ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

アンドレザジャイアントvsS小林

2023年12月04日 | プロレス
国際プロレスを主戦場にしていた頃(モンスターロシモフ)を初めて見ましたが
アンドレがカッチリと動きが素早いレスリングの応酬をしている姿を
初めて見ました。レスリング色が強いAWAでも活躍していた頃でしょうし
レスリングスキルの高さを見て驚きました。
しっかりとグラウンドレスリングが出来る事は存じていましたが
後のアンドレからは想像付かなかった技の切り返しの応酬。





それにしても、小林と猪木の顔はホント、似ているなぁ。
私がプロレス見始めた頃は、裏切る形となった
新国際軍に加担していただけしか見た事無いかも。
(R木村は「省三(小林)だけは目の玉くり抜いてやる!と木村の人柄からは
信じれない憎しみが有った事でしょうが)
試合は今になってYouTubeで観れますが。
猪木vsストロング小林は今でも団体のエース対決として櫻井氏、新間氏と
猪木のベストバウトとして挙げていますよね。
フィニッシュのジャーマンスープレックスのブリッジは猪木の首が
先にマットに付いた事で首痛めたそうですね。

国際プロレスは私世代の人間だとラッシャー木村から始まる
金網デスマッチを含め、チェーンデスマッチ、インディアンストラップマッチと
残忍な怖さがリアルだけどミステリアスで想像していたのですが
グレート東郷一団が国際を去った後、ヨーロッパレスリングにシフトした事で
ビルロビンソンが出てきたり、ホーストホフマンや、
ハワイで清掃員していたカールゴッチが出たりと
レスリング色が強いのですよね。
プロレスラーなりたかった鶴見五郎はフィリッツフォンエリックの電車広告で
プロレスに興味を持ったそうなのですが「日本プロレス系が好きじゃない、
技使わないで怪物みたいなのばっかりじゃん、そこで国際プロレスは自分にピッタリだったんだよね」
と生前語っていた事が印象深く。鶴見が入門した頃には既に
ラッシャー木村vsドクターデスの日本初金網デスマッチが行われた頃だと思いますが
そのレスリング色が強かった頃にアンドレは国際に招聘されたのをキッカケに
来日していたレスリング色の強いAWA総帥、バーンガニアに声をかけられて
テリトリーを広げるキッカケにもなったでしょうし。
小林は私の勝手なイメージでゴツゴツした試合と想像していたので
コレは結構スイングしているんでは無いかな?と思ったカードでした。

この頃の体型でレスリング技術を磨いたらアンドレが初期UFCでは
圧力で勝てるメンツ居ないでは?と思います。
ヒョードルvs大巨人チェホンマンという試合でヒョードルがホンマンの腕を
早々と極め勝った事有りましたが、人種が違うとは云え
相手がアンドレだとああはいかなかっただろうな、と思います。
まあ、スーパースターのアンドレがMMAに出るメリットも無いし
本人も相手に大怪我させる事が怖いと思うし。
プロレスファンあるあるで勝手に想像して楽しむと解釈して頂ければ。

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2 コメント

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悲運のIWE♯3 (凸椪)
2023-12-04 18:52:50
この試合は、当時、中学生だった私はテレビで視たのを思い出しました。ロープに足が挟まれてリングアウト負けとなったロシモフと、S小林の勝利者インタービュー模様は印象的でした(余談ながら、リングを降りて放送席でも、小林は受け応えに難儀していました)。その後、アンドレ(ロシモフ)・小林とも新日本に移った頃は、“アスリート”としては下降期に入り始めたと感じました。アンドレはこの試合のようなレスリングぶりは陰を潜め、文字通りモンスターの巨漢としてメインを張っていながら動きはスローモーで、巨体を支える体重に足元も覚束ない場面も見られるように思えました。小林もアンドレとの対戦では、シリーズ最終盤の猪木戦への“布石”として負け役を担うポジションに甘んじるようになって(持病の「腰痛」の影響もあったでしょうが、)、普段は前座戦に出場したり、ホーガンやハンセンとは初戦で潰されていた…という姿からは、このロシモフ戦のような“全盛期”の様子は窺い知れない気の毒さを感じました(ホーガンの新日デビュー時の短時間ホール負け試合が極め付け)。
幸運なことに私は猪木や長州がアンドレをボディスラムで投げた試合をナマ観戦しました。場内はドヨメイテいましたが、この試合では小林もロシモフをキッチリを投げていたのは覚えていませんでした。
ロシモフは国際に登場する以前は故国(??)のフランスで取っていたそうで、豊登とのタッグで(ストロング)小林省三は発足したばかりのIWA世界タッグ戦を争ったようです(豊登・小林組が初代方王者)。その後、国際での来日時には、リングアウトながらあのカール・ゴッチに勝った試合もテレビで視ました。
凸樫さん (太郎)
2023-12-05 23:17:07
後のアンドレからはあまり想像出来ない試合でした。
田鶴浜氏の著書だったかな?パリで豊登と組みアンドレ組から
ベルトを奪ったと知り、あのアンドレが負けてベルト失った!?と驚いた事ありました。
私がプロレス見始めた頃はあの田園コロシアムより前、81年5月頃でしたので
私にはハンセンvsアンドレのど迫力の試合がまず第一に浮かぶのですよね。
後に全日本に移った頃がスローモーに感じましたが存在感は変わらずで。
アンドレvsゴッチはリングアウトだったのでしたか。
プロレススーパースター列伝ではヒップドロップからのフォール勝ちで描かれていたので。
アンドレは最終的に270kg位迄太ったと昨夜知りました。
小林も腰痛という致命傷が有ったとは云え、新日本は商品価値が少し落ちたモノは
アッサリ使いスポイルしますね。人間的な問題を沢山聞きますが剛竜馬も
ブッチャーに45秒で負けたという記録が有った事思い出しました。
後、新日本は猪木組と後から合流しTV連れてきた坂口組で待遇の違いが有ったなんて
そういう説も聞きますね。勿論、猪木派の方が上で。
と、今ではテーズが草津をKOさせた試合をリアルタイムで観られた事が羨ましいです。
事実上、単独本格旗揚げ戦で失神させたという悲劇の始まり観れた事が。
猪木vsゴッチで猪木が敗戦したのとはワケが違いますしね。
小林がもっと気が強く攻撃的な人だったら、新日本でホーガンやハンセンに短時間で負ける役
‥坂口でさえ引き立て役だったのであり得ますね。しかし3分とは酷いです。
M井上は小林が辞めなかったら国際は崩壊せず続いていたと公言している様ですし
若手だった菅原は後に色んな団体渡り歩き、どの団体が一番良かったか?
といえば「国際プロレスですよ!」と誇りを持ってますね。
(新日本に対しては北尾の件の巻き添えで腹にイチモツあるようです)
長州がアンドレを投げたという記録は恥ずかしながら近年知りました。
長州に怒りフルスイング張り手を喰らわせたのに
アンドレがよく長州にボディースラム許したなぁ、と思います。
子供の頃アンドレを投げたのはホーガン、レイス、ハンセン、ボック、猪木、カネック
という情報でしたので。ハンセンが投げた事が如何に凄い事か?当時は解りませんでした。

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