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仏教思想概要2:アビダルマ(第3回)

 仏教思想概要2:アビダルマの3回目です。前回までの2回で、アビダルマの世界、アビダルマ思想の背景を見てきましたが、今日からいよいよ本論のアビダルマ思想の概要を3回に分けて見ていきます。

 

 

第2章アビダルマの体系-アビダルマ思想の概要-

 

1.アビダルマの体系Ⅰ

1.1. アーガマの論理性「無常」「苦」「無我」と「縁起」の関係

 「すべては無常である」「苦である」「無我である」という主張は、アーガマ経典の中で、このように三つ並列にされて述べられていますが、また、「すべては無常である、無常なものは苦である。苦であるものは無我である」と、無常が苦・無我と根拠づける関係に述べられていることも多くみられます。
 そして、これらの根拠づけには、因果関係、つまり「縁起」の理論により明確な説明が可能となります。つまり以下のように整理できます。(下図3参照)

1.2.ダルマの理論

1.2.1.アビダルマの役割

 以上のように、アーガマの中で、苦・無我は無常に、無常は縁起に根拠づけられていると言えます。そして、その縁起―無常―無我の論理こそ、アビダルマ仏教が忠実にそれを解明しようと努めたところのものであるのです。

 業・輪廻の世界の現実から無漏のさとりの領域に進む仏教の実践システムは、無常、・苦・無我の教説の中に包含される、それを厳密に解き明かすことがアビダルマの任務であると、アビダルマ論師達は考えたのです。
 その中で、説一切有部アビダルマの場合は、「すべてがある」という主張を、一つの理論によって、精密な学説として展開し、このことの論証を成し遂げようと独特の対場をとったのです。この理論を「ダルマの理論」(帝政ロシア末期の東洋学者ローゼンベルク命名)と呼ぶこととします。

 

1.2.2.「ダルマの論理」とは

 それでは、「ダルマ」とは何か、さらに「ダルマの理論」とは何か、以下ⅰ)~ⅳ)と段階をおって説明します。

ⅰ)ダルマの一般的な意味=「法」と訳される
 広くインド思想一般では、法則、習慣などの多様な意味に用いられている。
 仏教語としては、特にほとけの教えた真理、あるいは、ほとけの教えそのものをさして呼ぶのが最も多い用例となっている。
 だが、それとは別に仏教語として独自な、そして重要な用例がもう一つあり、それは、広くもの、事物、存在も意味する場合である。

ⅱ)さらに、単なるもの、存在ではなく、寄り集まった存在を構成する「存在の要素」とも考えられた。

ⅲ)ダルマ理論の基本的考え方
 以上から、経験的世界の中にあるすべてのもの、存在、事物、現象は、複雑な因果関係による無数のダルマの離合集散によって、流動的に構成されると考えた。

ⅳ)説一切有部の「ダルマの理論」でのダルマの種類=75種
 この75種のダルマによって、すべての現象的存在は構成され、75種のダルマにのみ“実在性”を認め、それ以外の現象的存在そのものは、実在性を認めない、というのが説一切有部の立場である。

 

1.2.3. アーガマによる「無常・苦・無我」の説き方

 それでは、ここで、振り返ってアーガマでは、無常・苦・無我についてどう説いているのかをみてみたいと思います。

 無常・苦・無我のアーガマによる説き方は、種々ありますが、「五蘊(ごうん)」「十二処(じゅうにしょ)」「十八界(じゅうはつかい)」による説き方がアビダルマに発展する説き方といえます。
 「五蘊」「十二処」「十八界」(下表10参照)の意味は、いずれも存在の種類で、単純には、「すべて」を表すのに5種、12種、18種に分けて分析してみたと考えればよく、ここで重要なポイントは、これらの、いずれの存在においても、無常・苦・無我であると説いている点です。
 つまり、5種、12種、18種、それぞれの語の意味はあまり重要ではなく、アーガマが述べている本旨は、あらゆるものは無常であり、苦であり、無我であるということ以外にはないのです。

 

1.3.分析的思考の発展

1.3.1.アーガマの世界の分析的思考

 前述のように、アーガマの中では、人間の存在のすべてのものの、「無常」「苦」「無我」が説かれています。そのすべてのものは、「有為(うい)」であると同時に「有漏(うろ)」であるとしています。
(「有為」:すべてはさまざまな因果関係の上に造り上げられているということ、「有漏」:凡夫により欲望され執着されているもの)
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 これに対して、無常を無常と知り、有為を有為と知る時、それに対する欲望・執着が消滅し、静かな安らかな境地、「涅槃」に転換する、つまり「有為・有漏」→「無為・無漏」への転換が起こるとしています。
 この転換は、本来、内面的な転換であり、涅槃や無為・無漏の存在は無いはずですが、 アーガマでは、有為なもの(有為のダルマ)とは別に無為なもの(無為のダルマ)があると考え、有漏のダルマとは別に無漏のダルマがあると考える、「分析的思考」がすでに存在したのです。(有為と無為を合わせてすべてのダルマ、有漏・無漏を合わせてすべてのダルマと考えた。)

<アーガマにおける分析的思考の例>

ⅰ)「すべてのサンスカーラ(有為のこと)は無常である(諸行無常)」と云うのに対して、「すべてのダルマは無我である(諸法無我)」という。→「無我」は有為、無為すべてのダルマに妥当するが、「無常」は、有為にしかあたらないと区別する考え方がみられる

ⅱ)五蘊と五取蘊の区分:五蘊は有漏・無漏の両方を含み、五取蘊は有漏の五蘊のみを含むことを意味する

 

1.3.2.説一切有部のアビダルマの場合(1)-四諦との関係

 アーガマの中に見える分析的傾向は、説一切有部のアビダルマではいっそうはっきり現れてきます。以下は四諦との関係を図式化したものです。(下図4参照)

 ここで、平常的人間(業と煩悩の世界)の生からさとりの領域に進む「道」は有為でありながら無漏であるとしています。なぜなら、道はなおさとりには入っていないから有為であり、同時にそれは煩悩を離れるから無漏であるとしています。

 

1.3.3. 説一切有部のアビダルマの場合(2)-五蘊・十二処・十八界による分析

 次に、五蘊・十二処・十八界についてみてみます。アビダルマは、五蘊によって表される「すべて」と十二処・十八界によって表される「すべて」とのあいだにもはっきりとした区分を立てます。

 五蘊・十二処・十八界の関係を図式化すると以下のとおりとなります。(下図5参照)

 この図について、少し詳しく説明します。

①五蘊のどれにも無為なものは含まれないが、十二処・十八界の「法」には、無為のダルマも含まれる。
 五蘊の「すべて」は、無為を除いた「すべての有為」。十二処・十八界では、広く、有為・無為を合わせた「すべてのダルマ」

②五蘊の色(色蘊)は、広く物資的存在を意味するが、十二処、十八界の色は五根、五境に限定される

③十二処、十八界では「法」を狭義(「意」の対象=認識、判断、思考、記憶などのあらゆる思いの内容に限定)で用いている

④十二処、十八界では、受、想は行に含めて、狭義の「法」とした

⑤図中にも追記があるが、説一切有部アビダルマでは、色蘊の一部であってしかも法処の中に含まれるものがあるとしている。(「無表業(むひょうぎょう)」と呼ばれる。詳細後述)

 

1.3.4. 五位七十五法(説一切有部のアビダルマ)

 前述の有為・無為・有漏・無漏・五蘊・十二処・十八界という部類分けは、いずれもアーガマ以来のものですが、それにさらに説一切有部では独特の「五位」の範疇をアビダルマに加えます。

 これは蘊・処・界の部類分けの中で、行蘊や法処・法界の部分をいっそうこまかに観察した結果です。五蘊、十八界、五位、それとそれぞれに含まれるダルマの関係を一覧にすると下表11のように整理できます。

 この図表について、少し詳しく説明します。

①非常に広い意味に理解されている行蘊を二つに「心相応(しんそうおう)」(心作用)と「心不相応(しんふそうおう)」に大別する。
 「受蘊」と「想蘊」も心作用であるが、すでに蘊として立てられているので、「心相応」は、それらを除いた他のすべての心作用を意味する。「心不相応」は、物でも心でもなくて、それらのあいだの関係とか力というような特殊なものを意味し、有部独特の考え方の所産である。

②「心相応行」と「受蘊」「想蘊」を加えた心作用を十八界では「心所(しんじょ)」と呼ぶ。

③有部独特の五位は、五蘊の色蘊と、上記の心所、心不相応行、そして、心(しん)、無為を含む。

④五位のうち、「色」には11種、「心」には1種、「心所」には46種、「心不相応行」には14種、「無為」には3種を数える。合計75種のダルマを認める。つまり、五位七十五法である。

 

 本日はここまでです。次回はアブダルマの体系Ⅱを見てみます。

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