K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

トーマス・アルフレッドソン『ぼくのエリ 200歳の少女』

2017年03月05日 | 映画
おはようございます。宮崎出張の疲れが取れず、身体がバキバキのただけーまです。
宮崎県産の赤ワインを入手したので、先月入手した安心院ワインと比較したい気持ちでいっぱいです。

今回はVODで観たトーマス・アルフレッドソン監督『ぼくのエリ 200歳の少女』の鑑賞録です。
邦題が興味を引かなかったので劇場鑑賞をしなかった記憶がありますが、どうやらかなり高評価されているということでVODで鑑賞。ありがとうNetflix!




<Story>
ストックホルム郊外で母親と暮らす12歳のオスカー(カーレ・ヘーデブラント)は、学校で同級生にいじめられていた。ある晩、彼はアパートの隣の部屋に引っ越して来たエリ(リーナ・レアンデション)という少女と出会う。同じころ、近くの街では青年が逆さづりにされてノドを切り裂かれ、血を抜き取られるという残忍な殺人事件が起きる。(「シネマトゥデイ」より)


いじめられっ子の美少年オスカーと去勢した元少年吸血鬼エリの恋愛譚という、ロリショタ好きにはたまらないヴァンパイア映画。設定が完全に日本のサブカルチャーじみていて、好きな人はドツボにハマりそうな作品ですね。

まず、映像表現が秀逸。ブラックアウトした画面に淡々とクレジットが映される冒頭のイントロで一気に引き込まれました。舞台が冬のストックホルム郊外というのも良いですね。エリの途方もない孤独感が舞台にも反映されているようです。



原題は"Låt den rätte komma in"で「正しき者を招き入れよ」という意味。招かれなければ家に入れないというヴァンパイアの性質をラブストーリーとうまく絡めた構成が秀逸です。



事実、作中には何度も「受容する」という行為に焦点が当てられます。ヴァンパイアであるエリが「私を受け入れて」と言ってオスカーに迫るシーンが本作の白眉。映像も美しく途轍もなく尊いシーンです。



「受容」という観点で面白いのが、冒頭でオスカーがいじめられっ子のコンニの真似をしているという点です。「真似」とは即ち積極的な「受容」であり、オスカーはエリに出会うまでいじめられっ子に当てられて、正しくない者を受け入れていたのです。



そして、エリと出会い、オスカーは良くも悪くも変わり、コンニではなくエリを受け入れていくようになります。エリが正しい者なのかはわかりませんが、エリのサポートとトレーニングで強くなったオスカーがいじめっ子を撃退し、暴力的になっていくのは実に皮肉な表現。いずれにせよ、どんな存在であっても愛する者を受け入れるという行為は「正しい」のだろうという強いメッセージを感じました。


オスカーとエリ

エリとモールス信号で会話をするのも「受容」のひとつの表れでしょう。オスカーが列車に乗って居場所のない故郷を飛び出し、棺桶の中のエリとモールス信号を使って語るラストシーンは素晴らしいものでした。


棺桶に向かってモールス信号を送るオスカー

スプラッタじみたシーンが多いのが少し気になったかなー。


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