6月22日付け中国新聞に「宮島シカ生息地を分散」と題する記事が掲載された。廿日市市が策定した管理計画についてのものだが、どうも「動物のことを知らない素人考え」から脱却できていないように思う。
傍聴していなかったので、詳しい内容はよくわからないのだが、紙面から得られる情報からの見解なのであるいは、誤解があるかもしれない。しかし、これまでの議論の流れからすると大きな誤解は無いものと推察する。
記事の内容を要約すると
2013年度までの5年間で、市街地(桟橋、厳島神社、紅葉谷公園など)のシカを100頭に減らすことを目標とする。
そのために、
異物を食べて衰弱したシカの保護に取り組む。約5000㎡の市有地に柵を設けて飼育する。
餌場となる芝草地の創出を検討する。
包ケ浦では肥料をやって生育を促す。藤ケ浦も候補地として検討。
観光客向けに餌やり禁止やゴミの管理徹底を呼びかける。
ゴミ箱は地下にゴミを落とすシューター式への変更を検討。
観光客向けにシカの現状を説明する看板を新設する。
といった施策を計画に盛り込んだと記事にある。
注目すべきは、マイクロカプセルをシカの皮下に埋め込む避妊処置については、計画に盛り込まれていないという点である。
全体としてみれば、いい方向へと向かいつつあるという印象ではあるが、しかし、これで成果が上がるとは思えない。
まず、市街地のシカを100頭に減らすことの科学的生態学的な意味がわからない。100頭にすることで何がどう変わるのか?保護管理計画というと、必ず出てくる「頭数制限」の話だが、これほど無意味な議論はない。数に還元してみれば、一見科学的と見えなくもないが、市街地の環境を考えれば、とうてい100頭ものシカが暮らしていけるとは思えない。
そのためだろうか、芝草地の創出案が検討されている。実はこれこそが、この目標を台無しにする危険性をはらむ計画なのだ。
芝草地の創出は、おそらく市街地で餌をもらえなくなったシカが分散していくと決定的な餌不足が生じ、餓死するシカが出てくるから、それを防ぐための措置であろうと推測する。併せて、市街地から草地へシカを誘導しようという目論見もあるのかもしれない。
現在、市街地を歩いて調べてみればわかるが、食べられるものは全て食べ尽くしている。これで餌やり禁止が徹底されれば、シカは分散して行かざるを得ない。その受け皿を作ろうというのであれば、ある意味一定の効果は期待できる。多くのシカは山へ向かわず、芝草地へ集中するであろう。
芝草地が新たな集中と定着地となり、そこで繁殖したシカはどうなるか。
いくつかの可能性が考えられる。
シバの生産量を上回ってシカが消費する様な状態となれば、芝草地は裸地化するであろうが、その前に草地周辺の山林はシカの過剰利用で再生が困難となる。樹木が一掃され陽光があたる裸地にはシバが進入し芝草地が広がる。集中し定着した地域の周辺では、リョウブ、ヤブツバキ、コバンモチなどの樹皮食いが顕著になっていることは、これまでの調査で明らかになっている(佐合2006、2008)。 芝草地を核に個体数増加が顕著になれば、周辺森林に大きなダメージを与えることになりかねない。
あるいは、集中と定着が続けば、芝草地は不毛の裸地へと変化する可能性もある。増殖したシカが森を蚕食しつつ裸地を広げていく可能性もある。
宮城県金華山島では、増加したシカによって林床植生が壊滅的なダメージを受けている。原生的自然を残す渓畔林として知られている京都府下の京都大学芦生演習林(写真下)でも、シカの進入によって同じく林床植生は壊滅状態にある。
シカによる植生破壊の例は、全国各地に見られる。
照葉樹林に覆われた宮島は、もともと草地がほとんど無く(あっても沿岸部の湿地)、シカの個体数はそれほど多くはなかったと私は考えている。いわゆる照葉樹林に暮らすシカは、大きな集団を作らず、単独かせいぜい親子に分散して様々な食べ物を拾い歩く暮らしをしてきた。
そうした環境に、草地を創出し、個体数増加の機会を与えたらどうなるか、大きな禍根を残すことになる可能性が高い。
ましてや、施肥をして草の生産量を上げるとは、ほとほと困った発想といわねばならない。外部から資源を投入するということは、本来の環境収容力を超えて、シカの増加を手助けすることになり、増加要因をセットしておきながら個体数調節など出来るわけがない。
肝心な点は、シカが宮島という島の中でシカの力で生きていくということ、その環境を保証するということにつきる。
ついでだから、一つ指摘しておくが、包ケ浦で施肥をすれば今以上にシカの集中と定着が予想されるが、その糞尿や肥料が海を汚染するという危険性が考慮されていないことに驚きを感じている。
また、本来の海浜植生も完全に失われてしまうことをどのように考えているのだろうか?
移殖をすればいいとでも考えているのであれば、それはそれで大問題だ。
小さな親切大きなお世話的、保護管理柵は百害あって一利なしということである。
全体として、いい方向性を出しつつも、それを反故にしてしまいかねない決定的欠陥を持つのがこのたびの管理計画である。