Programmer'sEye

1エンジニアとして、これから先のコンピューターと人との付き合い方を考えてみたい。

自粛しよう

2011年03月14日 09時28分57秒 | 地震 #Jishin
久しぶりのブログ投稿。



どうも、各所で被災地以外では日常と同じように生活をした方が、日本経済や被災地域の経済復興のためには良いという話をしていらっしゃる方が「多く」見受けられますが、もうちょっと考えてみたらどうですかね?



グローバル経済において、通常と同じ消費をしても、日本経済の復興のためにも、ましてや被災地の復興のためにも、大して役に立たない。

既に消費が増えても直接日本経済の発展のためには役に立たない事が見えているのに、国内の消費を通常どおりにやったとて、今日本が面している下降方向の経済からはまるきり抜けられない。

ものを買った時に、そこに使われる部品やら何やらが日本製でなければ、海外にお金が流出することになるだけ。

そして、国内生産を行っているものを消費した場合においても、それが被災地域で製造しているものでなければ直接的な寄与は少ない。

パチンコ行ってお金使ってる場合じゃないんですよ。えぇ。



被災地では、復興のためにいろいろな物資が必要で、それらを確保するために否が応でも国内の物資の生産は増える。

なにも、被災地以外が復興のためにと消費を増やさなくても、復興のために必要なものがあるが故に、否が応でも国内消費は増えるんだよ。

その時に、ほかの地域で消費が増えていれば、復興にまわすものが足りなくなるということは考えないのかね?

日常と同じ生活をしていればそこはそこで資材が必要になる訳で、復興にまわす資材の製造は通常の生産量ではたりず、増産することになるわけだけれども。

増産をする場合、そのためには増産のための機材も必要になる訳だが、復興特需が終わればその増産のために必要となった機材等はまた不要なものになる。

もう既に大量消費の世の中ではなく、必要なものを必要な量生産するという最適化が行えなければ、経済的な発展は望め無い。

そうなれば、その余剰な機材はまたしても日本経済の負の遺産になり、結果完全復活を遅いものにしかねない。

今、通常と同じような生活をする事で経済をまわす等という発送のもとに行動をして、不要に資材を使ってしまえば、復興のための資材が足りなくなる事は目に見えており、よっぽど復興の妨げになる。

生産活動を通常と同じように淡々とこなしていく方が良いのは確かだが、消費活動を通常と同じようにするというのは、復興の妨げになり得ることを考えなきゃ行けない。



単に自分の生活パターンを変えたくないがための、解ったような言い訳なんか欲しくないわけで。

ちゃんと先々の事まで考えた上での発言をしないと行けないんじゃないかと思いますよ。