syuの日記 ❣ 気まま旅

感じたこと、思ったこと、
ウオーキングや旅の記録
などを綴ります。

唐人お吉

2023-03-29 07:16:57 | 日記
下田駅から約1.5km先に「玉泉寺」・山号瑞竜山・曹洞宗の寺がある。
1856年アメリカ領事館となり、総領事にハリスに。安政3年ハリスの碑がある。
「碑は、伊豆創業の森永乳業により建てられた。ハリス病床時牛乳を要求したとある」
通訳官ヒュ―スケン・そばに仕えたのが「お福」が起居したと云う。黒船乗員の墓などがある。
日米修好通商条約締結後の1859年江戸麻布に移っている。

伊豆急下田駅ーマイマイ通りへ。

「宝福寺」真言宗・1580年開山の古刹 唐人お吉の墓がある。
タウンゼント ハリスは、 1859-1862年 初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使 外交官 73歳没
体調崩し幕府に看護婦要請  幕府は、芸者「斎藤吉」を送り3か月の看護を、、。

          宝福寺  山号八幡山  浄土真宗の寺


「斎藤吉」 1841-1890  伊豆国下田の芸妓酌婦・髪結い・小料理店 父船大工
死後生活困窮、1847年老婆のせんの養女に・1855年芸妓・酌婦
ハリスは52歳で体調崩す。幕府令でハリスの看護人に。1859年解雇されている。
1882年の明治20年、吉は病気になり生活は苦しく、知人にすがっている。
1890年の明治23年、稲生沢川転落し水死  48歳であった。
            坂本龍馬とお吉眠るの看板が

          竜馬の藩主山内容堂・勝海舟謁見の寺と云う。

          お吉の記念館  館内に墓がある  有料

                  坂本龍馬像

                芸妓時代の「安直楼」




            下田から蓮台寺・お吉ヶ淵とお吉桜を






                  伊豆急行蓮台寺駅へ


蓮台寺駅から大沢口へ向かうと蓮台寺・広台寺・吉田松陰寓寄処・天神神社へ。

次回も下田市内を

伊豆下田 弓ヶ浜海岸

2023-03-25 07:12:17 | 日記
暖かい伊豆半島へ再度旅に出た。
伊豆半島は、駿河湾と相模湾に面し、南北約50km、南端に石廊崎で、中央に1406mの天城山がある。
新第三紀中新世を基盤にして噴火活動が続く、伊東ではつい最近海底火山活動があったが、自然景観に恵まれ
観光拠点になっている。
江戸時代から天城山地は、森林資源・土肥金山の開発も盛んにおこなわれた。
今回は、下田、下賀茂、蓮台寺・河津を回る。

「弓ヶ浜海岸」
南伊豆、青野川沿いの温泉地「下賀茂温泉」で下田駅から約20分バスで移動した。
下賀茂は、塩分が高く、温泉水で製塩業が盛んで湧出量も多い所、塩・温泉熱のメロン・花卉栽培など。

            南伊豆町・伊豆半島南端 弓ヶ浜海岸


              青野川が手石に注ぐ東の海岸


                 砂堤が弓状に。













次回は、下田市内を

二宮 吾妻山菜の花散歩

2023-03-22 06:17:03 | 日記
昭和10年吾妻村から二宮町と改名、由来は、川勾神社相模二宮から。
江戸時代は、旧東海道の平塚ー小田原間の休憩地で、梅沢の茶屋・宿泊地として発展している。
明治34年1901年、国鉄、JR東海道線二宮駅が設置、第二次世界大戦後宅地化が進んだ。
現在は、京浜ベットタウンが奥地まで広がっている。
気候は温暖でミカン・野菜の栽培と落花生が特産に。袖ヶ浜海岸は海釣りで知られている。

                  二宮駅南口広場




          二宮小学校横に「吾妻山登り口」がある。 駅から徒歩約5分












展望広場からは、富士山が見える。

次回は、伊豆河津へ。

二宮 徳富蘇峰記念館を訪ねる。

2023-03-18 07:10:26 | 日記
JR東海道線「二宮駅」下車、神奈川県南西で、相模湾に面し大磯丘陵南麓。駅西約2km山西に「川匂神社」相模二宮大明神古社がある。
今日は、「徳富蘇峰記念館」を訪ねた。 塩崎財団 県中郡二宮町

徳冨蘇峰  1863年ー1957年 95年の生涯を、 江戸時代末期の文久3年生まれ、昭和32年の生涯
記念館は、言論界の重鎮・蘇峰の密書を務めた塩崎氏が、膨大な資料・蔵書、書簡などを昭和44年施設記念館としてつくり、
54年財団法人、県下17番目に開館されたと云う。

               相模湾・西湘バイバス 二宮海岸



「徳冨蘇峰」
明治9年 14歳 第一高等学校ー新島襄同志社英学校京都ー自ら退学ー熊本へ戻る。
  19年24歳  「将来の日本」刊行 25歳  民友社設立・国民の友創刊
  23年28歳  国民新聞創刊、藩閥批判 平民主義を唱える  33歳「富国強兵・国家主義」唱える
  30年35歳 松方内閣・内務省参事官    49歳桂太郎首相推薦で貴族院議員
大正7年56歳 近世国民史を起稿  関東大震災  東武鉄道根津氏出資で国民新聞社立てないし。
昭和4年67歳国民新聞社退社     言論による翼賛体制の一翼を担った。
  18年81歳 文化勲章受章  終戦 A級戦犯  86歳で静子夫人82歳永眠
  32年95歳 熱海「晩晴草堂」で逝去。



ジャーナリスト・外遊・政界・歴史家・企業等、95年間「勝海舟~中曽根康弘」幅広い人脈と46000通余りの手紙と
          「近代日本国民史・100巻」、原稿、遺品などが

                   入館料有料 500円

                   作家徳冨蘆花の兄に













           「近世日本国民史」100巻 昭和27年完成させた。


「吼え狂ふ八重の汐路を凌ぎ来て心静けく港に入る」 蘇峰辞世の句

次回は、二宮菜の花「吾妻山公園」へ。

伊東・松川を散歩

2023-03-11 18:56:40 | 日記
「伊東」と云えば熱海と並び代表的温泉地、和田大湯・松原出来湯・猪戸湯の3湯は、汲み湯して江戸城まで運ばれている。
湯川・岡・鎌田・玖須美など温泉街は古くからあった。
泉温40°C・質 石膏食塩泉・皮膚病など・源泉は約800湧出し、県下最高と云う。
鉄道もJR伊東線開通が1938年以降観光客を運んでいる。
源頼朝・1261年日蓮(仏現寺草庵あとがある)は、伊東に流され、三浦按針はここで西洋式帆船を建造と歴史もあり、
市域の約半分が富士箱根伊豆国立公園地域である。

松川は、奥野ダムから天城高原・大室ー伊東大川ー音無神社から「松川遊歩道桜並木通り」岡橋・通学橋・いで湯橋・大川
ーなぎさ公園、オレンジビーチ「渚町」伊東港、相模灘となる。

「通学橋」この橋は、微生物学者で1894年ベスト菌発見した「北里柴三郎」が小学校時渡っていたそか記念パネルが。



1889年破傷風菌培養に成功している。マンスフエルトに師事し医学の道へ。


木下杢太郎記念館は、駅から東に約400mにある。昭和60年開館 生家改修、写真・絵・書・遺品等展示
          市最古の建築
杢太郎は、1885年ー1945 医学者、文学、芸術美術、詩など。

             遊歩道には、杢太郎の作品パネルが。








松原町に和風建築文化施設・有形文化財「東海館・温泉旅館」が
職人たちの腕をふるった建築は昭和3年、室内も、檜・杉などの変木が使われている。
重田建治氏の作品などが見られる。

            松川の遊歩道

           手石島・与望島・汐吹岩等が

           伊東市から59号線冷川峠で至修善寺へも

           3月中旬頃には、伊東も桜が満開に

           伊東駅前ロータリー 中央にソテツが


伊東には、小室山 321mに市民公園があり、山麓にツツジ・サツキが数十万本植栽され見事である。頂上までリフトもある。
裾のに、ぐらんばる公園 135号線伊豆急行の「富戸駅」22万m2の敷地に5万本ものソテツが植えられている。 眺望もよい。

伊豆の旅は、終わります。