syuの日記 ❣ 気まま旅

感じたこと、思ったこと、
ウオーキングや旅の記録
などを綴ります。

日本本土の最後の大空襲・熊谷

2020-03-04 05:19:14 | 日記
                        焼け跡




熊谷空襲は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月15日0時23分から1時39分にかけてアメリカ軍により行われた埼玉県熊谷市に対する空襲。
太平洋戦争最後の空襲かつ埼玉県内における最大規模の空襲であった。
太平洋戦争が終わる昭和20年8月15日の前夜、熊谷上空に飛来したB29爆撃機による空襲を受け、市役所、公会堂、裁判所など主な建物を失いました。この空襲で、市内を流れる星川に多くの市民が飛び込み、火災の熱のため多くの犠牲者を出しました。空襲により市街地の75%を焼失し、死者は266人という、埼玉県下で一番大きな被害を受けた熊谷市は、県下唯一の戦災都市に指定された。
影森村からも空を赤く染め、日没には空一面真っ赤になり兄達は、合唱していた。なぜ終戦を、もう少し早めていればと思うと残念でならない。

アメリカB29・スーパーフオートレスーボーイング社開発大型戦略爆撃機
B-29は、中型爆撃機のB-17とと大きく異なり、最初から長距離戦略爆撃を想定した設計。
B-29による日本本土空襲は、日本の継戦能力を喪失させる大きな要因となった。
従来の飛行機では高空で機内の気圧・気温が低下するため酸素マスクの装備、防寒着の着用が必要だが、B-29は高度9,000mで高度2,400m相当の気圧に維持することができた。これはボーイング307の技術を応用し、毎分11.25㎏の加圧能力を持つ与圧装置を設置した。
爆弾槽を開閉する必要から、B-29では機体前部の操縦室と機体後部の機関砲座を与圧室とし、その間を直径85㎝の管でつなぎ、搭乗員はこの管を通って前後を移動、被弾に備えて酸素ボンベも設置された。機内冷暖房も完備され、搭乗員は通常の飛行服のみで搭乗している。
撃墜されたB-29乗員の遺体を日本側が回収した際、上半身Tシャツしか着ていない者もいるほど空調は完備され、それを知らない日本側は搭乗員に防寒着も支給できないとし、アメリカもまた困窮していると宣伝を行ったと云う。
機体は軽量ながら強靭な装甲板に覆われて防御力も高かく、日本軍の戦闘機や対空砲火で無数の弾痕や高射砲の破片痕が開き、中にはそれが機体上部から下部に達するような大穴であったり、尾翼の大半が破壊されたりしても、マリアナ諸島の飛行場まで自力で帰還し、修理を終えて再出撃することもできたと云う。

今日のニュースからー日米安保4か国に経費負担比較 日本44億円 74.5% 韓国8億円40.0% ドイツ16億円32.6% イタリア4億円41% (金額は概算)
          アメリカは、日本に大幅増の貢献を要求すると云う。
          核不拡散条約(NPT)発効50年・広島、長崎被爆75年 体制危機核軍縮進まず。
ー安倍内閣は、PCR検査を進めないのは、日本の感染者数を少なくするためと云う。








最新の画像もっと見る

コメントを投稿