森毅氏が亡くなりました。
平成18年4月3日に 称讃寺で講演をなさいました。
称讃寺のアルバムの写真のコーナーです。
http://www.syousanji.com/moritsuyoshi%20photo.htm
何時間話していても 飽きず お話が面白いユニークな先生でした。称讃寺には奥様と一緒に来て頂きました。前日の夕食は 住職の家族と先生と奥様とで楽しく戴きました。
本堂での講演が終わった後、胡坐をかいて坐って車座になって質疑応答をなさっていました。予定時間を大幅にオーバーした記憶があります。
新聞報道によりますと、喪主は設定しない、葬儀やお別れ会はしない、身体は献体する・・・、等 森毅先生らしいなぁと思いました。
コメントをコピーさせていただきました。
さて、最初の質問。称讃寺の施設を使ってのお葬式や法事を行えるのは、門徒に限るのか?との事。お答えは 門徒には限っていません。どなたでもOKですが、宗教・宗派は 浄土真宗に限らせていただいています。
お母さんが「私が死んだら、直接会館へ直送して」と言っているのは、前回や前々回のご自宅での葬儀がとても大変だった為 家族にそんな思いをさせたくないとの希望でして きわめて家族思いの自然なお話しだとおもいます。最近は病院から葬儀社の会館へ直送がほとんどです。
次に、檀那寺にはなじみが無い、との事で 檀那寺ではないお坊さんに仏事を頼むのは良くないか?との質問です。 この質問に対する答えは お坊さんの中でも、又 一般の方の中でも 賛否が分かれると思います。 江戸時代からお寺と檀家には[寺檀制度]があり 一般家庭はどこかのお寺の檀家に必ずなっていました。仏壇が無い新家は本家と同じお寺の檀家になることが決まっていました。 最近はこの[寺檀制度]の弊害が目立っています。お坊さんは 檀家からの仏事の依頼が必ず来るので まったく緊張感がなくなります。檀家は増えたり 減ったりしませんので お坊さんの進歩も無くなります。全くマンネリ化してしまっている訳です。それでも [寺檀制度]を維持すべきだ、と言う意見は根強くあります。 しかし、私は[寺檀制度]はすでに崩壊しかかっていると思っています。この制度がお坊さんをぬるま湯につけていると思っています。すでに 何かの理由で檀那寺を変えたとの例は沢山ありますし、新家の場合 本家のお坊さんは嫌いだから 違うお坊さんに頼んだという例も沢山あります。お坊さんをコロコロ変えるのは如何なものかと思いますが、なじみが無かったり、嫌いだったりのお坊さんと無理してお付き合いする理由は何も無く、気心が合うお坊さんがいたら 思い切って変えてみるのも良いと思います。その為には 色々なお坊さんと親しくなって 話をしてみて 複数のお坊さんを比べてみるくらいの努力が必要なのかもしれません。私は そう思います。
ご意見を寄せてください。