Cool Head,but Warm Heart.

英語のスピーチ活動に本気で取り組む皆さんへ

第二章 外国語でスピーチを行う意義とは?

2006年11月29日 | 大会マネージ

日本語を母語とする日本人がなぜ英語でスピーチをするのでしょうか?安田講堂杯実行委員が考えるその意義をここに説明したいと思います。

「英語は国際語だ。国際的な場面で活躍する上で英語は必須のものである。だから世界の標準に合わせて英語を使うのだ」と説明することもできるでしょう。 確かに、世界の流れについていくために英語力は大事です。英語の勉強手段としてもスピーチは最適でしょう。しかし、我々はこれ以上の意義を英語スピーチに見いだしたいのです。その意義というのは、「文化の壁を通ることで身のある内容とその伝え方を追求する」というものです。

外国語できちんと相手を納得させるには、母国語で話す時以上に綿密に内容を練って伝え方にも入念に気を配る必要があります。ぼんやりとした意見は、母国語ではうまくごまかすことができても外国語に直せばいかに無内容か分かってしまいます。文化の壁があるゆえに、きちんと考え、伝え方に工夫する必要があるのです。逆にいえば、外国語で相手を説得できればその説明は本物でしょう。本当に発言するに値する内容を十分に説得的なやり方でもって伝えること、この能力を鍛えることにわれわれは外国語でスピーチ活動をする本当の意義を見いだすのです。

そう考えると、逆説的ですが、スピーチ大会において語学能力としての英語の力はさほど重要ではないともいえます。確かに自分の意見を外国語で表現するには相当程度の力が必要とされるのは確かです。しかし必ずしもネイティブ並みである必要はありません。逆に言うならば、ネイティブであってもスピーチ大会において、いい評価を得るとは限らないのです。学生スピーチ大会でしばしば誤解されていますが、大事なのは語学力ではなくむしろ内容とその伝え方です。ぜひ他の文化のツールである英語を通じて意見を述べる経験を通して、本当に訴えたいことは何かを練り、そしてそれを聞き手の心に響くものにする力を身につけてください。この力こそ、スピーチの力です。

文責 松田


第一章 なぜ、学生対社会人か?

2006年11月28日 | 大会マネージ
皆さん初めまして、第一回東京大学安田講堂杯実行委員長の平野と申します。今年12月23日、東京大学本郷キャンパス安田講堂で行われる私たちの大会「第一回東京大学安田講堂杯」が打ち出すコンセプトについて、ナカモト様のスピーチブログで紹介させて頂けることになりました。今回はまず第一章として、安田講堂杯の特色である、学生と社会人が5人対5人の割合で出場するという形式についての私たちの考えをお話させて頂きます。

皆さんは、様々なセクションで構成されるESSの中で、スピーチセクションの活動のいい所は何かと聞かれて何を挙げますか?僕ならその一つに、「実社会に目を向けた活動である」という事を挙げると思います。自分が興味を持ったどんな社会問題でも自由に選ぶことが出来、フィールドワーク、実体験、リサーチをもとに現実的に問題意識を掘り下げ、社会に対してメッセージを発する。英語に関しても、正しく、洗練されたものが求められる。「実践的な内容と実用的な英語」、スピーチの評価方法にもこのような目的意識が見えるのではないでしょうか。

しかし私たちがふと感じたのは、私たちもまた、ESSというそれ自体外の社会から閉鎖した場所にいる、ということです。勿論閉鎖する事でより親密な関係、きめ細かい教育、目的意識の共有など良い点も多く得ていると思いますが、実社会で通じる英語スピーチを評価するなら、毎回大会で顔を合わせるスピーカー以外にESSの外の人や共通の目標を持ってスピーチを磨いている社会人の方も新しいライバルとして受け入れる大会があっても面白いのではないか?と考えました。

社会人対学生という形式を取り出場資格についてもよりオープンな大会を作る事で、お互いの参加者にとってより斬新なスピーチの内容、切り口を持った相手とぶつかり合える大会となり、出場者は勿論、聴衆、ジャッジ、全ての参加者にとってより刺激的な大会になるのではないか、そんな期待をこの安田講堂杯の形式に寄せています。しかしこれは安田講堂杯が学生スピーカーの皆さんに期待していないという事では決してありません。ESSの学生にはスピーチを深め、勉強するだけの無尽蔵な時間と熱意があります。個人的に、ある社会人スピーチ団体の大会を観戦した事があるのですが、そこでユーモアやオーディエンスにメッセージを伝える工夫が違った視点から行われているのを見てその大切さを感じるとともに、一方でコンテンツについて深く勉強し、追究しよう、というESS学生スピーチ界の姿勢は社会人の方々にも負けたものではない、とも感じました。ですから社会人の方々は尊敬すべき先輩であるとともに、競うべき相手、と位置づけ、お互い対抗意識を持って大会が出来る事を期待しております。社会人の方々からも「学生には負けられん」と熱いメッセージが届いており、この形式をとることで、より白熱した大会が実現できることも期待されます。 

このように安田講堂杯ではより実践的で、多様なスピーチ観に触れ、そして学生と社会人がお互い刺激を与え合い、高め合える大会にしていけたら、と思っております。今後とも安田講堂杯に皆様のご声援を頂けると実行委員一同この上ない幸いです。

文責 平野

徹底的にムダを省く

2006年11月25日 | 勝利のために
日本が誇るトヨタの強みは、なんといってもその組織能力です。トヨタは自動車業界で時価総額世界一となった現在も、明日倒産するかもしれないという危機感を持ち続け、現場では常に生産性の向上に努めています。

生産性向上のために行っていることの一つに、稼働分析があります。(企業によって使われる用語は異なるのですが、ここではトヨタで使われている用語を使いたいと思います)
まず作業者の動きを正味作業、付随作業、ムダの3つに分類します。
正味作業は価値を製品に価値を生み出している作業、
付随作業はその作業の条件下ではやらなくてはならない作業、(部品を取りに行く、外注部品の包装を解く、など)
ムダはすぐに省けるもの(手持ち、意味のない運搬、持ち替え、二度手間、など)です。
ムダを省き、付随作業を工夫して時間短縮させ、正味作業時間の比率をアップさせて生産性を向上させるのが稼働分析の目的です。この結果、生産性の向上2倍3倍は当たり前となり、大田区にある、ある金型メーカーは生産性が24倍にも上がったそうです。

リライトも同じ作業だと言えます。原稿を書き上げた初期の頃は、どのスピーチも必ず無駄をいっぱい抱えています。リライトの究極的な目標はそのスピーチにおいて、評価に直結するような価値を生む言葉を並べるか、だと思います。同じことを諄く繰り返していたり、より分かりやすくするために関係詞節で後方から修飾する場合など、あってもなくてもあまり意味をなさない箇所がたくさん混ざっていませんか?このようなものは先ほどの3つの中では「無駄」に分類されます。そういうのは思い切ってカットしましょう。

付随的な部分でも、「価値を生む」レベルにレベルアップさせることができます。効果的な形容詞や副詞をズバっと使ったり、様々なレトリックを用いたり、ユーモアを交えたり、ジェスチャーを交えたり・・・と、工夫次第でいくらでも価値を生み出すことができます。2文、3文かけて説明していることを1文でまとめられれば、それは立派な「付随部分の短縮」です。

このように、価値を生む時間を増加させていくのがリライトの究極的な目標です。

残る大会もあとわずかとなりましたが、この副詞節、この前置詞句は本当に価値を生んでいるのか、などといったような見方で、もう一度自分の原稿を見直してみてはいかがでしょうか?

緊張と快感のあいだ

2006年11月24日 | ESS活動

後期の大会ももう後半に差し掛かり、これまでスピーチ界を盛り上げてきてくれた素敵なスピーカーが、一人、また一人と壇上から引退していく時期になりました。

昨日早稲田杯を見に行きました。賞賛に値するほど素晴らしい大会コンセプトとマネージはもとより、既発表可という特徴のある大会です。既発表可の大会のいいところは、「自分が最も思い入れのあるスピーチができる」という点だと思います。昨日もそんなスピーチがたくさん集まっていて、「見に来てよかったなあ」と心の底から思いました。特に引退してしまうスピーカーは、スピーチが始まる前の緊張と、スピーチを終えた後の快感を思う存分楽しんでいるように感じられました。もちろん、緊張と快感のあいだの7分間も。

しかし、壇上から引退しても、やらなければいけない責務があります。それは後輩への教育です。自分が経験してきたこと、経験して学んだこと、それらを決して出し惜しむことなく伝えなければいけません。大会で活躍しておいて、ほとんど何も教えずに大学を卒業してしまうのは非常にもったいないことです今までたくさんの恵みを授かってきたのだから、今度は自分が後輩たちに恵みを与える番です。「自分のためだけでなく、人のためにも」という気持ちを一人でも多くの引退スピーカーに持ってもらいたいなあと強く願っています。


早稲田杯のお知らせ

2006年11月19日 | 大会マネージ
初めまして。私、本年度早稲田杯実行委員長を務めさせて頂いております、早稲田大学ESAの山下芳典と申します。今回は、来る11月23日(今週木曜日・祝日)に開催致します早稲田杯のコンセプトについて、ご説明させて頂きたいと思います。

本年度早稲田杯のコンセプトは “Talk to the Audience, Listen to the Speaker.” です。私どもがこのコンセプトに込めたのは、英語スピーチを通して味わえる様々な楽しさの中から、「スピーカーとオーディエンスが意見を交換する楽しさ」に焦点を当てた大会を作りたいという気持ちです。
想像してみてください。いま、スピーカーが、自身の意見をたくさんの人々に伝えるために登壇しました。オーディエンスは壇上の発言者に賛同し、あるいは疑問や反対意見を提示しながら、スピーカーの意見に聴き入っています。全てのプログラムが終了して帰路につくとき、あなたの中でなにかが変わっている……私どもが作り出したいのは、こんなスピーチ大会です。

「意見を交換する」ことはスピーチの醍醐味のひとつですが、壇上で意見を述べるのはスピーカーのみであるということから、スピーチは一方的な意見の発信に留まる可能性を孕んでいます。大会運営側である私どもは、昨年度までの早稲田杯が構築してきたシステム――オーディエンスとスピーカーの直接の質疑応答、順位決定におけるオーディエンスによる投票など――や、本年度新たに採用するいくつかの工夫、そして「意見交換」を重視したジャッジングシートを用いて、スピーカーとオーディエンスとの意見交換を促進する環境を整えて参ります。

また、私どもは、「スピーチとは何か」、「理想的なスピーチとはどういうものか」という問いに対する答えを、みなさま一人一人が発見される上での判断材料にして頂ける大会を目指して、今年度早稲田杯を開催致します。「意見を交換する楽しみ」に焦点を当てた本大会を開催致しますのは、本大会が他大会との比較対象として、現在の、そして今後の英語スピーチに投じられた一石となることを願うからでもあります。本大会を通して皆様が感じられることが――肯定的であれ否定的であれ――みなさまがご自身のスピーチを模索なさる上で何らかのお役に立つことができれば、大会運営側としてこれほど嬉しいことはございません。

11月23日、私どもは “Talk to the Audience, Listen to the Speaker.” のコンセプトのもと、「意見を交換する楽しみ」を追求した大会をご用意しております。当日はぜひご来場下さいませ。会場でみなさまとお会いできるのを、部員一同楽しみにしております。


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コンセプトから運営側の熱意が伝わってきます。毎年コンセプトも形式も微妙に変わっていて、素敵な大会だと思います。早稲田杯のような素晴らしい大会がどんどん増えてくると、スピーチ界もますます盛り上がるのではないかと思います。大会の御成功をお祈り申し上げます。場所はオリンピックセンターだそうです。

敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり

2006年11月11日 | 勝利のために
間諜(スパイ)を駆使し、敵の実情を事前に探知することの重要性を、孫子は『兵法』の用間篇で説いています。聡明な君主や智謀に優れた将軍が、軍事行動を起こして敵に勝ち、抜群の成功を収める原因は、あらかじめ敵情を察知するところに或る、と。

スピーチの大会でも勝つためにはまずジャッジに高く評価されなければいけません。しかしながら、ジャッジがどんなスピーチを求めているかとか、どんなスピーチを好むかといったことまで事前に調査している人は少ないのではないかと思います。

スパイとか調査と言うと、言葉の響きが悪いですが、要はジャッジの好みをきちんと理解しておくことは重要だということです。

そのためには、まずクロージングでジャッジの方々が言うジェネラルコメントを必死にメモすることが大切です。この機会こそ一番逃してはいけないチャンスです。なぜなら「○○が足りない。とか○○が大切だ」といったように、答えを言ってくれているようなものだからです。会場を見渡すと、せいぜいメモを取っている人の数は指で数える程度。残念としか言いようがありません。

問題解決能力をチェックする項目の一つに、必死にメモを取る、聞き逃さない、というポイントがあります。その重要性は言うまでもないでしょう。人が何かいいたそうなそぶりを見せたら、それはペンを動かすサインです。(→蛇足的に補足する時こそ、本音であったり大切な用件であることが多い)そのメモを何枚も何枚も蓄積してみてまとめてみてください。そうすると、驚くことに、ジャッジが求めているスピーチは僕らがやっているスピーチとは全然違うスタイルのものではないか、とさえ思う時もあります。おそらくKUELのマニュアルよりもすばらしいマニュアルが作成できるはずです。

他にも、レセプションで必死にメモを取ることも重要でしょう。スピーカー本人ではなく、それを聞いている人がです。先輩や同輩がレセプでコメントを貰っているところの隣に座り、必死にメモを取るのです。私もずっとやっていました。要はジャッジの方々の金言を蓄積することが大切なのです。

だからといって、本選ジャッジと事前にタッグを組んではいけません。そこは、いくら孫子の兵法では許された戦略の一つかもしれないとしても、我らが日本人の武士道の精神を遵守しなければなりません。

ジャッジの寡占化がいまだに続いている中、むしろ情報を収集することは非常に簡単なことです。ジャッジに受け入れてもらうために、まずメモを取ることから初めてみてはいかがでしょうか。

スピーチへのアプローチ

2006年11月10日 | スピーチ論
スピーチを上達させたいという気持ちは皆同じなのだと思いますが、上達していく上で、スピーチに対するアプローチというのは、甚だ重要なのではないかと思います。

私は、スピーチ・スピーチ界をある意味で社会の縮図と捉えていて、また経済学部生なので、主に経済的社会的な観点から考察します。経済学やビジネスなどは理論もしっかりしていますし、何をすればより良い目標を達成できるのかがわかるので、それらの概念をスピーチにも半ばムリヤリ当てはめて考えます。もちろん他にも経済の分野だけではなく、日常のこと、スポーツ、音楽、映画などの分野からも考察を加えます。

スピーチを引退した人の多くの方が、社会に出てもスピーチで学んだことが役に立っているとおっしゃるように、スピーチは汎用的であるのは確かだと思います。

ならば逆に、私達の周囲で起こる社会の様々なことも、スピーチに適用できはしないでしょうか?
スピーチを上達するためにスピーチをするのはもちろんいいのですが、愚直にスピーチしかやらないのは視野がものすごく狭いなあと思います。もっと様々な観点・角度からスピーチに対してアプローチしてみてはどうか、と提案したいのです。

例えば、野球の選手の中には精神力を上げるために護摩行に行ったりする人もいれば、滝に打たれに行く人もいます。ボクシングをやる人もいれば、座禅を組みに行く人もいます。打撃力を上げるために、日本刀で素振りをする人もいれば、ピンポン玉を使って練習する人もいます。足の感覚を大切にするためにスパイクを履かずに足袋を履いて練習する人もいます。野球とは直接関係なくても、共通点のある他の分野から野球に対してアプローチしているのです。

このように、上達するための方法っていくらでもあると思います。ディベートをやったり、本を読んだり・・・あるいは常に「スピーチに応用できるものはないかな?」と意識する。このお笑い芸人のコントの間の取り方、スピーチにも応用できそうだなあ、とか、ありとあらゆる場面からスピーチに生かせそうなものを取り込むべきです。そうすれば、おそらくものすごく斬新なスピーチができる気がします。

いつも自分の周囲にアンテナを張って、何かスピーチに生かせるものはないだろうか?という気持ちを忘れずにいてほしいと思います。