かばのこ大冒険!!

ナイロビ病院でかばの子が生まれ落ちた…
幾月かの年月が経ち、かばの子の大冒険が始まる!
since 06/7/30

やっと夏休み~!!

2007年06月28日 | 南の島の漂流記
わーい。
待ちに待った夏休み!!
6月27日から9月3日まで!!
二ヶ月ずっと!!
しかも!!宿題がないのだ~!!
もーうれしくてしょうがありません。


とまぁ夏休み始まってしまったんですけどもちろんこっちの学校にも終業式がありました。
こっちの終業式はちゃんと一人一人に表彰状?見たいな物を渡されるんです。
なんか意外とそういうところはきっちりしてて関心関心。
その表彰状を渡された中でも学年で一番成績・態度がよかった人は別っこで表彰されたんですけど、なんと私ともう一人(同じ学年の子)がみんなの前で表彰されました!!
直前まで知らなかったのですごくビックリ!!
私の学年だけは引き分けだったけどトロフィーもらえたので満足!!

初めて女装を見た日

2007年06月18日 | 南の島の漂流記
金曜日…
その午前中はいつもと何の違いもない普通の日だったんですよ!!
それが…

15日金曜日の午後
この日だけはタレントショーというのが学校で開かれた。
これは学校の生徒50人の中でこのショーに出たいものだけオーディションをうけ、その中でそのオーディションにうかった人だけ出れる学校行事だった。
今回は6人。
そのうち4人は二人組みでやった。
1人目…うちのクラスの子。
リズムのある音楽で踊った。
私の評価はまあまあ。


2人目…うちと同じ学年の子。
盛り上がるところだけ歌って他は口パク。
評価は同じくまあまあ。


3人目(1組目)…高学年の男女2人組み。
英語で漫才。周りがうるさかったので少し聞きのがした。
評価はなかなかよかった。


4人目(2組目)…中学年の男二人組み。
高度のダンス。しかし音楽の調子が悪く途中で中断。
評価はよかった。


これで終了。
あとは審査員の結果発表、と思いしや…
「今日はなんと!!ロサンゼルスからグリーンガールが来てくれました!!」
ってえーーー。
なんだろうって思っていたら舞台に上がったのは5人の美少女!!
じゃなくて先生たち!!!
しかも鬘に変な服。
な、何これ????????
って思ってたら横から…
「ウオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!」
すごい歓声。
振り返ってみると…
我校唯一男の先生が女装してる!!
しかもそのまま歌いだすし…
大爆笑の連続。
もう驚き続きのタレントショーでした。

ユラユラ

2007年06月11日 | 南の島の漂流記
今日は島のゴンドラに乗ってきました!!
感想は…はっきり言ってあんまり。
理由は行く途中に車に酔った。
前から車には弱いんですよね
なもんでせっかくのゴンドラもふらふらのまま。

理由2は大雨だったんです。
ゴンドラには屋根ないもんでびしょ濡れ。
一応カッパを貸してもらったんですけどズボンはびちょ濡れでした
しかも眼鏡だから水滴がついて見えなーい
もっと晴れた日ならよかったかもしれません。
ついでにあんな雨の中でも母は大満足。
また来たいって言ってました。
私はもうこりごりです。

クラスメイトから友達

2007年06月05日 | 南の島の漂流記
こっちへ来てすぐのこっちの子の印象は、日本人とは感覚が全然違うってことだった。
かなりショックをうけた
何にショックをうけたかって言うと、私がここに来て数ヶ月がたった頃、ひょんなことからクラスメイトの一人に「あの子は友達じゃないし」っていわれた事。
全然悪気のない言葉だったからよけいショックみたいなびっくりみたいな感情?だったと思う。
日本でなら結構仲良く友達感覚だったけど、こっちの子はちょっと違うらしい。
だからと言ってどこまでいったら友達になるのかはよくわからない。
2ヶ月前くらい前から友達に昇格した。
まあ今はこれで充分かな。

雨の中

2007年06月03日 | 南の島の漂流記
この頃島では通り雨がよく降る。
それも1日のうちに数回。
でも通り雨だから洗濯物を屋根の中に入れたと思ったら、止むというヒジョーにムカつく雨である。
そんなこんなで洗濯物以外はそれほど気にならない雨であったが今日はさすがに少し頭にきた。
この頃ハーバーから見える風景の写真を撮るのにはまってる。
ちょうど家の裏側にあるがそんなすぐ近くでもない。
そのハーバに写真を撮りに行ってるとき雨が降り出した。
デジカメ持ってるときにですよ!!
雨降ってきたんですよ!!
しかもまだ写真とってなかったからその雨の中撮ったんですよ!!
そしてやっと家に戻れたと思ったら雨止むんですよ!!
それが2回!!
久しぶりにムカついた日でした。

ヘビ文字

2007年06月02日 | 南の島の漂流記
私が英語の中で唯一嫌うもの…
それは筆記体。
何なのあのクネクネ文字は!!
本当にあれだけは駄目。
漢字みたいにカクカクって感じの文字は覚えやすいのに、あんなクネクネ文字…
しかも人それぞれ書き方違うから読みにくいし!!

筆記体の話になったのもわけがある今までは普通のゴシック体で乗り切っていたけど今日、筆記体の授業があった。
授業的には楽しかったけどやっぱり何度も書いて、消して、書いて、消しての繰り返し。
それに筆記体の表がないと書けないし…
やっぱり英語を完璧に習得するには何年もかかるんだね。

喧嘩屋

2007年06月01日 | 南の島の漂流記
うちのクラスは仲がいいのか悪いのか分からない。
すごく仲良くしてると思ったら、すごい喧嘩を繰り広げている。
ISSL(インターナショナル スクール セントルシア)の生徒は血の気(笑)が多いがうちのクラスは特別だ。
なんて言ったって全員女の子なのだから。
女同士のいがみ合いは、男子の殴り合いより恐ろしいのだ。
うちのクラスの喧嘩は徹底的な言い争いだ。
次から次からへと相手が逆上するようなことばかり言う。
私もよく相手が逆上させること言ってしまうが、さすがに英語ではできない。
結局最後に泣くのはみんなからの嫌われ者。
私はそれほど嫌ってないがフォローできない。
みんな何かとその子につっかかて来る。
んでもって誰がその子を泣かせてるかって、結構かわいい顔してる子。
やっぱそいう子には味方がいっぱいついてる。
外から見てて、誰がいじめてて誰がいじめられてるのかよく分かる。
もっと英語ができたら止めれたのに。
今のところがんばってその争い止めようとしてるけど、日本の子達の喧嘩と違ってめちゃく怖い。
こんな喧嘩を止めることがいつかできるのだろうか?

王様気分

2007年05月31日 | 南の島の漂流記
日本はこの頃子供の学力が低下していると言うがそれでも勉強に関しては外国に負けていないと思う。(勉強の教材も子供にとっては嫌と言うほどある。
それに算数、数学などではやっぱり日本の方がしっかりと教えてると思う。
掛け算なんていい例だ。
私の学年には私を入れて5人(本当は6人だが)いる。
掛け算の筆算が5問ほど書いてある紙を渡されると…

一人は頭の中で覚えている(算数も結構できるが算数問題をする時ごまかして自分の好きな事をやる)
一人は指を使ってする(算数は上の子よりはだめだけどまじめにやるから結構テストでもいい点を取る。でも筆算の仕方など初歩的なことが分からない)
他二名は問題に手をつけず算数のできる子に頼り自分たちは他愛もないことをしゃべっている(算数は全然だめ、できない問題があるとすぐ放り投げて時々自分で問題を解くと高飛車になる)

本当に見ててこれでいいのかと言うような光景が繰り広げられる
掛け算の他に1000×100などの計算のとき…

一人はごまかして放り投げる
一人は計算のコツをつかんで自分でできるようになる
一人は意味不明の答えをだす
一人は人の答え見て写す

…なんていうかこんな簡単な計算を何で普通にできない?
結局まともにやってるのは私と二番目のまじめな子だけ。
この頃は勉強をほとんどこの子と一緒にやっている。
でもやっぱり他の子が邪魔してきたり、まじめなのに時々ネジが一本抜け落たように狂いだすし…。
何か前途多難なクラスだ。

こんな中、何が王様気分かって、そりゃあテストでいい点取ったとき。
日本でもいい点は取っていたけど、今は英語でテストしているのだから快感が違う。
今回の算数テストは100点中95点!!
少し自信なかったけどよかった~
そんでもってクラスで一番VV!
まじめにやんなかった子達は、やっぱり悪い点とって「不公平だ!!」って嘆いてた。

作文

2007年05月28日 | 南の島の漂流記
この十ヶ月で何が伸びたかと言えば英会話と英語で作文を書くこと。
こっちに来たころは英作文を書けと言われても2・3行書けるかどうかでった。
でも今は Microsoft Word を使ってぎりぎり一ページぐらい。
それでも文章が変だったり、スペリングミスがあったりまだまだだけど…。

そうそう、あとこの十ヶ月でだいぶ教科書を読めるようになった。
特に社会。
今はちょうど Industrial Revolution 、産業革命のことを習っている。
そしてちょうど今その時代に働いていた子供たちの物語を書くプロジェクトを出されている。
土日の間に終わらせお母さんにも見てもらって大体の間違えは直してもらったと思う。
本当は直す前のを載せたかったんだが、保存するのを忘れていた。
それでは興味ある人だけ読んでくださいな。

At the era of the Industrial Revolution, there was an Industrial city. The city was flood of the poor people.
The people have to work many hours in the day.
And the children also had to work with the adults when they are more than six years old.
The Emi was the one of the poor child.
Her family was her mother and one little sister.
Her father was already gone, and the sister was too little to work.
So her mother and Emi had to work for the family.
Emi and her mother were working in the biggest factory in the city.
Around her, there were many children as her age.
The owner of the factory beat children when they came late to work or stop their hands a little bit.
Emi was also beated for coming late to the work.
The job was too hard for little children like Emi.
She was ten years old and she needed a lot of food.
But the factory's food was a little bit of the bread and it was so hard to eat.
And also she has a little sister waiting for the food in the house.
She always ate little pieces of the bread and put the other pieces of the bread in her pocket and she gave it to her sister at home.
The sister’s name was Lenyi.
She was five years old and she was weaker than the other children of the same age.
She needed a medicine.
That was so expensive.
So a lot of money was used for her medicine.