平らな深み、緩やかな時間

6.ジョナサン・クレーリーからリオタールまで

このブログを更新するころには、2012年から2013年になっているのかもしれません。
この時期は1年間で唯一、職場が閉まる時期なので、年末年始ではありますが、自宅でパソコンに向かってまとまった作業をしています。私が運営のお手伝いをしている「現代アーチストセンター」が、東京都美術館の修復工事の終了に伴い、久しぶりに展覧会を再開します。それでホームページも更新しようと、なれないソフトを使って悪戦苦闘しています。最近は、携帯電話でサイトを見る方も多いと思うので、なるべくシンプルにしようとしていますが・・・。
よかったら、次のアドレスをのぞいてみてください。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~a-center/

なお、そのなかにスタッフのページとして設定した私に関する情報は、このブログの冒頭の記事から、はいっていただけます。こちらも更新しましたので、ご覧いただければ幸いです。


さて、前回に引き続き、詩の専門誌『ユリイカ』の、岡田温司の『思考するイメージ、イメージする思考』という論文に導かれて考えたことを綴ります。この論文で、ジョナサン・クレーリー(Jonathan Crary  アメリカの美術史家、生年はわかりません)の「セザンヌ解釈」について、岡田は触れています。クレーリーの著作『知覚の宙吊り』(監訳・岡田温司)に、このような文章があります。

「無垢な」眼や幼児の眼といった一九世紀的な神話のうちに、セザンヌをとどめておこうとすべきではないだろう。むしろ彼は、何にであれ知覚経験における変則的なものに、驚くほど敏感であった観察者として考察されなければならないのである。彼は後期作品において、知覚の白紙状態(タブラ・ラサ)と格闘し、そこから世界の根源的な構造を新たにつくり上げようとしていたのではない。むしろ彼は、みずからに影響を与え認識可能な世界への足場を揺るがすような、不整合な外部世界と取り組むことを率直に受け入れていったのである。
(『知覚の宙吊り』)

クレーリーもメルロ=ポンティと共通した、セザンヌの絵画の特徴であるその知覚に注目していますが、彼の場合、「不整合な外部世界」が前提となっている点で、メルロ=ポンティとは大きく違っています。
メルロ=ポンティの場合は、セザンヌが「諸感覚が分離する手前」の無垢な眼で世界を見た、と解釈しました。ところがクレーリーの場合は、「外部世界」がそもそも「不整合」なのだから、セザンヌは「無垢な」眼で世界を見る必要などなく、そのまま世界を受け入れればよかったのだ、と解釈しました。
このクレーリーの見方は、どこからきているのでしょうか?クレーリーがセザンヌを論じるに際し、同時に論じているのが《大列車強盗》(1903)という映画です。映画の世界では、地面にカメラを据えれば動いているのは列車になりますし、列車にカメラを据えれば動いているのは風景になります。中心となる視点が、たやすく交換されてしまうのです。

方向は―対角であれ、水平であれ、垂直であれ―この空間システムがもつ非階層的な広がりのうちで、いかなる特権化した重要性をも担うことをやめる。われわれは、象徴的行為というメルロ=ポンティの説明、つまり水平線は、人間の知覚における図-地の構造において根本的に優位であるとする見解からは、遠く離れたところにいる。
(『知覚の宙吊り』)

人間の視点の動きを飛躍的に発達させたテクノロジーの時代にあって、遠近法的な視覚から離脱するためには「知覚の白紙状態」と格闘する必要はありません。映画のカメラのように外部世界に眼を向ければよいのです。セザンヌの晩年は《大列車強盗》と同時代、つまりセザンヌが「非階層的な広がり」として世界を見たとしても、不思議ではありません。

セザンヌにとっての世界は、脱中心化の無限の連続としてのみ把握可能なのである。自明なことを何度もくり返していう必要はないが、セザンヌは、統合された同一の領域を、異なる複数の視点から眺め、それらを合成しているわけではない。むしろ、セザンヌの頭部が動くたびに視点と関係が質的に変化し、カレイドスコープ(万華鏡)を回転させたときのように、世界を解体してふたたび組織するのである。
(『知覚の宙吊り』)

このクレーリーのセザンヌ解釈は、「無垢な眼」という「神話」にセザンヌをとどめておかない、と宣言している点で興味深いと思います。それに視点の移動が前提となる世界認識というのは、映像表現が発達した現代にこそ考察されるべきものでしょう。
ただ、この解釈には、次のような疑問が残ります。「不整合な外部世界」に取り囲まれている現代にあってなお、どうして晩年のセザンヌ絵画が、いまだにユニークであり続けるのでしょうか?私たちは、そのことを引き続き考えていかなくてはならないと思います。


また、クレーリーと同様に、メルロ=ポンティのセザンヌ解釈に疑問を付した哲学者がいます。
岡田によれば、ジャン・フランソワ・リオタール(Jean-François Lyotard 1924~ 1998)は、メルロ=ポンティの「セザンヌ解釈」について、こう考えたのだそうです。
メルロ=ポンティはセザンヌの「疑惑」を見抜いていたにもかかわらず、結局のところ「統一的言語」という幻想に屈してしまった、平たく言えば、セザンヌの絵画に「両義性や不決定性」があることを知りながら、メルロ=ポンティはそれを無理にまとめようとした、というのです。

セザンヌを介して、メルロ=ポンティが、言語と世界、語る身体と感覚する身体とをあくまでも和解させようとしたとするならば、リオタールは、言語も身体をも攪乱させる何ものかを語ろうとするのである。
(『思考するイメージ、イメージする思考』)


晩年のセザンヌの絵画を見て、何かすっきりとした解釈へと導くのではなく、矛盾や両義性をそのままに解釈するには、どうしたらよいのでしょうか?あるいは、それをそのままに語った場合に、何が見えてくるのでしょうか?
こういう設問は、興味深いことではあります。しかしこのあたりまでくると、セザンヌの絵画の問題というよりは、それを解釈する哲学者や批評家の問題ではないか、とも思えてきます。『思考するイメージ、イメージする思考』の冒頭で、岡田は「誰がセザンヌを必要としているのか?」と問いかけています。それは「ほかでもなく哲学者たちである」というのが答えです。プラトン以来、絵画―あるいはイメージ―は、哲学や思想の世界の周辺に追いやられてきたのですが、「今日、状況は一転しているように思われる」と岡田は書いています。

ロゴスは今や、イメージを排除したりするのではなくて、イメージに寄り添い、イメージと拮抗し、イメージに鍛えられつつあるのだ。
(『思考するイメージ、イメージする思考』)

その結果、セザンヌは哲学者たちにとって「新たな思考のために避けて通ることのできない、ひとつの試金石」となったのです。つまり、もはや絵画や美術の領域だけでは、「セザンヌ解釈」を追い切れず、私たちは広く思想世界全体を見渡さなくてはならなくなった、ということでしょうか。何だか、目の前がくらくらとしてきました。
セザンヌといえども、ひとりの絵描きです。何とか、セザンヌ解釈をもっと絵を描く現場に近いところで考えられないものでしょうか?
そういう試みに、眼を向けていければ、と考えています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「ART」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事