OveJa neGrA

あっという間の34歳。気持ちにあった無意味な「楽観」も、今や少しの焦りとなってきた。チリに帰りたくなってしまうこのごろ。

28 de Feb,2010 チリ地震 まだ連絡つかず。

2010-02-28 20:30:21 | Weblog
自分の村や家がや家族、無事の確認ができて、少しずつ近況なんかも入ってくる。
でもまだ友人数名が連絡つかなくて。
日本人もチリ人もいるのだが、ニュースでは邦人の犠牲者は居ないというが。。。
それでもやはり心配な物は心配だ。
JICA事務所も今日は日曜のせいか、連絡つかず。
明日になったら本部にかけてみよう。
津波も大きな被害がなくてなにより。
地球の裏から、日本の心配までしてもらえるから頭がさがる。

28 de Feb,2010 チリ地震 朝になって

2010-02-28 11:51:00 | Weblog
数人の友人と話をする事ができた。
スカイプやface bookなど、今は便利なツールが沢山ある。
チリの事もそうだが、日本でも津波が心配だ。
いったいどうなることやら。
日本にも各地に友人知人が居る。
とにもかくにも皆の無事を祈るまで。。。

28 de Feb,2010 チリ地震 憂鬱な夜4 

2010-02-28 10:29:06 | Weblog
日本で一夜あけて、被害の大きさがますます顕著になってきた。
隊員や家族は全員無事が確認できたらしいが、まだ交通機関は壊滅的な被害らしい。
日本では津波の心配がされている。
首都近辺ではまだまだ被害が拡大しそうだが、その他の地域では大方大丈夫のようだ。
しかしコンセの友人とはまだ連絡がつかない。
どうか無事で。。。

28 de Feb,2010 憂鬱な夜3

2010-02-28 02:47:15 | Weblog
本当に憂鬱な夜だ。
CNNや現地のニュースのライブを見ながら、状況を把握しようとしているのだが、これがまた思うように行かず。
今は午前2時48分。
ライブの具合が悪いようで、画像がフリーズしている。
被害の大きいコンセプシオンにも、大切な友人が居る。
以前通った橋は倒壊して、街では火の手も上がっている。
こんな何もできない状況があるなんて、なんて苦しんだろう。
出来る物ならまっただ中居たい。
そんな今現在。

28 de Feb,2010 憂鬱な夜2

2010-02-28 02:20:56 | Weblog
今家族と連絡が取れた。
時間は日本時間午前2時21分。
家族は第10州に居て、「すごく揺れて眠れなかった」と言うが、本当によかった。
涙しながら無事を喜んだ。
少しチリの状況を聞く事が出来たが、首都周辺がやはりひどいらしい。
そして幸いにして、親戚も皆無事だったようだ。
隊員も無事でなにより。
しかし正直悔しい。
できることならその場に居たかった。
自分勝手なのはわかっている。
充分わかっているつもりだ。
でも、彼らに生かされ育てられた、そんな人達であり土地であるから、そんなわがままな気持ちになってしまう。
多くの犠牲者が出てしまっている。
もうこれ以上出ないで欲しいと心から願う。
とにかく一人でも犠牲者が少ない事を心から願う。

2月27日(土)のつぶやき

2010-02-28 01:01:02 | Weblog
07:40 from Keitai Web
アメアメ~春雨!
11:00 from Keitai Web
家事もやりだすとはまるのだ=^ェ^=
12:11 from Keitai Web
挽き肉半額(o^v^o)ハンバーグして冷凍しとこ☆
13:37 from Keitai Web
歩いた歩いた( ̄ω ̄)
16:25 from web
カーテンも洗ったぞい!
18:02 from Keitai Web
チリで地震。胸がちぎれそう。
by takumosaku on Twitter

27 de Feb,2010 憂鬱な夜

2010-02-27 21:53:46 | Weblog
チリ地震のニュースは以前進展なく。
時間は21:54分。
居ても立ってもいられない。
家族の顔がちらつく。
彼らに生かされた2年間。
どんな状況であるのか、考えただけでも苦しくなる。
不謹慎な言い方だが、出来るなら現地で彼らと過ごしていたい。
茂桜だってどれだけ不安だろうか。。
とにかく無事を祈るのみ。。。

27 de Feb,2010 チリで地震が。。

2010-02-27 20:14:46 | Weblog
現地時間午前3時過ぎ、M8,9程度の地震があったようだ。
震源地のコンセプシオンも、サンティアゴにも、その周辺にも、友人や家族が居る。
こころがざわつき、かるくパニックになってしまった。
ネットで情報収集するのだが思うようにいかず。
こうして何かをしていないと落ち着かない。
できることならすぐにでも家族や友人、患者さんのもとに駆けつけたい。
世界が近く感じる事がいい事なのか。
こうして地球の裏側の国の事が、まるですぐとなりの事のように感じてしまう。
モンテのママは、前回の大地震で家が倒壊して、たまたま出歩いてて大丈夫だった。
そんな話をしていた。
北は特に雨が少なく、家の構造も華奢な家が多い。
余計に心配だ。
どうか、どうかどうか無事で居て下さい。

27 de Feb,2010 朝鮮の人

2010-02-27 15:09:31 | Weblog
昨日改めてある映画を見た。
「パッチギ」
テレビや以前もビデオを借りて数回みたのだが、昨日の新聞での「朝学を国の政策から外すかどうか」といったニュースをみて、改めて見たくなったのだ。
僕にとって朝鮮とは、あまり「外国」ではない。
祖父が朝鮮人、祖母は日本人ではあるが、やはり意識しない訳にはいかなかった。
近年は「韓流ブーム」なるもので、焼き肉ツアーやエステやら、様々な企画で盛り上がっているようだが、そこに埋もれた歴史は、やはりきちんと知らなくてはいけないものだと改めて考えざるを得なかった。
長い間。日本人による朝鮮半島の侵略。
そしてロシアでの日本人により朝鮮人の置き去り。
そして強制的に連行して来た彼らへの扱い方。
今なお残る社会差別。
そして最も罪な事は、やはり私を含め多くの若者が「無知、無関心」である事だと思う。
これは残酷なことだろう。
映画のワンシーンである朝鮮人の老人の言葉。
「おまえらみたいな若者は、俺たちがこの国でどんな扱いを受けたかなにもしらない。そして何も知らずに生きて行くんだ。」
色んな思いがあり、色んな解釈ができるが、これは応えた。
僕は世代なのか教育環境なのか、それとも個人的な趣向なのか、こうした事に触れる機会が少なかった。
歴史を重んじて考える事もせず、成人になり選挙権を得て、日本という国の議会制民主主義に参加していたのだ。
しかし、支援すべき政党を選ぶ「眼」や、この国がそもそもどのような歩みで育って来たのか、とても無関心でいたように思う。
例えば、好きな女の子ができれば、その子がどんな所で生まれ育って、どんな家族がいて、そしてどんな生き方をして来たのか当然のように興味を持ち、そして絆が深まって行く。
そんな風に、自分の国について思えたら素敵な事ではないか。
隣国でありながら、様々な文化を引き入れて混じり合っている事実もありながら、何故か溝が一向に埋まらないように感じる。
なぜか。
やはりきちんとした形で議論しないからではないか。
何よりも、僕たちも自身の事として考えなければ、浅はかな「人権論」に迎合しかねないと感じさえする。
色々な決まりを作って解釈の線引きをする度に、なにか大切な物を捨てているような気がする。

海外での生活のなかで、やはり支えは「自分が日本人」である事だった。
チリ人はとても好き、国も好き、食べ物も文化も好き、ある意味日本以上に。
でも僕は「日本人」でいたい。
だから、眼を背けたくなるような事も、史実として事実として客観的に知りたい。
過去をかえる事も否定する事が出来ずとも、知る事で「歩み寄る」ことはできるのではないだろうか。
人間関係も同じ。
やはり平和であってほしい。
家族も、友人関係も、そして社会も、国も、世界も。。。
今まで無関心で過ごし過ぎてしまった、そんな浪費してしまった時間を、これから少しでも潤わすことができたなら。
自分の子や孫の為に。