すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

「ねえ、あなた。話をしながらご飯を食べるのは楽しみなものね。」濹東綺譚 1937年 永井荷風

2016年06月15日 | 書籍

いよいよ読むものが無くなり
kindle版の「濹東綺譚」に再チャレンジ

この書物は何度となく挫折しておりましたが
いよいよ諦めの境地で仕方なく読み進める

今回は 「出だしからオモロくスリリングな展開」と感じ
何度も同じ箇所を行きつ戻りつしながら
ようやく お雪との出会いシーンからの展開まで行き着く
オモロイ

「ねえ、あなた。話をしながらご飯を食べるのは楽しみなものね。」



『濹東綺譚』(ぼくとうきだん)
ぼく東綺譚
1937年 4月 - 『濹東綺譚』(私家版)を刊行。東京・大阪朝日新聞に連載(4月16日〜6月15日)

永井荷風(1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)




ぼく東綺譚 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


読み終えると何とも言い難い感慨
これは久々の経験である
読書をしてこーゆー気持ちになれるなんて
早速もう一度最初から読み直そうと
単純なネタで奥深い迷路とカオスだなんて
永井荷風
これからもお世話になろう



迷宮の私娼街 玉の井の歩き方






「誰もいないから、お上んなさい。」
「お前一人か。」
「ええ。ゆうべまで、もう一人居たのよ。住替に行ったのよ。」
「お前さんが御主人かい。」
「いいえ。御主人は別の家よ。玉の井館ッて云う寄席があるでしょう。
その裏に住まいがあるのよ。毎晩十二時になると帳面を見にくるわ。」
「じゃアのん気だね。」
わたくしはすすめられるがまま長火鉢のそばに坐り、
立膝して茶を入れる女の様子を見やった。

年は二十四五にはなっているであろう。
なかなかいい容貌(きりょう)である。
鼻筋の通った円顔は白粉焼けがしているが、
結いたての島田の生際もまだ抜上ってはいない。
黒目勝の眼の中も曇っていず唇や歯ぐきの血色を見ても、
其健康はまださして破壊されても居ないように思われた。
「この辺は井戸か水道か。」
とわたくしは茶を飲む前に何気なく尋ねた。
井戸の水だと答えたら、
茶は飲む振りをして置く用意である。

わたくしは花柳病よりも
むしろチブスのような伝染病を恐れている。
肉体的よりも
はやくから精神的廢人になったわたくしの身には、
花柳病の如き病勢の緩慢なものは、老後の今日、
さして気にはならない。
「顔でも洗うの。水道なら其処にあるわ。」
と女の調子は極めて気軽である。
「うむ。後でいい。」
「上着だけおぬぎなさい。ほんとに随分濡れたわね。」
「ひどく降ってるな。」
「わたし雷さまより光るのがいやなの。
これじゃお湯にも行けやしない。
あなた。まだいいでしょう。
わたし顔だけ洗って御化粧(おしまい)してしまうから。」

女は口をゆがめて、懐紙で生際の油をふきながら、
中仕切の外の壁に取りつけた洗面器の前に立った。
リボンの簾越しに、両肌(もろはだ)をぬぎ、
折りかがんで顔を洗う姿が見える。
肌は顔よりもずっと色が白く、乳房の形で、
まだ子供を持った事はないらしい。
「何だか檀那になったようだな。こうしていると。
箪笥はあるし、茶棚はあるし……。」
「あけて御覧なさい。お芋か何かある筈よ。」
「よく片づいているな。感心だ。火鉢の中なんぞ。」
「毎朝、掃除だけはちゃんとしますもの。
わたし、こんな処にいるけれど、世帯持は上手なのよ。」
「長くいるのかい。」
「まだ一年と、ちょっと……。」
「この土地が初めてじゃないんだろう。
芸者でもしていたのかい。」

汲みかえる水の音に、わたくしの言うことが聞えなかったのか、
又は聞えない振りをしたのか、女は何とも答えず、
肌ぬぎのまま、鏡台の前に坐り
毛筋棒で鬢を上げ、肩の方から白粉をつけ初める。
「どこに出ていたんだ。こればかりは隠せるものじゃない。」
「そう……でも東京じゃないわ。」
「東京のいまわりか。」
「いいえ。ずっと遠く……。」
「じゃ、満洲……。」
「宇都の宮にいたの。着物もみんなその時分のよ。
これで沢山だわねえ。」と言いながら立上って、
衣紋竹に掛けた裾模様の単衣物に着かえ、
赤い弁慶縞の伊達締を大きく前で結ぶ様子は、
少し大き過る潰島田の銀糸とつりあって、
わたくしの目には
どうやら明治年間の娼妓のように見えた。
女は衣紋を直しながらわたくしの側に坐り、
茶ぶ台の上からバットを取り、
「縁起だから御祝儀だけつけて下さいね。」
と火をつけた一本を差出す。


わたくしは此の土地の遊び方を
まんざら知らないのでもなかったので、
「五十銭だね。おぶ代は。」
「ええ。それはおきまりの御規則通りだわ。」
と笑いながら出した手の平を引込まさず、
そのまま差伸している。
「じゃ、一時間ときめよう。」
「すみませんね。ほんとうに。」
「その代り。」と差出した手を取って引寄せ、
耳元に囁くと、
「知らないわよ。」
と女は目を見張ってにらみ返し、
「馬鹿。」と言いさまわたくしの肩をうった。

為永春水の小説を読んだ人は、
作者が叙事のところどころに自家弁護の文を
さしはさんでいることを知っているであろう。
初恋の娘が恥しさを忘れて
思う男に寄添うような情景を書いた時には、
その後で、読者はこの娘がこの場合の様子や言葉使のみを見て、
淫奔娘(いたずらもの)だと断定してはならない。
深窓の女も意中を打明ける場合には
芸者も及ばぬ艶しい様子になることがある。
また、既に里馴れた遊女が
偶然幼馴染の男にめぐり会うところを写した時には、
商売人(くろと)でも こう云う時には
娘のようにもじもじするもので、
これはこの道の経験に富んだ人達の皆承知しているところで、
作者の観察の至らないわけではないのだから、
そのつもりでお読みなさいと云うような事が
書添えられている。

わたくしは春水にならって、ここに剰語を加える。
読者は初めて路傍で逢ったこの女が、
わたくしを遇する態度の馴々し過るのを怪しむかも知れない。
然しこれは実地の遭遇を潤色せずに、
そのまま記述したのに過ぎない。何の作意も無いのである。
驟雨雷鳴から事件の起ったのを見て、
これまた作者常套の筆法だと笑う人もあるだろうが、
わたくしは之をおもんばかるがために、
わざわざ事を他に設けることを欲しない。
夕立が手引をした此夜の出来事が、
全く伝統的に、お誂(あつらい)通りであったのを、
わたくしは却て面白く思い、実はそれが書いて見たいために、
この一篇に筆を執り初めたわけである。

一体、この盛場の女は
七八百人と数えられているそうであるが、
その中に、
島田や丸髷に結っているものは、十人に一人くらい。
大体は女給まがいの日本風と、ダンサア好みの洋装とである。
雨宿をした家の女が極く少数の旧風に属していた事も、
どうやら陳腐の筆法に適当しているような心持がして、
わたくしは事実の描写を傷けるに忍びなかった。

雨はやまない。

初め家へ上った時には、少し声を高くしなければ
話が聞きとれない程の降り方であったが、
今では戸口へ吹きつける風の音も雷の響も歇んで、
亜鉛葺(とたんぶき)の屋根を撲つ雨の音と、
雨だれの落ちる声ばかりになっている。
路地には久しく人の声もあしおとも途絶えていたが、突然、
「アラアラ大変だ。きいちゃん。どじょうが泳いでるよ。」
という黄いろい声につれて下駄の音がしだした。

女はつと立ってリボンの間から土間の方を覗き、
「家は大丈夫だ。溝(どぶ)があふれると、
こっちまで水が流れてくるんですよ。」
「少しは小降りになったようだな。」
「宵の口に降るとお天気になっても駄目なのよ。
だから、ゆっくりしていらっしゃい。
わたし、今のうちに御飯たべてしまうから。」

女は茶棚の中から沢庵漬を山盛りにした小皿と、
茶漬茶碗と、それからアルミの小鍋を出して、
ちょっと蓋をあけて匂をかぎ、長火鉢の上に載せるのを、
何かと見れば薩摩芋の煮たのである。
「忘れていた。いいものがある。」と
わたくしは京橋で乗換の電車を待っていた時、
浅草海苔を買ったことを思い出して、それを出した。
「奥さんのお土産。」
「おれは一人なんだよ。食べるものは自分で買わなけれア。」
「アパートで彼女と御一緒。ほほほほほ。」
「それなら、今時分うろついちゃア居られない。
雨でも雷でも、かまわず帰るさ。」
「そうねえ。」と女はいかにも尤だと云うような顔をして
暖くなりかけたお鍋の蓋を取り、
「一緒にどう。」
「もう食べて来た。」
「じゃア、あなたは向をむいていらっしゃい。」
「御飯は自分で炊くのかい。」
「住まいの方から、お昼と夜の十二時に持って来てくれるのよ。」
「お茶を入れ直そうかね。お湯がぬるい。」
「あら。はばかりさま。ねえ。あなた。
話をしながら御飯をたべるのは楽しみなものね。」
「一人ッきりの、すっぽり飯はいやだな。」
「全くよ。じゃア、ほんとにお一人。かわいそうねえ。」
「察しておくれだろう。」
「いいの、さがして上げるわ。」

女は茶漬を二杯ばかり。何やらはしゃいだ調子で、
ちゃらちゃらと茶碗の中で箸をゆすぎ、
さも急しそうに皿小鉢を手早く茶棚にしまいながらも、
顎(おとがい)を動して
込上げる沢庵漬のおくびを押えつけている。

そとには人の足音と共に「ちょいとちょいと」と
呼ぶ声が聞え出した。
「歇んだようだ。また近い中に出て来よう。」
「きっといらっしゃいね。昼間でも居ます。」

女はわたくしが上着をきかけるのを見て、
後へ廻り襟を折返しながら肩越しに頬を摺付けて、
「きっとよ。」
「何て云う家(うち)だ。ここは。」
「今、名刺あげるわ。」

靴をはいている間に、女は小窓の下に置いた物の中から
三味線のバチの形に切った名刺を出してくれた。
見ると寺島町七丁目六十一番地(二部)安藤まさ方雪子。
「さよなら。」
「まっすぐにお帰んなさい。」




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