SYUUの勉強部屋:仏教思想概要

仏教思想概要8:《中国浄土》(第2回)

(神代植物公園・つばき園にて    2023年12月7日撮影)

 

 仏教思想概要8《中国浄土》の第2回目です。
 前回は「第1章 中国浄土教の系譜」を見てみましたが、今回は「第2章 中国浄土教成立の背景」を取り上げます。

 

第2章 中国浄土教成立の背景

1.インド浄土教の成立
 先にも述べたように中国浄土教の成立には、本家となるインドにおいて浄土教がどのように成立したのかを知る必要があります。ここでは、インド浄土教の成立の背景とその経緯をみていきたいと思います。
 浄土教がインド仏教中で誕生・成立したことは認められますが、シャカムニがみずから浄土教を説いたとは認めらません。
 また浄土教の成立年代を確定することは困難です。しかし、浄土教を成長させた要素をいくつか求めることはできます。

1.1.インド浄土教成立の背景-ウッタラ楽土-
 インド仏教における浄土を考えるとき、インド人の思考を考える必要があります。
 インド人はヒマラヤ連峰の北方に「ウッタラ楽土」があると想像したのです。
 (インド人の想像した「ウッタラ楽土」表1)


 これは、ヴェーダの讃美歌宗教を生み、ウパニッシャドの哲学を生んだインド・アーリア人が、望郷思慕の情から越しゆけぬヒマラヤ連峰のかなたに理想化した楽土を想像したもの、と思われます。
 しかしこれは仏教の楽土ではありません。仏教の楽土は、さとりを求める人々の修行の向上を促進する清浄の環境でなければ意味がないからです。

1.2.インド仏教における楽土=3つの浄土
 インド仏教では以下の3つの浄土が創出されました。(表2)


 古くからあったミロク浄土に対して、大乗仏教では東方ではアシュク浄土、西方ではアミダ浄土信仰が起こります。
 ミロクとなってさとりを得るには、遠い遠い数億年ののちとされるのに対して、今を生きて苦悩の解脱を求めている人々にとっては、これを充足する浄土信仰が、大乗仏教興起に随伴して急速に発展したわけです。
 ここで、大慈悲心に現在の一切衆生をつつみさとりに至らしめる現在仏の浄土と、その衆生のためにする仏の本願の思想こそ、浄土教信仰のもっとも重要な中心をなすものであったのです。
 大乗仏教は、在家、出家のボサツたちが、手をつないで立ち上がった「ブッダに復れ」の復古運動でしたが、本願思想とは、ここにおいて真の仏教徒はなによりも衆生救済をみずからの使命として、仏道に進む決意・誓願・本願を立てるべきであるとするものです。

 小乗教では同時に同一地上には一仏しか出現しないと考えたが、大乗教では、同時に多方に多仏が出現し、それぞれ衆生救済の大慈悲教化を、なによりまず現代に生きる衆生に対して行っていると信ずるにいたったのです。ボサツの仏教は自己の利益より利他を優先するものでした。それは、大慈悲の利他に、自利の行がつつまれて仏道が精進できると考えたからです。

1.3.インド浄土信仰の中国への移入
 ミロク浄土信仰は中国に伝わり、中国仏教教団の最初の樹立者の師主となった高僧道安(314-85)は『般若経』の血みどろの研究をつづけ、四世紀の晩年には門下八人と兜率天に生まれることを誓願したとされます。
 さらに、道安門下第一の偉僧といわれた慧遠(334-416)は晩年阿彌陀念仏実践を誓約する結社をつくり、浄土教始祖と仰がれ、中国のアミダ浄土教発展の源を開きました。ミロク信仰とアミダ信仰は相並んで行われることとなります。
 隋、唐以後の大勢はアミダ信仰が左右するようになりましたが、ミロク信仰も庶民の信仰の中心としてながく存続することとなりました。

 

2.大乗仏教の伝道者鳩摩羅什
 冒頭の系譜でも示したように、中国浄土教の成立には、中国大乗仏教の成立・発展に大きな影響を与えた鳩摩羅什(344-413)の存在を忘れるわけにいきません。
 鳩摩羅什は『般若経』『法華経』『維摩経』などの大乗経典とともに、『阿彌陀経』の翻訳者であり、中国浄土教成立に大きく関わっています。

2.1.鳩摩羅什の略歴
 鳩摩羅什の略歴は以下のとおりです。(表3)

2.2.鳩摩羅什の翻訳事業とその影響
 羅什の中国における実務的な貢献として翻訳事業をあげることができます。
 姚興王の下での翻訳事業は、羅什が原典を、国王が旧訳をもち、当時の名僧八百余人を集めて、羅什五十三歳の時の四○一年から四○九年の彼の突然の死まで行われました。
 当時中国には多くの仏教が入ってきていましたが、小乗・大乗の区分も、仏教の本質も十分に理解されていなかったのです。

(1)翻訳経典と著作(下表4)

(2)各訳文の影響(下表5)


 智顗の思想は最澄の日本天台を生み、同時に日蓮による法華宗の創立を生むことに繋がりました。   また、禅も般若思想の発展の方向に生じたものであり、その発展には羅什の多くの著作とともに、彼の弟子、僧肇の『肇論』が大きく影響しています。

(3)浄土教への影響
 羅什訳の『大智度論』(龍樹作)にては阿彌陀信仰をしばしば語り、羅什は『阿彌陀経』も訳しています。龍樹の『十住毘婆沙論』の中の「易行品(いぎょうほん)」は龍樹が念仏往生をすすめた証拠と、浄土教の建設者は主張しています。羅什は浄土教の根本経典をこしらえた人でもあったわけです。

2.3.鳩摩羅什の思想と浄土思想

(1)鳩摩羅什の思想
 羅什の思想を考える上で、略歴にみるとおり、彼が女犯(にょぼん)の僧であったという点に注目すべきです。
 例えば、『大智度論』『十住毘婆沙論』は、いずれも龍樹の著作を羅什が訳したことになっていますが、いずれも『法華経』や『維摩経』同様に、煩悩肯定の思想が多くみられます。
 煩悩をたち切っては、かえってさとりは開けない。泥中こそ蓮花は咲き、煩悩の中にこそ、さとりは開かれるという思想があり、両著作にはこれらの思想がみられます。しかも原典はみつかっていません。断定はもちろんできませんが、両著は羅什の作という可能性が多いと考えられます。
 確実に龍樹の著作であるとみられる『中論』などの思想と龍樹作と称される『大智度論』などの思想を比べると、前者では空の思想が否定的に、そして論理的に語られるが、後者では、より肯定的、より存在論的に語られています。
(龍樹の「空」の思想 表6)


 しかし、この論理をすすめると、僧侶の生活、禁欲の生活の否定ともなり、否定の否定を通じて、ふたたび、この現実生活が、弁証法的に肯定されることになるのです。
 老荘思想の研究家福永光司氏は『大智度論』には荘子哲学の影響があると指摘しています。老子の無は、そこから始まり、そこに帰る無、一つの目標であるが、荘子の無は、無とともに行く、人生はいつも無であるというものであるのです。この無は『大智度論』の空思想に似た、積極的な無といえます。

(2) 羅什の浄土教への傾斜
 羅什にとっての浄土教の意味を知る上にも、中国浄土の建設者の一人盧山の慧遠についてみる必要があります。慧遠は羅什と対照的、きびしい戒律生活に裏づけられた、まじめな求道精神それが彼の人生の特徴であったのです。彼は儒教を学んだ人であり、その道徳性を基盤に仏教を学んだのです。(慧遠については詳細を後述します。)
 しかし、このような道徳性への信頼は、羅什が本来もたなかったものであり、彼には一つの執にも見えたのです。その羅什が、『阿彌陀経』を訳し、『十住毘婆沙論』の「易行品」を訳し(又は創作?)したのは何故か?
 それは彼が、自己の内部にある煩悩の激しさを深く知る人であったからでしょう。般若の空観は空であるゆえに彼の深い業障も許されるかもしれない。しかし、あまりに深い彼の業障への絶望が、空の世界ではない世界への憧れ、彼を夢見る人に転化しなかったでしょうか?
 浄土教はまさに業の思想をもっとも深く追求した仏教宗派であったのです。業の自覚を通じて羅什は浄土教への傾斜をもったといえるのです。

3.慧遠の浄土教

3.1.慧遠の略歴(下表7参照)

3.2. 慧遠の浄土教=自力浄土教
 前述のように慧遠の浄土教は、『般舟三昧経』(はんじゅざんまいきょう)に基づいた禅観によるものです。わが国の源空・親鸞の他力信仰とも、魏末の曇鸞(日本浄土宗開創を導く)、唐初の道綽・善導師弟の浄土教とも性格を異にしています。
 『般舟三昧経』により修行を行った廬山の各員は持戒もかたく、教養も高い。般若智へ向って自力によって精神やまざる念仏三昧にはいり、その座で仏を見て疑網を断ち切ろうとするものです。
 これはわが国の浄土諸宗のような他力本願の宗教でなく、男女賢愚全人類の救いをめざす浄土往生教でもなかったのです。

3.3. 『般舟三昧経』とは

(1) 『般舟三昧経』の意義
 それでは、『般舟(はんじゅ)三昧経』とはどういったものか。それは、白蓮社念仏において主にもちいられた経典です。般若思想を踏まえた初期の大乗の浄土経典の一種で、浄土三部経よりやや早く成立したものです。
 十方仏国の現在諸仏を説いて、その諸仏を空智のさとりを求めて真剣に修道するボサツ(さとりを求める人々)が、その修行の場である座を立たずして見ることを得て、親しく法を聞き、疑網(ぎもう)を断ち切りうる禅定地に入る方法を説いています。
 般舟三昧とは、梵語の「プラチェトパンナ・サマーディ」の音訳で諸仏が現前する禅定三昧ということ。「現在仏悉在前立定(げんざいぶつしつざいぜんりゅうじょう、現在する仏がことごとく前にあって立たれる定)」といっています。

(2)『般舟三昧経』の実践方法
 「念仏三昧詩集序」に『般舟三昧経』の実践方法の例をみることが出来ます。(表8)


 「念仏三昧詩集序」は慧遠が念仏三昧を誓った僧俗同志が作った詩を集めたもので、この詩は、禅定三昧を得るもっとも有効な方法が、西方浄土に現存するアミダ仏に心を専注し、想念することであるとしています。慧遠はこの詩集の中で「いろいろな三昧があってその名称も極めて多いが、その中で一番すぐれた功徳をもち実行し易いのは念仏が第一である」と結論しています。

 

 本日はここまでです。
 次回から「第3章 中国浄土教の成立と発展」に入り、次回は「1.中国浄土教の成立―他力本願の浄土教-」「2.曇鸞の浄土教」を取り上げます。

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