SYUUの勉強部屋:仏教思想概要

仏教思想概要8:《中国浄土》(第4回)

(神代植物公園・つばき園にて    2023年12月7日撮影)

 

 仏教思想概要8《中国浄土》の第4回目です。
 前回から「第3章 中国浄土教の成立と発展」に入り、前回は「1.中国浄土教の成立―他力本願の浄土教-」「2.曇鸞の浄土教」を見てみました。
 本日は「3.道綽の浄土教」を取り上げます。

 

3.道綽の浄土教

3.1.道綽の略歴
 道綽の略歴を時代背景とともにみてみると以下のように整理できます。(表13-1)


(*参照:表13-2 「平延大寺」提案とは)

3.2.道綽の思想

3.2.1.中国における末法思想流布
 末法思想は、ナレンドラヤシャス(那連堤耶舎)により中国に流布されることになりました。彼はエフタル族の仏教迫害の地から逃れたインドの高僧で五五六年北斉の都に迎えられ、新しい仏典を訳出し、北斉仏教界に大きな影響を与えたのです。
(主な訳出経典とポイント 表14)


 彼の訳出の結果「仏法滅尽の期近づく」との憂慮は、まじめな僧俗仏教者の間に反復玩味(がんみ)されてきたのです。その時に、北周の侵入、廃仏実施がつづき、「末法」が現実に到来したと悲嘆せずにはおれなかったと思われます。
(参照:正法・像法・末法時代とは 表15)

3.2.2.信行の三階教の影響

(1)信行の仏教の三時代
 廃仏皇帝下に潜在した信行や道綽は、宗教は現在の身に実践され、体験されたものでなければならぬことを身をもって味わったのです。インドの仏教を学ぶことは尊いが、しかしそれが「今」「ここで」「すべての人に」実践され、体験されうること、時と人に適応するか否かが、第一の問題であったのです。
 その考えの上で、信行は仏教を三時代に分けました。(表16)

(2)信行の「普教」とは
 信行は、現代の仏教界について博学を誇り賢者ぶり、他の諸経を批判するなどしているが、このような聖典批判は聖者のみに許さされることで、「正法を誹謗する堕地獄の大罪」であるとしています。その宗はすぐれた教義であるが、今の世、今の人、罪悪社会にまみれた生活をする凡人を救う効力はないとしたのです。
 一切の仏に、一切のボサツに普(あまね)く恭敬(くぎょう)礼拝をささげるのみが、生盲の凡人われらに許された行である。仏は「一切衆生に悉(ことごと)く仏性あり」と説いている。すべての個人の尊厳を認めて、たがいに将来仏、仏性仏よとおがみあうこと、「普敬」こそが現代仏教の実践行であるとしたのです。

(3)信行の仏行と教団の発展
 信行は今の人にとっては、批判を捨てて普く敬うことのみが仏行だと、徹底的に自己と現代の凡夫性・罪悪性を内省し、そこから謙虚敬虔な普敬行に進んだのです。このため進んで受けた僧戒を捨て、僧位を降りて沙彌(小僧)と称して、若い僧の末座にしかすわらなかったのです。
 この新しい今の救済と共鳴して同行同信として廃仏を経験した僧俗の男女の仏教徒が「三階院」を建てて別住して修道に励んだのです。
 隋の初期仏教復興の長安で彼の教団は急速に盛大になり「無尽蔵」という経済機構をもって社会に奉仕(低利、無利息の融資など)しました。
 三階教は、一時邪教と排斥されましたが、唐代には復興し、都長安に限らず、道綽の住む山西省にも熱狂的な信者を集め、信行の墓所は三階教墓域ができ、「百塔寺」となったのです。

(4)三階教に対する道綽の立場
 このような時代仏教の環境の中で、道綽は「今、ここ、われわれの仏教」「末法仏教」運動を起こしたのです。彼の仏教は、信行がみずからのはからいを捨てた「普」の仏教だと主張したのに対して、無知の凡夫、罪悪の凡人、罪悪にまみれて生きざるを得ぬ社会の人々が現在今の時点でたしかに救われる道は、みずからのはからいを捨てて、アミダ仏の本願力の「信」によるアミダ念仏の「専修行」であると、まったく対蹠的な実践信仰に余生をささげ、村民を導きまた善導浄土教完成の師となったのです。

3.2.3.『観無量寿経』による布教
 観経がとくに盛んになるのは北魏後期、曇鸞の時代以降で、それ以前は教祖シャカ仏、その後継者としての未来出現のミロク仏に、造像銘は集まっていました。
 北魏後期になると、現在仏として説かれた無量寿仏およびその脇侍のボサツとされ、現実の苦悩者の救済に活動するという、大慈悲の観世音菩薩に集中していったのです。観世音信仰は、その信仰者を死後のアミダ浄土への往生願求の信仰に誘引することとなったのです。
 道綽においても観経を中心として説法教化しました。それは、各宗の学者が競い研究し講和したことと、在家の教化にもっとも有効な説話的内容と在家人の実践行法を説いたからと認められるからです。
 彼の著『安楽集』においても、経論の引用証明でうずめられていますが、この書が、山西の僻地貧農地帯である彼のもっともなつかしさ、いとしさを感ぜずにおかぬ郷土の無知な人々を前において、観経の講義説法をしたものの集録であると認められるのです。
(参考:観経の序章をなす王舎城の悲劇とは(表17)

3.2.4.曇鸞の思想と道綽の立場

(1) 師、曇鸞の思想
 道綽は『涅槃経』諸説の教学の僧から、故郷の農民の社会まで降りて身をおき、無学な彼らのために法を説いたのです。
 これに対して、彼の回心の師である曇鸞は、龍樹→羅什→僧肇の「空観」の教養を基礎としていただけに、常に顕現しているすべてを一貫する「性空(しょうくう)」の理論の裏付けから説くことをつとめました。
 人々の有相から浄土へ往生するとの想いを「無相の相」「無生の生」と戒め、仏教の本義に立って、絶対否定の上に肯定する、いわば「法」=真理-実相に目を開いて説くことを忘れなかったのです。
 しかし、アミダ仏の本願力を強調し、無相の法身である智の如来は、同時に常に方便方身として慈悲に活動し、さらに「為物身」=衆生のために仏身をもて、常に人々に現われて説法指導する人格仏として具体的な救済活動に帰敬(*ききょう)したのです。
*帰敬とは:すぐれた人に帰依し、敬礼すること

 曇鸞はわれを空しくして衆生のための仏(為物身)として、われわれのために救済活動やまぬアミダ仏の「本願力の信」によって「無生にして生ずる」空教養を離れざる往生の願求者となったのです。

(2) 道綽の立場
 道綽も空と有、相と無相、生と無生、との相即の仏教教義を継承していますが、現実末法の悪世を生きる凡人のすべてには「空理に立つ無相、無生の教理の理解も体得出来ない。唯、浄土一門のみあって、通入すべき路である」と強く断を下すのでした。
 彼は末法時に入っている現代では、早く常楽永生のさとりを得よと、「相有の生」を勧めたのである。
 当時の一般の仏教教理学者は、仏とは化現幻想にすぎない、凡愚のために示された低次元の仏、土にすぎぬと論ずるが、道綽は「古来より相伝してアミダ仏はこれ化身、またこれ化土なりという、これは大失なり」と一喝して、「現にいますアミダ仏はこれ報仏、極楽宝荘厳国(ごくらくほうしょうごんこく)はこれ報土なり」と決断するのです。
 至心にアミダ仏の名を唱えよ。他力の信をもて。一生罪悪にまみれて生活してきた愚痴者も、最後の至心の称名に救いを求めれば、必ず浄土に生まれ常楽永生の道に進むのだと教えたのです。

3.2.5.道綽の思想まとめ(参考資料)

(1)道綽の思想背景(表18)

(2) 道綽の修行過程(表19)

 

 本日はここまでです。次回は「4.善導の浄土教」を取り上げます。そして、「仏教移送概要8《中国浄土》」の最終回です。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「08仏教思想8」カテゴリーもっと見る