を用いた視覚芸術では「同じ大きさの物でも視点から遠いほど小さい」「同じ長さでも視点との角度により長さが異なる (短縮法)」といった特徴が現れる。
(ウィキペディア「遠近法」より)

例えば八田淳のような線描の建物の絵を描くなら、この遠近法が正確に使えているのかどうかが絵の巧拙の判断基準になるでしょう。そのことを、私たちは当たり前のように受け入れています。そして、現代美術や現代絵画と言われる表現を志す人たちにとっては、その遠近法によって規則的に描かれた絵画が批判の対象となります。そのことを端的に語っているのが、このblogで何回か引用したことのある現代美術家の宇佐見圭司(1940 - 2012)が書いた『絵画論』です。次の文章を読んでみてください。

美術の歴史や過去の遺産は、私たちがなじんでいる空間が絶対的なものでないことを、最も端的に教えてくれよう。アルタミラの洞窟に躍動する動物を描いた人々、王の墳墓に横顔のみを描き、しかも目だけは切れ長な正面の形にしたエジプトの画工たち。また横一線に移動していく視点によって松林を霧の動静として描いた長谷川等伯。画家たちは、それぞれの地域で、それぞれの時代に自らの世界を表現に残した。私たちはそれらの表現から、彼らが一体何をプリベンションとしていたかを想像することができるだろう。
私たちが美術教育によって教えられてきたのは、他ならぬ近代の空間概念であった。それが支配的文化のなじんだ空間であったからである。しかしそのような自覚を持つ人は必ずしも多くはあるまい。というのは視覚・感性が美術より先行するからである。絵の描きかたを教えられる時、手は思うように動かなくとも、眼はものをすでに近代的な空間によって位置付けている。したがって「いかに描くか」の問いかけは、「いかに視覚・感性に順応さすか」ということでよく、改めて空間概念を意識化せずにすむのである。「見たまま感じたまま表現する」とはそういうことであろう。
子供の場合なら、視覚・感性がまだ充分訓練教育されていないこと、及び順応のしかたが未熟であることという二つの理由によって、それぞれの子供に応じた特異な表現がなされよう。順応することが、それから逸脱した表現を導きだすのである。見たまま感じたままがだんだん高度になれば、ボリュームを感じなさい、ものとものの関係を見なさい、奥行きを表現しなさい、等の助言にかわる。つまりそれは近代的な空間概念により忠実になれということである。もうその段階では、私たちの視覚・感性は子供時代のいわゆる素朴な逸脱から完全に抜けだしていて、近代化を成しとげているだろう。
近代化した視覚を持ち、しかも視覚に順応する技術を持たない人は、もはやはずかしいと思わずにはものを描けなくなってしまう。そして近代的な視覚・感性に順応する技術を目ざす画学生たちは、裸婦や石膏像のデッサンによって、自らのうちに先行する視覚・感性に追いすがるのである。
明治維新によってはじめて近代の空間概念が日本にもたらされたとき、視覚・感性はそれを知らなかっった。それは新しい概念であり、表現法であり、なによりも思想であった。新しいものの考え方、見方、描き方が、それを自明なものとしている西欧人教師によって、明治の画学生たちに教えられたのである。
(『絵画論』「絵画論」宇佐美圭司)

ちなみにアルタミラの壁画はこちらです。
https://travel-star.jp/posts/10562
また、長谷川等伯(1539 - 1610)の松林図はこちらです。
https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A10471
どちらも西欧近代の空間概念である透視図法を知らずに描かれていますが、そのことが表現上の制約になっているわけではないのです。宇佐美圭司の書いている通り、透視図法は西欧近代の空間概念として、もっと言えばその基本となる思想とともに広がっていったのです。その基本となる思想とは何か、と言えば前回まで学んできたフランスの哲学者、ベルクソン(Henri-Louis Bergson 、1859 - 1941)が乗り越えようとした二元論的な哲学なのです。ここで、ベルクソンが指摘した二元論的な空間概念、時間概念を思い出してみましょう。それらは空間、時間を等質なものと見なし、いわばグリッド状に区切られたキュービックな空間と、金太郎飴のように任意の位置で区切ることのできる時間との組み合わせの中で成立する思想でした。それがどのようにして精緻な透視図法に結びつくのかといえば、それは私たちの視点を固定して一点の覗き窓のような視界を想定し、なおかつその視点を得た一瞬のうちに時間を止めて、それが永遠に動かないように仮想した状況下で描く、というそういう方法なのです。ちょっと面倒ですが、これを学問的に解説するとどういうことなのか、次の文章を読んでみてください。

幾何学的な遠近法に従って平行線を一点に収斂するように描いた場合、その一点、すなわち消点は無限遠の場所を意味するが、その数学的な真の意味は15世紀初頭の段階では解明されていたわけではなかった。数学史上はじめて無限遠点の概念が登場するのはヨハン・ケプラー(1571 - 1630)の放物線の焦点をめぐる理論を待たねばならなかったし、この無限遠点は平行線の消点に結びつけるにはジェラール・デザルグ(1593 - 1662)の射影幾何学発想を待たねばならなかった。いずれも17世紀前半のことである。しかしながらブルレネスキやアルベルティが遠近法の方法的基礎を確立した15世紀の初頭に、ニコラウス・クザーヌス(1401 - 62)がすでに宇宙の無限性や地球の円運動について語っていたということを知る時、われわれはたしかに、歴史の不思議な符合現象に驚かざるを得ない。このクザーヌスによる宇宙の無限性の主張はけっして経験科学によって裏づけられた主張ではなく、純然たる神学上の思弁、それも万物を神の展開されたものとして捉える汎神論的思弁の中での主張であった。神と宇宙の無限性を説くにあたっても、「最大のものと最小のものとの一致」、あるいは無限大の大宇宙を含み込む小宇宙といった観念のもとに行われた主張であったのだが、しかしそれは少なくとも、小さな画面上に二本の平行線が一点に収斂する消点を示すことによって、無限遠の距離を表す遠近法的絵画に対応物を持っていたとはいえよう。この無限概念は、ルネッサンス末期のジョルダーノ・ブルーノ(1548 - 1600)においては、宇宙をまったく等質で無限な広がりを持つものと捉えるところにまで進む。そしてついにガリレオ(1564 - 1642)において、空間は、天体の場面であろうと地上の場面であろうと、等しく数学の言葉を持って解明すべきものとされるに至る。空間を無限に連続する均質な組織として取り扱い、数的な比例関係によって処理するということは、とりもなおさず幾何学的遠近法の前提をなすことである。この空間把握においては、もはや上下、左右が特別の階層的意義を持つということはない。とすれば、これはあのデカルト(1596 - 1650)の空間、すなわち情緒的、呪術的、質的性格を剥奪されて、「長さ、幅、深さにおける延長」という規定のみが与えられ、そこにおける位置は、ただ任意のある一点を原点として、そこから延びる三本の直交する座標軸によって決定されると規定された空間に他ならない。そこからニュートン(1643 - 1727)の「絶対空間」の概念までは一直線に進み得る。ニュートンにおいて、空間は時間と同じく「絶対的で、真実で、数学的」であり、その本性に従って「どのような外的事物とも関係なく、常に同一の形状を保ち不動不変のままのもの」であるとされる。
(『絵画空間の哲学』「科学革命と遠近法/Ⅰ空間の無限性」佐藤康邦)

難しい文章で、私にも解説不可能ですが、透視図法と近代科学的な空間と時間の捉え方が固く結びついて発展してきたことは理解できると思います。そして、このことを理解した上で、私たちが何気なく絵を描く時のことを思い出すと、視点を固定し、動くものを無視し、あるいは無理矢理に一瞬の動作に封じ込めて絵を描いていることに気がつきます。それができないと、いわゆる下手な絵になってしまうのです。
このように、視点の固定と時間の停止は透視図法にとってはセットになっているのですが、時間の表現についてさらに見ていきましょう。再び宇佐美圭司の『絵画論』の中で山水画について解説した「山水画の空間」を紐解いてみます。

山水画の空間を語るために山水画の場と時間を検討してみよう。山水画における場のイメージは西欧の遠近法における位置へと還元されるものではない。
遠近法における位置とは、固定的な視点を持つ一人の人間から統一的に把握される。ある瞬間にその視点に対応する総てのものは、座標の網の目にのってその相互関係が客観的に決定される。我々の現在の視覚もこの遠近法的な対象把握を無言のうちにおこなっている。
これに対して山水画の場は、個人がものに対して持つ関係ではなく、先験的で形而上的なモデルとして存在する。それは、中世ヨーロッパの場のあり方と、先験的であるという共通性を持つ。先験的なのは、山水画の場にあっては、中国の哲人が悟りをひらく理想境であり、ヨーロッパ中世では、聖書および神であった。
山水画の場は画面の中に単一にあらわれるよりも複数の焦点によって形成されることが多い。それを仮に多焦点=場と呼んでおこう。多焦点=場は、必ずしも同一の時間軸によって律せられない。それぞれの場に対応する別個の時間軸を多時間軸と呼ぶことにする。
山水画の形而上的モデルは、このような多焦点=場と、多時間軸によって表現される。それは特定の時のある特定の場ではなく、様々に偏在する場の時間のうつろいの中で現象すると言えよう。
(『絵画論』「山水画の空間」宇佐美圭司)

山水画においては、宇佐美圭司が書いているように見る者の視点の移動が感じられます。先ほどの等伯の松林図においても、一点から見た松林というよりは、私たちの視点が一本一本の松の正面に立って移動しているような感じがします。さらに山水画では、例えば同一の人物や牛馬が山のふもとと中腹の二箇所、あるいはさらに峠を越えた三箇所に同時に描かれている、ということはよくあることです。それは同時に描かれているというのではなく、絵の中で時間が動いている、と解釈するべきなのです。
このように考えると、現代の私たちがいかに近代的な視点の中に捉われているのか、ということがよくわかります。その拘束は絵画上だけで起こっているのではなくて、近代科学の発達とともに、私たちの考え方の根本に染み付いているのです。
さて、話が長くなって申し訳なかったのですが、ここで藤村さんが書いた八田淳の絵画の記述を読み直してみください。見える通りに描くと決めて描き足していくうちに、画面全体の整合性が取れなくなり、ここにいた猫がいつの間にか移動して彼方でも現れてくるのでそれも描く、というのは近代絵画の理論からすれば滅茶苦茶です。というよりも八田淳が踏みはずしているのは近代思想そのものであり、それを彼は声高に叫ぶのではなく、何気ない線描の画面によって実践しているのです。おそらく、絵を描くということがどういうことだかわかっている人ほど、八田の飄々とした侵犯行為に舌を巻いて感心したり、笑ってしまったりするのだと思います。それをまた、藤村さんが飄々と文章に綴ってしまうあたりに組み合わせの妙があって、本当に面白いです。私のような才能のない、頭の硬い人間は、あえてそれを野暮ったく解説してしまう、というわけなのです。この私の文章が、彼らの醸し出す緩やかなハーモニーを阻害してしまっていたら、本当に申し訳ないです。

さて、少しだけ私のことを書かせてください。
まず、私のパンフレットのページをご覧になるには、次のアドレスから1番上の「2021 小田原ビエンナーレ」を開けてください。
http://ishimura.html.xdomain.jp/work.html
これまでの私の文章を読んでくださった方には、それをまとめたものだと気づかれたことと思います。そして文章にあるように、絵画の「触覚性」や「時間性」を表現したいと日々葛藤していますが、それはどういうことでしょうか。それは私が絵画と対峙している手触りと時間の感覚を、私の絵を見ていただく方と共有できるような作品を描くということです。そのためには、よけいなものが間に挟まらないように注意しなくてはなりませんが、これがなかなかしんどいです。私のような下手な画家でも、絵を描く上で学習してきたことがたくさんありますし、どうせなら見ていただく方に喜んでもらおう、という色気も出てきます。前日に描いた絵を翌日に冷静になってから見て、自分のダメさ加減に絶望することなど毎度のことですし、こんなことしかできないのなら死んだ方がマシだ、とふと気がつくと一人でぶつぶつと呟いていて、ハッとします。
しかし、その一方で私ぐらい絵のことを考えていて、毎日ぬか喜びをしたり、絶望したりという七転八倒している人間はこの世にいないのではないか、という妙な自負があります。よく彫刻家のジャコメッティのことを「全身芸術家」などと称賛しますが、私に言わせれば、芸術家である限り「全身芸術家」であることは当たり前のことです。私は芸術に対する絶望の度合いからすれば、ジャコメッティにも負けていない、と思っています。それに「触覚性」と「時間性」を明確に表現しようとしている画家は、世界にもそんなにいないと思っています。残念ながら私には才能がありませんから、自分の気づいていることを絵画を通じて表現するためには、人一倍描くことしかありません。時間が足りないことが最大の悩みですが、常にギリギリのところまで身を削って描く、或いは考えることをするようにしています。自分の気づきを形にして絵画として表現する、というその一点を目的として、なんとか命をつないでいるのです。
そして今度の展覧会の目論見は、割り振っていただいた画廊の一室をここ3年ぐらいの作品で囲い込み、室内にいる方に私と同じような絵画の感触を感受していただく、ということです。ですから、見ていただく方の心を和ませるような作品を私は一生涯描けないと思います。

それにしても、また新型コロナウイルスの感染状況が悪化していますね。くれぐれもご無理のないように行動してください。今回の作品も、ネット上ではもちろん、いずれどこかで再度見ていただけるような機会を考えています。そのときには少し遠方での展示になるかもしれませんが、ご期待ください。一年ぐらい先の話です。
ところで、八田淳の作品展示は私たちの展示の次の期間になりますね。こういう状況でなければ、何回でも出かけてください!とお願いするところですが・・・。

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