syuの日記 ❣ 気まま旅

感じたこと、思ったこと、
ウオーキングや旅の記録
などを綴ります。

赤羽 商店街・商業中心地

2024-02-28 08:46:44 | 日記
山手崖線ー比高20m余の段丘崖が南北に走る JR京浜東北線駅 「赤羽駅」を下車する。
駅前は、低地で商店街・商業中心地である。
赤羽と聞けば、明治初期から「陸軍第一師団工兵大隊・区の一割を占めた」が置かれた所、
現在は団地など住宅地に変わった。
又、北区岩淵町と埼玉県川口市船戸を結んでいる新河岸川と荒川の「新荒川大橋・国道122号線・
旧岩槻街道、北本通り」街道の岩淵の渡し・善光寺渡し・源義経もこの地を・・。古くから大賑わいをの「岩淵宿」。

           JR埼京線・京浜東北線の合流駅「赤羽」



                 戦後闇市で賑わった商店街





「宝憧院」  真言宗智山派 医王山東光寺

              1461年開山   本尊 薬師如来像

             1649年三代将軍徳川家光より10石朱印






             1639年の阿弥陀如来線刻庚申塔がある。区最古のもの
              浮間にあったが荒川氾濫で現在地に移転した。


次回は、赤羽八幡神社へ。

高幡不動 日野台地と多摩丘陵

2024-02-25 08:14:36 | 日記
東京都日野市・多摩川の沖摘低地、日野台地と多摩丘陵へ。
奈良時代に烽火台・飛日野があった。江戸時代、武蔵七党の日奉氏が祀った日野宮権現が、日野の地名は、
そこから来ていると云う。又甲州街道の日野宿が。
市は、中央に多摩川支流・1級河川「浅川」が、蛇行し流れ、浅川と云えば陣馬峠・高尾・八王子・日野を流れ
「落川町」で多摩川と合流する。浅川七福神や八王子西方は「夕焼け小焼け・・・」歌のモデル思方を流れる。
また市には、石田村で生まれた「土方歳三」1835年ー1869年明治2年幕末期の幕臣・新選組副長・鬼の副長
局長近藤勇の右腕として組織を支えた。  剣術天然理心流 箱館戦争で戦死している。「陸軍奉行並の要職」

日野市は、多摩川渡し船場・日野渡しがあった。現在日野橋。

           「金剛寺 高幡不動尊」  真言宗の寺 高幡山

「行基」開基・本尊 不動明王     千葉成田山・神奈川大山不動が関東三代不動と云われている。
重要文化財が多い   1342年建立された不動堂・仁王門・大日堂等があり、境内に土方歳三像・松尾芭蕉句碑等が。






















「和風庭園の百花園」「多摩動物公園」等も近い。

次回は、京王線・聖蹟桜ヶ丘へ。


京王相模原線稲田堤駅

2024-02-23 08:11:50 | 日記
都の中南部「稲城市」・多摩川中流ー南岸(相模線・京王多摩川駅)向かい南河川敷になる。
市名は、中世の豪族領主稲毛氏に由来すると云う。

「稲毛重成」ー武蔵国(川崎・高津・中原)の豪族で、小山田有重の子で畠山重忠とは義兄弟になる。
1205年小沢重政が稲毛重成の娘の子を連れ京都から鎌倉に、
北条政子は、その2歳の娘を自分のゆうしとし、その関係で、「武蔵国小沢郷・稲毛市」を与えたと云う。

稲城市は、戦前「東京第二陸軍造兵廠多摩製造所が置かれ、戦後米軍多摩弾薬庫となった。
多摩川岸には、多摩梨・ブドウ栽培農家がある。ここも、年々住宅課発が進んでいる。
武蔵国分寺の互はここで造られいた。

                   京王稲田堤駅下車




             「稲田公園」 駅から多摩川に向かって徒歩約10分
















次回は、高幡不動へ。

京王多摩川駅 1956年開業の百華苑は現在空き地

2024-02-20 08:36:36 | 日記
京王相模線ー調布・京王多摩川・京王稲田堤・京王よみうりランド・稲城・若葉台・永山・京王多摩センター・堀之内・
南大沢・多摩境ー橋本、11駅。
1916年、現京王多摩川の支線「多摩川砂利運搬鉄道」で、関東大震災後1664年「砂利接取禁止」され、レジャー駅の
「京王多摩川駅」で、1956年、百華苑が開業、その百華苑は、都市計画で廃園で、現在、空き地になっている。
住宅開発で、多摩ニュータウンと1980年から西部地区開発が進まれている。














                多摩川の渡しと筏流しで栄えた。

                  白衣観音菩薩





次回も、京王相模線の次の駅京王稲田堤駅へ「稲城市の多摩川右岸へ」

聖蹟桜ヶ丘駅 府中から多摩ニュータウン

2024-02-17 01:08:36 | 日記
多摩市聖蹟桜ヶ丘は、府中市から多摩ニュウータウンで、多摩川の関戸橋渡ると「関戸」である。
川崎街道に沿って京王線が走る。多摩区は、川の中流右岸になる。
今回は、多摩川の河川敷で、ここで少し詳しく「多摩川」を。
川は、山梨県北東部の「笠取山高さ1941m」に源を発す。上流は、一ノ瀬川・丹波川から都奥多摩湖に、
秩父山地を蛇行し渓谷をー日原川ー秋川ー浅川ー野川等合流。
調布市から下流で神奈川県の境をなしている。
下流は、大田区ー羽田で東京湾に注ぐ。大きく蛇行しておりここに「三角州̠河川」に。
江戸時代、開墾され「六郷用水」になり水田がされてきた。
多摩川は、奥多摩の木材を筏にして運ばれた。交通輸送路として利用されてきている。
また、砂利接取の役割は大きい、江戸・東京の戦災復興に大いに貢献した。
長さ 138km。















多摩市には、私鉄の京王線相模線・小田急多摩線と乗り入れ、多摩ニュウータウンと住宅が四方に。

次回は、日野市高幡不動へ。