塩見 孝也(1941年5月22日 - 2017年11月14日)
日本の新左翼活動家。元赤軍派議長、最高指導者。
共産主義者同盟赤軍派
「これまでの闘争方針では70年闘争を闘いきれない。受動的な階級闘争論では展望が開けず、能動的な攻撃型の階級闘争こそが必要である」
「自分は重信房子にあこがれられてたんだぜ」
よど号ハイジャック事件
1970年、「フェニックス作戦」と名づけたハイジャックを計画。下見を重ね具体的な計画を作成。実行部隊のメンバーを決定し同年3月後半の実施を決定したが、寸前の3月15日、都内駒込で警察に逮捕された。しかし塩見の逮捕を知った実行部隊は、善後策を協議し既定方針どおりハイジャックを決行。3月31日、田宮高麿をリーダーとする9名が、羽田空港で日本航空機・よど号をハイジャックし北朝鮮に亡命した
連合赤軍(特に山岳ベース事件)については全否定しており、自身や赤軍派とは何の関係も無いと主張していた。一方で、山岳ベースでの同志殺害をもたらした連合赤軍の暴力的体質や「共産主義化」の理論は赤軍派や塩見のものに他ならない、との批判が関係者からなされることもある
刑務所を出所してから、予備校の講師になるべく奮戦していた
(予備校の理事会側からの反対で実現しなかった)、
駐輪場の管理人の仕事を続けながら、出筆&講演活動を精力的に行っていた。
群馬県の女刑務所に重信房子の面会に行って、ガラス越しにハイタッチしてきた
日航機よど号ハイジャック事件を計画した元赤軍派議長で、
実刑判決を受けた塩見孝也氏が
14日午後、心不全のため東京都小平市の病院で死去した。76歳。広島県出身。
1969年に共産同赤軍派を結成して議長に就任した。
赤軍派のメンバーが日航機をハイジャックし、北朝鮮に渡った「よど号事件」を計画したが、
実行に移す直前に別の事件で逮捕された。
事件後に首謀者として再逮捕され、
よど号事件のほか、首相官邸襲撃を計画し、
山梨県の山中に同派活動家を集めて武闘訓練をした「大菩薩峠事件」などで
懲役18年の実刑判決を受け、89年に出所した。出所後は北朝鮮に残るよど号犯とも交流した。
(共同)
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