「野狐」(やこ)
田中 英光 (1913年 - 1949年)
初出: 「知識人」1949(昭和24)年5月
なんぎな女・桂子と一緒に暮らしたり別れたり
嫁に逃げたり 嫁から逃げたり
酒と薬(アドルム、カルモチン)に溺れ
わやくちゃな生活のお話です
アマゾンさんのキンドルでタダで読めました
野狐 | |
クリエーター情報なし | |
メーカー情報なし |
アマゾン・キンドルのアプリでいっちゃん恩恵を受けた気がしました
オモロイわやくちゃなお話です
師匠の太宰治さんみたいな格調高く気取った文体ではなく 平易でフツーな言い回しで
かといって ネットに転がってるよーな下衆で後ろ向きでカッコつけてるよーな感じではなく
イイ意味での内省感がそこはかとなく漂っています
ーひとのいう、(たいへんな女)と同棲どうせいして、一年あまり、その間に、何度、逃げようと思ったかしれない。また事実、伊豆のM海岸に疎開のままになっている妻子のもとに、度々戻ったこともある。
しかし、それはいつも完全に逃げられなかった。(たいへんな女)が恋しく、女房の鈍感さに堪えられなかったのである。たいへんな女、桂子の過去を私はよく知らない。私は桂子と街で逢った。けれども普通の夜の天使と違った純情さと一徹さがあると信ぜられた。
ー
ヒロインの桂子さんは 谷崎潤一郎先生の名著「痴人の愛」のナオミさんを彷彿とさせますが
「野狐」主人公の方は譲治さんみたいに真面目でドMではなく 自暴自棄でわやくちゃな奴です
わやくちゃなのに 小説を書けるってゆーのは すごいと思います その時だけはクールなんでしょうか
ーところで私は、俗物たちが妾めかけをもって平然としているように、一夫多妻主義で納まっていることはできない。道徳的には妻子のもとに帰るのが正しいと思われたし、新しい私の道徳からいえば、たとえ前身がなんであろうと、前の妻と別れ、より愛している女、桂子と一緒になることが正しいように感じられた。しかし、そこに四人の子供の問題がある。十八の六倍が容易にできないような桂子に、子供たちの育てられないのは、私にも分っていた。ー
太宰治と西村賢太のまん中ぐらいに位置するんでしょうか
初めて読む小説家の方なので まだ探り探りです
言い回しがとにかく 肩肘張っておりませんのが好感度高いです
あの西村賢太さんだって ケッコー肩肘張った言い回しされてますしね
とにかく田中 英光さんはカッコつけずにわやくちゃな生活を書きなぐってますね
それでいて乱暴じゃない 文化系なのです
とにかく探り探りなので目新しいです
「野狐」 青空文庫
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