SYUUの勉強部屋:仏教思想概要

仏教思想概要10:《親鸞》(第3回)

 

(神代植物公園にて・大寒桜     3月15日)

 

 前回は、「第1章 親鸞の思想背景」「2.親鸞の信仰・思想の背景」をみてみました。
 本日は、「第2章 親鸞の著作」「1.主著『教行信証』について」を取り上げます。

 

第2章 親鸞の著作

1.主著『教行信証』について

1.1.主著『教行信証』とは

 後ほど少し詳しく説明しますが、『教行信証』は親鸞の諸著作の中で、「文類(もんるい)」という部類に属するもので、彼の思想を著したものです。その大半は、経典、論文、注釈書など主要な仏教関連著書からの抜粋で、そこに親鸞のわずかな見解が付加された構成になっています。
 その『教行信証』では前述の彼の立場を明確に記しています。つまり、大事なのは「信」(彼は「信楽(しんぎょう)という言葉でこれを表現しています)ということを、この書で語っているのです。

 『教行信証』の名は仏教の歴史観から来ています。仏教一般では「教:教えを説いた経典」と「行:それを行ずる人間」と「証:その救いの証拠」の三要素(教・行・証)が必要と言われています。そして、釈迦の死後この要素が次第に失われ、末法の時代になると「教」のみの時代になるとの説があります。そして、この末法の時代に今入っているとの自覚が、鎌倉時代の仏教界の共通認識であったわけです。
 このため、法然はこの末法の時代には、念仏往生の一門しか残らないと、その論拠として『選択本願念仏集(選択集)』を著したわけです。

 これに対して、親鸞は末法の時代には、末法の時代に即した「教・行・証」があると考え、さらに親鸞は、これに熱い信仰の「信」を加えて『教行信証』を著したのです。(なお、『教行信証』には「教・行・信・証」の4巻のほかにさらに2巻が加えられ6巻の構成となっています。)

(『教行信証』の製作概要(表8))

(『教行信証』の序 表9)

 

1.2.真実の教え『大無量寿経』(「教の巻」)

 『教行信証』の第一巻「教の巻」で親鸞は、彼の依拠する経典を『大無量寿経』(いわゆる「浄土三部経」(下表10)の一つ)としています。

(『教行信証』「教の巻」の冒頭の文と意味(下表11))


 これは、中国浄土から源信、法然と続く浄土思想において、『観無量寿経』及び『阿弥陀経』を重視するこれまでの流れとは違った、親鸞の独自の考えで、しかも『観無量寿経』及び『阿弥陀経』の二経典は全く取り上げておらず、唯一の経典として『大無量寿経』を選んでいます。
 親鸞はその理由を、「阿弥陀仏が自らの身をもって証(あかし)をたれ、釈迦が勧めた経だから。そして、その教えの中心は、本願つまり阿弥陀四十八願の中の十八願『どんな悪い人間でも必ず、念仏さえ唱えれば、極楽浄土へ往生することができる』という願であるから。その念仏とは『ナムアミダブツ』の言葉である。」と、この「教の巻」で説いているのです。

 三部経のうち、『阿弥陀経』は極楽浄土世界そのものを、『観阿弥陀経』はその極楽浄土への行き方を示しており、まさに先の「念仏為本」か「信心為本」かといえば、前者の「念仏為本」をつまり「起行」の立場を示しており、中国浄土以来法然までは、その点に重点が置かれていたわけです。

 一方、親鸞は起行の結果得られる安心、ここでは「阿弥陀の本願」が大事だと説いているわけです。
 このことは、『教行信証』で親鸞が最も説きたかった「信の巻」でより明確となります。

 

1.3.口称念仏の保証、阿弥陀の十七願(「行の巻」)

 次の第二巻「行の巻」では、親鸞は、行はもっぱら「口称念仏」であると説きます。ここでも彼は『大無量寿経』、阿弥陀の十七願を取り上げます。「十七願:『たとひ、われ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟(ししゃ)して、わが名を称せずば、正覚を取らじ。』(意味:たとえ私が仏になったとしても、 全ての仏達が「南無阿弥陀仏」と私をほめ称(とな)えなければ、私は仏にはなりません。)」この願の中に親鸞は口称念仏の保証を見出したのです。(「行の巻」の一文 下表12)


 前述のように、『教行信証』において大事なことは、その様式ではなく、要文の間にさし挟まれた親鸞自身の領解と讃嘆のことばにあります。その意味で、特に重要なものは「行巻」の末尾の百二十句にわたる韻文で、題して「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」といいます。
 かなりの長文ですが、ここに正信念仏偈の原文(漢文体)の書き下し文を注釈付きで示します。(表13)

 

1.4.信仰の歓喜(「信の巻」)

1.4.1.三心とは

 いよいよ第三巻の「信の巻」にて、親鸞の信仰の本質が明らかになります。「信の巻」の特徴は、「三心(さんじん)」という『教行信証』の中心思想で、自問自答の形式をとっています。

 この巻の中心思想三心は阿弥陀の十八願にあります。「十八願:『たとひ、われ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて(欲生)、乃至(ないし)十念せん。 もし生ぜずば、正覚を取らじ。ただ、五逆と誹謗正法とをば除く。』(意味:たとえ私が仏になるとしても、全ての人びとが心より争いも貧困も差別も無く、 他者と比べることのない浄土に生れたいと心より念(おもう)ってほしい。 もしその人びと浄土に生まれることがなければ、私はまことの仏にはなりません。 ただ、殺父・殺母・殺阿羅漢(阿羅漢=聖者を殺すこと)・出仏身血(仏の身を傷つけ血を流させること) ・破和合僧(仏弟子の集団を乱すこと)の罪を犯す者、真実の法である仏法をそしる者は除きます。)」

 ここで、至心(ししん)とは、阿弥陀の真実の心、信楽(しんぎょう)は 阿弥陀の救いのはたらきに全くの疑いをいだかないこと、そして欲生(よくしょう)は阿弥陀浄土へ生まれることがはっきりして、ホッとしている心といった意味合いになります。

1.4.2.「三心は一心に帰す」

 親鸞は心の主体の変化とともに、心の内容の変化を三心釈においても大切なものとしています。 
 深心を彼は信楽ととらえる。「深くといふは利他真実の心これなり」と。利他真実の心とは、それは信楽つまり信仰の楽しみである。親鸞は結局、三心を一心に帰せしめ、そしてその一心は「信楽の心」の一心である、と説いているのです。
 信仰は楽しいものだ。絶望の中に自分を救ってくれたあの光の強烈さはどうだ。それを親鸞は、無量光、無辺光、清浄光などと呼びます。その光に照らされた自分、それはまさに喜びそのものであり、楽しみそのものであると。(「三心は信楽の一心に帰する」を証明する親鸞の言葉(表14))

1.4.3.善導の三心と親鸞の三心

 親鸞は「信の巻」で、三心説を説き、そこから信仰の喜びを高らかに宣言しますが、その三心説は、もともと中国浄土宗の高僧善導が説いた説です。
 ただし、善導の三心説は『観無量寿経』をもととしたものであり、親鸞は『大無量寿経』の立場に立って「至心信楽欲生」と、解釈しなおしたのです。
 『観無量寿経』の三心は「一、至誠心(しじょうしん)、二、深心(じんしん)、三、廻向発願心(えこうはつがんしん)」で、この経では九品往生の思想を説きます。つまり人間の位によって九つの極楽往生の仕方があるとしています。極楽へ往生するには、まことの心、深い心、全ての善をささげてどうしても彼の国へ往生しようとする心が必要だというわけです。
(『観無量寿経』の三心(表15)

 善導は説きます。「外に賢善精進の相を現して、内に虚偽を懐くことを得ざれ」と。つまり「外に偉そうに装って、内に虚偽の心をいだいてはいけない」と倫理的要請をしているわけです。

 これに対して、親鸞は「外に賢善精進の相を現すことを得ざれ、内に虚偽を懐けばなり」と。つまり「外に偉そうな顔をするな、おまえの心は虚偽でいっぱいではないか」というわけです。純粋な心、そんなものは人間には不可能だ。人間の心は徹底的な虚偽の心、醜い心である。ただ、その仏の心のみが真実である、と説いているわけです。
 「廻向発願心」についても、親鸞はこう反論します。人間が善を積んで浄土に行くことはできない。人間の善はあまりに小さく、しかも浄土の喜びはあまりに大きいからだ。人が浄土に行くのではない。仏が人を浄土へ向けかえすのであると。

1.4.4.死後の浄土から生の浄土へ(「信の巻」まとめ)

 善導は、その倫理観とともに浄土を願生(がんじょう)する悲劇的な絶望者であった。彼を尊敬した法然もまた、人間の知恵のむなしさを知る絶望者であったのです。

 一方「信の巻」では、親鸞は歓喜を爆発させています。信仰する楽しさの手放しの賛美がそこにはあります。あそこに往生できるかは、もはや第二の問題であるかの感さえあります。これほどのこの世の歓喜、きっと歓喜そのものの世界に往生できるに違いないと。この境地そのものを親鸞は「等正覚(とうじょうがく、彌勒と等しい境地の意味)」と呼んでいます。

 善導も法然も、念仏による死後の極楽浄土の立場にたっていましたが、親鸞にとっては念仏なり、信仰は死に方ではなく、生き方だったのです。

 

1.5.曇鸞のユートピア思想(「証の巻」)

 「証の巻」は浄土へ必ず行くことができるという、浄土往生の保証です。極楽浄土の素晴らしさが『観無量寿経』や『阿弥陀経』にあります。しかし、親鸞は極楽は決してそういう美的な場所、享楽の場所ではない、むしろ実践の場所、衆生(しゅじょう)救済に励めとしています。(これを親鸞は「還相廻向(げんそうえこう)」という言葉で表しています。)

 そして、親鸞は「証の巻」を説く典拠として曇鸞(どんらん、中国浄土の開祖者)の『浄土論註󠄀』(世親作といわれる『浄土論』の注釈書)によっています。この著は夢のような浄土を否定して、より現実的なユートピアを著したもので、親鸞は曇鸞の理想主義に共感したものと思われます。
 なお、親鸞の名の「鸞」の字は、この曇鸞から取り、「親」の字は『浄土論』の著者世親(せしん、または「天親」ともいう、倶舎論や唯識思想を説いたインドの大仏教思想家)からとったと言われています。

 

1.6.二つの極楽浄土(「真仏土の巻」と「化身土の巻」)

 『教行信証』では仏教一般の歴史観「教・行・証」に親鸞の独自思想「信」が加えられていますが、極楽浄土についても彼の独自思想が表れており、それは第5巻、第6巻に示されています。親鸞は極楽浄土を二つに分けます。

 一つは、真仏土:本当の極楽、第十八願にもとづく人間永遠不滅の喜びの世界

 一つは、化身仏土:『観無量寿経』『阿弥陀経』にもとづく仮の極楽浄土、辺地にあり十分な楽しみを得られない浄土

  ここには、親鸞の美的浄土に対する反発が見られます。源信以来の平安浄土仏教への反発があります。法然もそのような古代貴族文化の残滓(ざんし)を否定することはできなかったのです。
 法然の教えを「真宗」として信仰し続けた親鸞ですが、『観阿弥陀経』の否定は、法然をも辺地の仮の浄土に追いやって、彼は阿弥陀様とのみ会話しているように思われます。

 

 本日はここまでです。次回は「2.『教行信証』以外の親鸞の著作について」を取り上げます。

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