穴守稲荷神社
東京都大田区羽田五丁目2番7号
穴守稲荷神社は明治、大正、昭和を通して人々の信仰を集めたが、
第二次世界大戦が終わった直後の1945年(昭和20年)9月21日、羽田空港を軍事基地として拡張するため米軍(GHQ)より、範囲内の住民ともども強制退去を迫られることになった(羽田空港も参照)。
これに対して地元の有志らは移転先となる稲荷橋駅近くの現在の鎮座地を寄進し、
現在は境内の整備を進めており、神社はほぼ昔日の姿を取り戻しつつある。
なお、移転前の社殿や他の鳥居はGHQによって取り壊されたが、
門前の赤鳥居だけは撤去できず、そのまま空港の更地に残され続けた。
それは赤鳥居にロープをかけて倒そうとしたところ、
ロープが切れて作業員たちに死傷者が出てしまい(後に基礎が頑丈にできておりロープ程度では倒せないことが判明している)、
その後も何度か取り壊しや移転案も出たのだが、
その度に移転の工事関係者が事故にあったり原因不明の病気になったりと、
赤鳥居は“祟る”と言われてきたからである。
その後も1954年(昭和29年)に羽田空港ターミナルビルが建設されるが、
同時期に行われた滑走路拡張工事でも工事中に死傷者が続出した。
しかし、1990年代に入り、羽田空港の沖合展開事業にあたり滑走路に支障するため撤去する計画が出たが、
地元住民などの要望で、拝殿の移設から半世紀以上経った1999年(平成11年)にようやく現在地(天空橋駅南、弁天橋交番前)へ移設された。
この際、鳥居をクレーンで吊り上げた時に、突然雨が降り出した。
羽田空港に存在する不自然な鳥居の存在、実は壊そうとすると祟りが起きるヤバイ鳥居だった・・
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