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称讃寺の和尚さんの独り言。お坊さんって こんなんでいいのかなぁ~と思いながらの毎日です。ナマクラ坊主のブログです。

浄土真宗本願寺派(西本願寺派)称讃寺の住職の瑞田信弘です。毎日忙しくしておりますが、ふと気づいた事を書いてみます。

称讃寺で お葬式をしました。

2011年08月05日 22時52分24秒 | インポート

称讃寺の会館で お葬式をしました。

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高松市民葬の制度を利用してのお葬式でした。

高松市民葬は 安い方(13万円+税)と高い方(23万円+税)があります。

今回は 安い方の1段の祭壇でしたが、会葬者が少数の葬儀は これで十分だと思います。

市民葬ではありましたが、枕経・納棺経・お通夜の読経と翌日のお葬式と全ての儀式は きちんと行いました。

料金は 13万円+税と若干の雑費とお坊さん(称讃寺住職)へのお布施だけですから 30万円でお釣りがあっただろうと思います。

安かろう・悪かろう ではなく、費用を安く抑えても きちんとお葬式の儀式を執行することは可能です。

事前に 菩提寺の住職や葬儀社さんと打ち合わせする事をお勧めします。

本日の 喪主様は およそ1年前にご相談にお出でになり ご意向をお伺いして、葬儀社さんと打ち合わせをしておりました。故人様の様態が急変した1週間程前 再度 その旨をお寺と葬儀社にご連絡を戴いておりました。

市民葬ではありますが、葬儀社の担当者さんも心底丁寧な対応をして頂き、ご遺族様からは 涙ながらの御礼を戴きました。

最近は 「家族葬」を含めて 小規模のお葬式が増えつつあります。お坊さんとしては 会葬者が少なくても 儀式は省略することなく ちゃんと執行したいものです。事前の 綿密な打ち合わせが 良いお葬式ができる一つのポイントかもしれません。

称讃寺では 檀家でなくても ご相談を受け付けておりますので、お気軽にご連絡ください。


新人司会者さん お久しぶりです。

2011年03月29日 22時55分09秒 | インポート

最近気になることがあります。

大震災についてです。

被災者の方々や 現地で活動していらっしゃる方々は

ありったけの力を振り絞って頑張っていらっしゃいます。

もうこれ以上頑張れないくらい 頑張っていらっしゃいます。

ラジオ・テレビ・新聞・ウェブ等の被災者向けの 励ましの言葉には

それでもなお「・・・・・頑張ってください!!」が 目立ちます。

励まして戴いているお気持ちはよく分かりますが、

「これ以上 何を頑張れというのか・・・!!」と思うかもしれません。

肉体も限界に来ていますが 心も限界で 張り裂けそうだと 私は思います。

こんな時こそ 鎌田實先生の「頑張らない、あきらめない」だと思います。

「よく頑張っているね・・・。肩の力を抜こうね・・・。」と応援する姿勢で

頑張る必要があるのは 被災者ではなく、むしろ 手を差し伸べる側の

我々をも含む日本国民である様な気がします。

声援を送るように 周りの方々にもお伝えください。


2010-11-17 23:44:00

2010年11月17日 23時44分00秒 | インポート

投稿されたコメント
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名前:みゆき
IP:180.144.118.105

コメントの内容
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私は、親親戚 兄弟 配偶者がいないものです。ただいるのは、未成年の子どもが二人。ですから私が死んでも葬式は要らない。火葬場で焼いてくれればそれでいい。生身では置いておけませんからね。と常々子どもたちには申しております。死んだ私に無駄なお金を使う必要もありませんし。そんなお金もありませんし。生命保険にも加入していません。
子どもの学資保険はかけておりますけど。

みゆきさん コメント有難う御座います。

みゆきさんの様に思って人が沢山いらっしゃると思います。私もお坊さんですが、もし 私が死んだら大きなお葬式は要らない、と思いますし、宗教学者の山折哲雄さんは(僧籍も持っているのですが)自分のお葬式やお墓は要らない、と主張なさっています。その感情 よく理解できます。

只 お葬式は喪主さんをはじめ 生きている人が執り行います。あなたが亡くなったら 葬式をするか、しないか、するのでしたら どんな葬式をするのかを決めて実行するのは お二人の子供さんでしよう。お母さんの生前の意向をも最大限考慮しながら どうするかを考える事でしょう。それで 結果的にあなたのお葬式が実施されても あなたは あの世から お二人の子供さんを叱るために この世に戻ってきてはいけませんョ。こんな お母さんの為に お葬式をしてくれて・・・・、と涙を流して喜んでください。だって 子供さんたちにとっては 大好きなかけがえの無いお母さんへの 最後の最後のプレゼント なのですから・・・・。大きなお金を掛けなくても 厳粛な心に残る儀式で故人さまを極楽浄土へ送る事は可能です。知り合いのお坊さんに相談しましょう。

お子様達にとって、親の葬式もしてやれなかった、と 後で後悔させないためにも お子様達にお任せするのがいいと 私は思います。


新人司会者さま、コメント有難う御座います。

2010年11月17日 23時17分20秒 | インポート

コメント 有難う御座いました。そうですか・・・、どこかでお会いした事があるのですか?全然イメージが違っていましたか?どんなイメージでしたか?あなたに恐怖心を与えてしまったとすれば、誠に申し訳ない事です。スミマセンでした。

お坊さんも 葬儀社さんも 司会者さんも ボランティアではないのですからプロなのです。プロである以上自分の仕事についてはプライドを持って欲しいですし たゆまぬ勉強はするべきだと思っております。少しづつではありますが 進歩し続けることが要求されています。

今年善通寺で「お葬式のこと、お骨のこと」を考えるフォーラムを実施しました。その際 宗教学者の山折哲雄さんは 葬式が 葬送から告別へと中身が大きく変化していると発言されました。私もそう思います。亡くなった方を 宗教者の儀式によって遺族、親族 会葬者皆が力を合わせて極楽お浄土へ送ろうとの意味合いから、最後のお別れという意味合いに変化していると思います。葬儀の実権が 宗教者から葬儀社に渡ってしまったのも原因です。葬儀社は厳粛なお別れショーをやりたいようです。

結果的に 告別の意味合いでは 宗教者は必要ありませんし お別れは家族だけで・・・、と きわめて小規模の家族葬が大流行です。

そんな中で 司会者の仕事は とっても大切です。宗教的儀式を出来るだけ引き立てながら、目立ちすぎなく さりげなく お別れのムードを作ってゆく技術が必要です。例えますと、技術や力量の無い学校の先生は 大声で話し 大声で叱り 怒鳴ったりもします。逆に 力量がある先生は 声は小さいけれど 叱ったり 怒鳴ったりしなくても 生徒の視線を引き付けます。

司会も同じだと思います。低めのボリュームで 余分な事は言わず、しかし 葬式の宗教的ムードと告別の儀式を最大限引き立て、会葬者の耳が集中するようにあなたがなることを とっても期待しております。

次に 何処かで会ったら ブログの司会者です、と声を掛けてください。