ジョワシャン・ガスケ(Joachim Gasquet, 1873 - 1921)というフランスの詩人が書いた『セザンヌ』(岩波文庫)という本を知っていますか?
言うまでもなく、後期印象派の画家、ポール・セザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)さんについて書かれた本ですが、前半は伝記で、後半は対話集となっています。どんな本なのか、出版社の紹介文を読んでみましょう。
プロヴァンスが生んだ画家セザンヌ.その晩年に親しくつき合った同郷の若き詩人.ガスケは自ら目にし耳にした老画家の姿を丹念に記録していた.ゾラとの破綻した友情,ルーヴルで見せる破天荒な熱狂,アトリエで戸外で仕事に向かうセザンヌが語った芸術論…….傷つきやすい天才の複雑な内面を,詩的な言葉で再現した古典的伝記と対話篇.
https://www.iwanami.co.jp/book/b246634.html
この本は岩波文庫から出版されています。いま調べたら、新刊は品切れのようですね、これは困ります。こういう古典的な本は、つねに若い方が入手できるようにしていただきたいものです。ともあれ、中古でもそれほど高価ではなく入手できるようですし、図書館で借りて読むのもよいでしょう。
もしも、あなたが図書館で借りようと思ったなら、求龍堂のハードカバーの本が見つかるかもしれません。実はこの本は1980年に求龍堂から出版され、その後2009年に岩波文庫から出版されたという経緯があります。私はもちろん、学生時代に求龍堂版を購入して読みました。近年、蔵書の整理をしていた時に、岩波文庫から出版されていると知り、そのときに買い換えました。
現在、若い方がセザンヌさんについて勉強したいと思うと、たくさんの本が出ていて選ぶのに迷うでしょう。しかし、私の若い頃は、それほどの選択の余地はありませんでした。もちろん、セザンヌさんの画集はいろいろと出ていましたから、その中に掲載されている評伝を読むことはできましたが、一冊の本として読むことのできるものは貴重でした。ですから、ご年配の方で、この本を若い頃に読んだ方は多いと思います。
そしてその当時、もっと古くから出版されていた本としては、画家のエミール・ベルナール(Émile Bernard、1868 - 1941)さんが書いた『回想のセザンヌ』(岩波文庫)の翻訳があります。しかし、これも現在、品切れのようです。こちらも貴重な資料ですから、つねに品揃えしてしていただきたいものです。
さて、なぜ今、この『セザンヌ』を読み返そうと思ったのかといえば、それは個人的な事情です。私は現在、1970年代から80年代の美術のことを遡って文章に書いているのですが、そんな中で学生時代にこの本を読んだことを思い出して、読み返したくなったのです。
実は私は、なにか絵について迷ったり、困ったりすると、セザンヌさんの画集や彼に関する評論を読み返すことが多いのですが、このジョワシャン・ガスケさんの『セザンヌ』は、正直に言ってあまり読み返すことがありませんでした。
それはなぜでしょうか?
実は、このガスケさんの『セザンヌ』は、詩人の書いた評伝らしく、芸術家としてのセザンヌさんのことを熱く語っているのですが、それだけに読むときには注意が必要なのです。もちろん、先の紹介文にある通り、ガスケさんはセザンヌさんの晩年を知る貴重な文筆家ですから、この本を読んでいない方には、ぜひとも触れてほしい本ですが、その一方で注意すべき点もあるのです。
今回はそのことを中心に書いてみます。
この本を翻訳した與謝野 文子(よさのふみこ、1947 - )さんは、親切にも「訳者解説」のなかで上記の点について、次のように書いています。
たとえば、リオネッロ・ヴェントゥーリは、セザンヌに関する「1914年以降の批評的思索」を紹介するに際して、この本についてこんなことを書いている。
「画家<セザンヌ>の個性に関する鍵となるような著書が期待されてもよかったのだが、この著者<ガスケ>の文学的想像力とその歴史観の欠如は、セザンヌの歴史というよりはセザンヌの小説を書かせることになった・・・」
「・・・しかし、セザンヌの手紙から浮かんでくる芸術的個性と、ガスケが表し出しているものとの間には大きな差がある。性格については、現実にそうであったよりも、さらに奇異な、悩みに満ちた人として描いている」
ジョワシャン・ガスケに対する批判のひとつの例であるが、たしかに、クローチェの系統をひく美術史家ヴェントゥーリから見れば、歴史の観念をそなえていないというのは決定的な欠点であったのだろう。セザンヌ学者たちの指摘を大きく二つに分けると、今あげたヴェントゥーリのように「証言者ガスケ」のあり方についてのものと、文学者であったガスケの文体それ自体についてのものとがある。
もちろん、「証言者ガスケ」と「文学者ガスケ」とは切っても切れないので、便宜的な分け方を敢えてするわけだが、この本がドキュメントとして「重要であるが、いらいらさせる」とまで言わせるのは、やはりその特有の文体ゆえであるようだ。「雄弁」、「ややおおげさな抒情性」、「虚飾のある文体」など、いろいろとセザンヌ学者たちに酷評されている。
(『セザンヌ』「訳者解説」與謝野文子)
ちなみに、文中に出てくるリオネッロ(リオネロ)・ヴェントゥーリ(Lionello Venturi、1885 - 1961)さんというのは、著名なイタリアの美術史家です。そして「クローチェの系統」という言葉に出てくるクローチェさんという人は、同じくイタリアの哲学者・歴史学者のベネデット・クローチェ(Benedetto Croce, 1866 - 1952)さんのことだと思います。ただし、私は専門家ではないので、間違っていたらごめんなさい。
この與謝野文子さんの文章から読み取れることは、おそらくガスケさんの評伝に対して、もっとセザンヌさんの個性と思想を整理し、それを当時の美術史的な背景に位置づける工夫が必要だ、という意見があったのでしょう。
さらに與謝野文子が書いている「いらいらさせる」とか、「ややおおげさな」という分かりやすい批判について、この本を読んでいなければ何のことやら・・、という感じだと思いますが、読み始めてみるとすぐにそれが的を得ていることが分かります。ガスケさんの文章は饒舌な形容が多くて、読んでも読んでもなかなか進んでいかないのです。そして結局、何が言いたかったのかよく分からない・・・と、いらだつことが多々あるのです。
例えば、この本の書き出しはこんな感じです。
ヴィクトワール山のふもとの、世界で最もおいしいパンになると言われている小麦の植えられた平野のなかに、松とオリーブの木の立ち並ぶ丘陵に囲まれて、昔の栄華のなごりといっては、憂鬱で尊大な構えだけをとどめるあの死都エックスに、ポール・セザンヌは生まれた。プロヴァンスの冬の日の照る寒さは、その中ですでにアーモンドの枝に花芽が萌えつつあるという感触をふくんでいる。光の薄い冬のある月、正確には1839年の1月19日のことだ。この地の旧家の子弟であった彼もまた、自らの芸術の冬期において、春の先ぶれの身震いを世にもたらすことになったのである。
さぞプッサンが熱愛したであろうと思われるこのくには、木々の群や丘陵の知的な曲線、海の風に揺れ動く地平があって、全体を見渡せば、古典的な土地柄だ。トレの町がオリュンポス山のようにこのくにを見守っている。セザンヌが仕事をしていたジャ・ド・ブッファンの窓から見えるエトワール山脈は、古代風の横顔を、切りぬくように描いている。ポプラや柳が風にそよぐアルク川流域はくねくねと、白い道路に横切られながら、葡萄畑のエメラルド色や小麦の大きい黄色の正方形や薄ぼこりの立つアーモンドの果樹園をぬけて、ゆらゆらと、とき色の畑やロクファーヴールの斜坂よりも先の、ベールの池と塩田のほうへと下ってゆく。一本の孤立した糸杉、井戸端の無花果の木、激しくごわごわした月桂樹があちこちにあって、この流域に厳しいひとつの笑みというか、貴い思索の表情を与える。ウェルギリウスによって歌われたような歓喜、紺碧色の大らかさがあたり一帯にやすらかでかつ力強い雰囲気を作り出している。
(『セザンヌ』「第一部 第一章 青春」ガスケ著、與謝野文子訳)
ちなみにジョワシャン・ガスケさんの父親のアンリ・ガスケさんは、セザンヌさんの古くからの友人で、エックスの町でもっとも大きいパン屋さんの経営にあたっていたということです。文頭の「世界で最もおいしいパンになる」という小麦の話は、ガスケ家の家業を反映した文章なのかもしれません。
それにしても、名文であることは認めるとしても、文章が長いですね。
ただ、せっかく文章を読み込むのですから、ここからいくつかの情報を得ることにしましょう。
エックスは古くから人の住む、豊かで「古典的な土地柄だ」ということは事実だと思いますが、注目すべきなのはガスケさんがそのことを、この本のはじめから強調しているということです。與謝野文子さんは「訳者解説」のなかで、彼のことを「地方主義」を提唱する人であり、「活発な愛国主義者」であったと書いています。つまり、彼は保守的な考え方の詩人だったのです。それがこの評伝の中のセザンヌさんの芸術への解釈にも反映しているように、私には感じられます。
確かに、セザンヌさんは古典芸術に造詣が深い人で、例えば彼はバロック絵画の巨匠ルーベンス(Peter Paul Rubens、1577 - 1640)さんを尊敬していました。そしてこの本の中では、セザンヌさんがパオロ・ヴェロネーゼ( Paolo Veronese、1528 - 1588)さんの『カナの婚宴』の前で、次のように語ったというエピソードが書かれています。
『カナの婚宴』のリンクをご覧になったうえで、その文章をお読みください。
ヴェロネーゼ 「カナの婚宴」
https://artmuseum.jpn.org/mu_kana.html
これこそ絵画だ。部分も、全体も、もろもろの容積や色価も、構成も、戦慄も、すべてがここに入っている・・・ちょっと聞いて下さい、これは見事だ!・・・われわれは何者であるか?目を閉じて、少し間を置いて、なにも考えないで、目を開けてごらんなさい・・・どうですか?・・・大きな色の波動しか知覚されないでしょう、虹色の輝き、たくさんの色、色の宝庫。絵はわれわれにまずこれを与えてくれなければならないんだ。調和のある暖かさ、目がはまってゆくひとつの深淵。もの音たてぬ芽生え。色のついた恩寵の状態。こういう色調は全部、血の中に流れ込んでくるようだ、そうでしょう。すっかり元気がみなぎってくる。真の世界に生まれかわるのだ。
(『セザンヌ』「第二部 第二章 ルーブル」ガスケ著、與謝野文子訳)
この後も延々とセザンヌさんの『カナの婚宴』を絶賛する言葉が続きます。テープレコーダーのない時代に、どこまで正確にセザンヌさんの言葉が書き写されているのか、と疑問にも思いますが、それはともかく、ここでは古典絵画を深く愛し、それを興奮交じりに語るセザンヌさんが描かれているのです。
しかし、セザンヌさんは誰もが知っている通り、ピカソ(Pablo Ruiz Picasso, 1881 - 1973)さんやマティス(Henri Matisse, 1869 - 1954)さんなどのモダニズムの画家たちに影響を与えた画家です。そしてセザンヌさんは作品以外にも、書簡などで新しい絵画へと導く言葉を後輩の画家たちに投げかけているのです。もちろん、ガスケさんは『セザンヌ』の中で、そんなセザンヌさんの言葉を書き留めています。しかし『回想のセザンヌ』を書いたベルナールさんのように、ガスケさんは絵の専門家ではなかったので、セザンヌさんが具体的にどのような絵の課題と対峙し、それをどのように克服しようとしていたのか、という点についてはアプローチが甘かったようです。
訳者の與謝野文子さんは、その点について次のように書いています。
画家でもあったエミール・ベルナールと違って、ガスケは絵画に関する技術的な知識を持ち合わせていない。彼自身そうと明記しているし、ベルナールのようにたとえばセザンヌがどんなふうに吟味されたパレットを使っていたかを記していない。セザンヌが死んでまもなく発表されたエミール・ベルナール宛の書簡には、セザンヌがベルナールの熱心な質問に答えようとして、技巧にまつわる具体的な展開や、絵画理論ともとれるくだりがあり、ガスケはそういう部分をそのまま使っている。自分の記憶よりは書かれた資料を信用し、参考にする姿勢を明らかにしている。第二部は、いわば脚本のようなものであり、材料として自分の思い出、エックスに残るセザンヌの旧友たちの思い出、セザンヌがルナールや自分に書いた手紙、ベルナールの『思い出』(『回想のセザンヌ』有島生馬訳、岩波文庫)などを上手にまとめている。
(『セザンヌ』「訳者解説」與謝野 文子)
この解説を読んで、あなたはどのように感じるのでしょうか?
ガスケさんが、いかに晩年のセザンヌさんに寄り添っていたとはいえ、その共有した時間の情報だけで評伝を書くことはできなかったでしょう。そこで当時、入手できる情報を吟味して、評伝の中で活用したとしても『セザンヌ』という本の価値をおとしめることにはならないと思います。むしろ、先ほども書いたように、保守的な立場から主観的になりがちな文章に客観性を与えることを意識していた、と考えるなら肯定的な意味も読み取れるでしょう。
現在の私たちから見ると、セザンヌさんに関する研究書がたくさんあって、その中で初期情報としてガスケさんの資料を活用したい、だから彼が独自に知り得た情報のみを書き残してほしかった、という気持ちになります。しかしガスケさんは、当時としては誰も書いていなかった(たぶん)セザンヌさんの全体像を評伝として書こうとしたのだと思います。その困難さを思えば、ガスケさんの『セザンヌ』は、やはり読む価値があるのです。
そして今回、読み直して、ああ、そうか、と思った点があります。それはセザンヌさんの晩年の大作『水浴図』に関する記述です。これもリンクの作品を確認したうえで、次の文章を読んでみてください。
「大水浴図」ポール・セザンヌ(フランス)1839~1906
https://artmuseum.jpn.org/mu_daisuiyoku.html
ルーベンスからすっかり霊感を受けている最初のエスキースの描かれたこの時期から、死ぬ日まで、彼は何十回も投げ出してはまた何十回もやり直した大きな画布に打ち込み続けた。破られたり焦がされたり破壊されたりまた描きなおされたりしたこの絵の最終的な結果は、ベルラン・コレクションに入っている。私はむかし、ジャ・ド・ブッファンの階段の上に、ほとんど仕上げられた見事なレプリカをみたことがある。
(『セザンヌ』「第一部 第二章 パリ」ガスケ著、與謝野文子訳)
この文章は、セザンヌさんがいかに人体ヌードと格闘してきたのか、というエピソードの後に書かれたものです。そしてこれを読むと、セザンヌさんが、なぜ「水浴図」という変わったモチーフに終生こだわったのか、がわかります。これについては、もちろん、人体ヌードという造形的に興味深いモチーフを複雑に組み合わせることを可能にする群像のモチーフに熱中したのだ、というフォーマリズム的な解釈も可能です。しかし、やはりそれだけでは、これだけ執拗に繰り返されたモチーフの動機としては無理があります。そこには古典的な大作に匹敵するような作品を自分も描いてみたい、という欲求があったのでしょう。
あるいは、ガスケさんは、次のようなセザンヌさんの言葉を書き記しています。
・・・これが私のタブローとなるよ、私が後世に残すものにね・・・だが中心は?中心がうまく見つからないんだ・・・何のわまりに女たちを全員集めればよいか?ああ、プッサンのアラベスク。あの人は隅々までそれに通じていたよ。
(『セザンヌ』「第一部 第二章 パリ」ガスケ著、與謝野文子訳)
ニコラ・プッサン作「フローラの凱旋」、1627-1628年頃、パリ、ルーヴル美術館
https://meiga-louvre.amebaownd.com/posts/8953061/
ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin, 1594 - 1665)さんも、セザンヌさんにとって重要な画家でした。私たちから見ると、セザンヌさんのモダンな作品とはだいぶ違っていますが、このような古典作品からセザンヌさんが霊感を得ていたことは、やはり見過ごしてはいけないでしょう。私たちは、どうしてもセザンヌさんからピカソさん、マティスさんへという流れで見てしまいますが、彼のルーツを見るとその芸術の複雑さがわかります。
そしてガスケさんの『セザンヌ』の中では、そのプッサンさんも登場するバルザック(Honoré de Balzac, 1799 - 1850)さんの小説『知られざる傑作』の話が何度も出てきます。その小説の中の架空の画家、フレノフェールについて、まるで実在の画家のように何度もセザンヌさんは言及しているのです。そう言えば、この小説の中で問題となっているのも人体の一部(女性の足)でした。印象派以前の画家にとって、人体というモチーフは、現在の私たちには想像できないような、重要な意味があったのですね。セザンヌさんを直接知っているガスケさんだからこそ、その時代の通念を実感を込めて書くことができたのでしょう。これは現在から遡ってセザンヌさんの評論を書くこととは違った意味があって、興味深いところです。
それから、『セザンヌ』のなかでは、冒頭でも引用した通り、故郷の土地や風景について念入りな描写があり、その中をセザンヌさんが友人で地質学者のマリオン(Antoine-Fortuné Marion、1846 - 1900)さんと語り合ったことなどが書かれています。このセザンヌさんと地質学との関係については、数年前に持田季未子(1947 - 2018)さんの『セザンヌの地質学 -サント・ヴィクトワール山への道-』に詳しい研究成果が書かれています。すでにガスケさんの本の中に、そのヒントがあったのですね。当然のことながら、学生時代の私は、そんなことにまったく気づきませんでした。彼の饒舌な人物や土地の描写を流し読みしていると、そこにそのような重要な情報があったことを、つい読み飛ばしてしまいます。このような原石のような本は、こちらの学習が深まったところで折に触れて読み直してみると良いのかもしれません。
ちなみに、ジョワシャンさんの文章は冗長であっても、翻訳者の與謝野文子さんは、それを自覚したうえで読みやすく訳しています。「訳者解説」も含めて、このような翻訳者の本を読むことができるのは、私たちにとって幸運なことでした。岩波文庫版で読むと、「文庫版あとがき」も読むことができて、そこでは與謝野文子さんの夫でフランス文学者だった阿部 良雄(あべ よしお、1932 - 2007)さんとたびたびエックスと訪れたこと、文庫版を見せることができなかったことなどが綴られています。何ともうらやましいご夫婦です。
ちょっと話が脱線しました。
それから、これは知っておいたほうが良いことかもしれませんが、どうやらガスケさんとセザンヌさんは、最晩年には仲たがいしてしまったようで、その交流は途絶えてしまったようです。その原因が何なのか、よくわかりません。セザンヌさんの気難しさを考えると、ほんの些細なことであったのかもしれません。あるいは、ガスケさんの保守的な考え方に、セザンヌさんが合わせられなくなったのかもしれません。
いずれにしても、セザンヌさんを直接知っている人の評伝というのは、いろいろと困難を伴うようです。そういえば、ベルナールさんの『回想のセザンヌ』にも、転びそうになったセザンヌさんを支えようと思って触れたベルナールさんが、ひどく怒られたエピソードが書かれています。私なら、こんな老人と付き合いたいとは思いませんが、セザンヌさんの芸術が、若い芸術家をひきつけたのでしょう。
最後に、このガスケさんの『セザンヌ』を読む意義について、訳者の與謝野文子さんが次のようにまとめているので、読んでおきましょう。なかなか価値のある文章です。
この『セザンヌ』が初めて出版されてから半世紀がたった現在は、単純な偏見や教条をのりこえてガスケの再現したセザンヌ像を検討することができる。空気がどこにおいても等質ではないように、空間もまた等質ではない。現代芸術と文学のすばらしいユートピア—世界中のどこの白い壁も同じ白壁である、どこの一室も同じ一室である—によって忘却させられていた何かを思い出せる書である。風土と資質とのかかわりについて確固たる意識をもつことも、プロヴァンスの文芸復興期(ルネサンス)と呼ばれるものを背景にセザンヌを見なおすことも、理解に新しい奥行きを与えるはずだ。
刻々変わってゆく光の下で、刻々心理状況の変化するひとりの画家がとらえてゆく景色やりんごが、ものの特殊性を追究するなかで初めて普遍的なものに到達する過程を追体験させてくれる。
(『セザンヌ』「訳者解説」與謝野文子)
この「風土と資質とのかかわり」については、先ほども書いたように持田さんが『セザンヌの地質学』という本で、みごとにその探究の成果を世に問いました。
そして今回は、セザンヌの生きた時代、それはガスケさんが生きた時代でもあったのですが、その息吹を濃厚に感じました。これは、同時代人でないとできないことですね。それが與謝野文子さんの言う「プロヴァンスの文芸復興期(ルネサンス)と呼ばれるものを背景にセザンヌを見なおすこと」に繋がるかもしません。
彼女が書いている「どこの白い壁も同じ白壁」とか「どこの一室も同じ一室」というのは、美術館や画廊の無機質な展示空間を指しているのでしょうが、そんな現代の当たり前の状況から離れて、しばし「ものの特殊性を追究するなかで初めて普遍的なものに到達する過程を追体験」するセザンヌさんの時代に思いを馳せてみるのもよいと思います。
皆さんは、この本を読んでどのようにお感じになるでしょうか?