やぶにらみの生態学/HFMエコロジーニュース

サル・クマ・森林保護に関する博物学的生態学的エッセイ・権威をきらうへそまがりの独り言

HFM・エコロジーニュース94(251)

2010-04-29 10:28:11 | ニュース

  路木ダム予定地視察行(2010年4月18日)
 熊本県天草市浦河町路木、そこは天草下島の南端(牛深市)に近く、東シナ海に面して羊角湾がある。その湾の最奥部には路木川、早浦川、古江川が注ぎ込み、干潟を形成している。さらに路木川の河口から約2.5Km北に一町田川が流れ込んでいる。
 路木川は源流から河口まで約6Km という短い川である。しかしながら、両岸は照葉樹が覆う山塊が迫り、今では失われてしまった懐かしい風景を残している。
河川には大きな堰もなく、今日でもアユやウナギが遡上する自然河川である。
河口付近には数件の人家があり、少し上流に向かって歩けば、水田がある。正確に言えば「あった」というべきか。
いまでは稲作はされておらず、田んぼにはスズメノテッポウ(イネ科)が繁茂していた。
 この路木川上流に3Km の所にダムの設置が計画されているという。すでに用地買収も済み、今まさに着工されようとしているという。
しかしなぜ、こんな所にダムが?と誰もが疑問に思う。聞けば、河口付近の家屋を洪水から守るためというが、どうも腑に落ちない。
洪水防止であれば堤防を築く方が遙かに安価で簡単である。
しかもこれまで、浸水するような洪水はないと言うではないか。あるあるといっていた洪水は、実は一町田川の氾濫で路木川ではないという。
何ともお粗末な話だが、一度計画されそれが認可されるともう後戻りができないという公共事業の悪い典型例がここにもある。
 とはいえ、過去の洪水が路木川ではなく一町田川で起きたものであることは、さすがの行政も認めざるを得ない。
しかしだからといって計画が中止になるわけではない。
一町田川が氾濫したときのような雨が路木川沿いで降ったら、同じように洪水が生じるかもしれないというかなり強引な理屈で計画は合理性をもつとされる。さらに洪水防止以外にもと利水という新たな目的が付け加わった。
ここにダムを造らないと路木の集落には永久に水道が敷けないといわれているそうだが、実は集落の数百メートルの所まで簡易水道が敷かれそれを延長すればすむという。
ダムは全くいらないのだ。
そうした状況にあって、地元の人たちは決してこの事業に賛同しているわけではない。
かといって地域を挙げて目立った反対運動が展開されているわけでもない。
多くの住人は口をつぐんでいるという。
 保守的で小さな集落では行政の施策に正面切って反対することは極めて難しいというが、この地域も決して例外ではない。
例外どころか、天草四郎(島原)の乱でも知られている隠れキリシタン弾圧のトラウマがまだ残っているのだという。
その真偽はさておいても反対運動が起きにくい事情は痛いほどわかる。しかしそんな中にあっても、やはり道理に外れたことを許しておけないという方はいるもので、粘り強く反対運動に取り組んでいる方もいらっしゃる。
彼らは、このダムの設置根拠となっている過去の水害が、実際にはなかったということを突き止め、ダム建設には合理的根拠がないとして住民監査請求を申し立て、それが棄却されると、住民訴訟に打って出たのだ。
その訴訟の援護に手を上げたのが、CONFEの事務局長を務める市川弁護士である。ということで、このたびの視察と相成った次第である。

残り少ない照葉樹林
 近畿以西の本州、四国、九州においてはシイ・カシ類を主とする常緑広葉樹(照葉樹)の森が本来の自然植生である。
この照葉樹林帯はヒマラヤを取り囲むように分布し、広くインドシナ半島、中国雲南省から南西諸島(沖縄)から日本列島西南部までの広大な植生帯である。と同時にこの植生に依存した共通する文化圏も形成していた。
残念ながら今日の日本ではこの照葉樹林は、まとまった森林としてはわずかに沖縄・九州の一部に残存しているに過ぎない。多くの照葉樹林は徹底して破壊され、神社仏閣の社叢林として細々と生き延びているという現状を知れば、天草地方に残る照葉樹林はこれ以上破壊してはならない貴重な自然遺産である。
むしろ、手入れのされていないスギヒノキの人工林は現存する照葉樹林を核に本来の生物多様性をはぐくむ森へと再生させる手立てを講ずる必要がある。

路木川周辺の照葉樹林
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 我々が視察に訪れた4月18日は、天気にも恵まれ、照葉樹林で覆われた古江岳の斜面はシイの花と若葉でブロッコリーのようにもこもことしていかにも照葉樹林といった風情を見せていた。
しかしよく見ると山頂(229m)付近の森だけが黒々としている。
ここは、古江神宮の社叢林にあたる部分で、かなり古い、つまり巨樹が多く、老年期にさしかかった林分であることがわかる。樹木も老齢化するにつれて生産力が低下することは否めない。しかしだからといって、役に立たないというわけではない。
森に暮らす生きものの立場から見れば、幼樹から老齢樹まで様々な樹齢がそろっていることの意味は大きい。「人はパンのみにて生きるにあらず」というように、あらゆる生きものは食糧だけあれば生きられるというものではない。
確かに食糧の確保は最重要の課題ではあるが、同じく重要な課題はいかに子孫を残すかである。子孫を残すためには、巣を作り、安全に繁殖できる場の確保は極めて重要である。
森林で暮らす生きものの中には、樹洞や腐食の進んだ木質部を利用するものも少なくない。老齢樹はまさに、そうした安全な生活場を提供しているのである。そしてまた、ある種のランやシダなどの着生生活をする植物にとってもまた同様である。
さらにいえば、老齢樹や枯れた古木などは、木質部がスポンジ状になりかなりの水をため込む。それが森林内の湿度保全の役割を果たすなど、生物の生存状見過ごすことができない様々な機能を果たしている。 
 視察当日も、サシバやミサゴが上空を旋回している姿を見ることができた。
南方から渡ってきたサシバがここで営巣するのだろうか、つがいらしい2羽がいつまでも旋回していた。日本列島で繁殖するサシバは近年、急激にその個体数を減少させている。
餌となるヘビやカエルなどの両生爬虫類の減少とあわせて営巣できる森がなくなってきていることもその要因の一つではないだろうか。
 林内の様子を探るべく、古江岳の斜面をよじ登る。
川沿いは水没予定のため6年前に伐採されている。現在では伐採後に再生した二次林のブッシュが繁茂しており、薮こぎをを強いられた。ヤブツバキやツブラジイ(スダジイ・これらを別種とする説もある)タブ、クスノキの幼木に混じってトゲが密生するタラノキやイチゴ類が行く手を阻む。
そんな中、今にも花を開こうとするキンランを見つけた。
ラン科植物の多くは地中での菌類との共生関係を構築して生存を維持しているケースが多く、暖温帯照葉樹林帯の共生系は大変古い歴史のうえに成立していることを覗わせる。
いささか功利主義的な説明で好きではないのだが、こうした生物の共生系の中には、我々の暮らしにとって未知なる宝(遺伝子)が眠っている可能性が高い。
それゆえ生物多様性条約でも遺伝子資源の公正な配分が議論されているのである。
ダムを作ることで一時的な利得は得られるかもしれないが、それはごくわずかの限られた利権関係者に過ぎない。
そのために膨大な予算を投じて将来の安全や暮らしの糧を失うことは許されることではない。

路木川河口と塩性植物
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 午後2時過ぎ、照葉樹林の様子を見た後は、干潟に残存する塩性湿地へ。
この日の干潮は午後4時頃だからもうかなり潮は引いていた。塩性湿地があると言うことであったが、現地へ足を踏み入れてみてもそれらしい湿地は見つからない。
泥質の干潟の中に礫質の部分が島状に分布している。そんなところになにやら見慣れない植物が生育している。ここは干潮時以外は海水に浸っている土地である。ヨモギのような葉をしたフクド(別名ハマヨモギ)、スプーン(匙)の様な形の葉をもつハマサジ、そして松葉のような多肉質の葉をしたハママツナである。
これらはいずれも塩性植物と呼ばれる仲間で、河口付近の海水に浸る湿地に生育している植物群である。この塩性植物も、全国的に自然海岸が失われ、その存続が危機的な状況に直面してる。
路木川河口付近では限界群落というべき状況にある。路木ダムができて干潟を形成する砂や礫、泥が供給されなくなれば、この干潟は潮流や波によって浸食されやせ細っていく可能性がある。
そうなればここに生育している塩性植物群落は確実に消滅するし、生物生産の重要な場は消滅する。このことが何を意味するかよくよく考える必要がある。
経済成長も大事だが、それを支える食糧生産や自給率の向上こそ、国民福祉に関する最大の課題であろう。本末転倒を許してはならない。

路木川の価値-源流から干潟・海まで
 冒頭でも述べたが、路木川は源流から河口、干潟まで連続する生態系がよく保存されている、今日では珍しい(生態学的)景観である。
路木川水系の集水域は極めて狭いにも拘わらず、夏でも川の水は涸れることがない。
それは流域斜面を立派な照葉樹が覆っているからである。もし流域の森林が全てスギ、ヒノキの人工林に転換されてしまえば、渇水と洪水を招くことになるかもしれない。
それを制御するためにダムをというのであれば、それは本末転倒である。ダムを設置すれば、森-川-干潟-海に至る物質の循環経路は断ち切られ、路木地区の海も川も森も大きく変容することは間違いない。
 路木川には今でもアユやウナギ、ハゼ類が遡上するという。 山に降った雨は照葉樹林の林床に蓄積された有機物や砂などを巻き込みながらゆっくりと流下する。
川面を覆う樹木からは、昆虫類の幼虫や花、葉などの有機物が落果し、河川で暮らす生きものの暮らしの糧となる。
一部は砂や泥とともに海に流れ込み干潟を形成する。干潟では、泥質層にくらす種々雑多な生物を養い、同時に水質は浄化される。
干潟の先に広がる浅い海には藻場が形成されそこでも多くの魚類や軟体動物が生きている。これらの生きものは、あるときには鳥によってあるいは人間によて、そして様々な生きものによって森へと運ばれる。
あるときは生物体のまま、またある場合には無機質へと変化して。こうして物質は無機物から有機物へと変化しまた無機物へと循環する。
 こうした物質循環が成立してこそ我々の暮らしが成り立っているのである。
生きものはすべからくこの大原則からは決して逃れることはできない。経済(産業)の持続可能性はこうした自然の(生態的)持続可能性を前提としたものである。

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 ちなみに路木川の注ぎ込む羊角湾では、真珠の養殖も行われている。それが可能なのは、大小様々な河川が羊角湾に流れ込み、豊かな生物世界を構築してきたからに他ならない。
 路木川流域の自然はこのような、源流から川を通して干潟や海まで一体となった生態系全体をまとめて保全することにその価値がある。ここは小さいながらも、流域保全の重要性を如実に示す格好のモデル地区である。こうしたところに、それを根底から破壊する可能性が高いダムを造ることは、文明国のすることではない。
 まして、この路木ダムは県営ダムで国の補助金が投入されることになっている。明らかにムダなこのダム建設に、またしても莫大な税金が投入されることは許されない。
国は断固として、犯罪とも言える不合理な計画には税金を投入してはならない。
(金井塚)