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第3章 鈴の夢見し花
3
翌朝は登城する必要もなかった。
まだ少し怯えた様子の宿の主人に起こされロビーに向かうと、キュウスケが待っていた。
なんでも、また王が一人で旧都に行ってしまったので、連れ戻すように頼まれたのだという。普段立ち入り禁止の旧都を見られる機会はそうないと、ショコラたちを誘いに来たのだった。
急いで支度をして、ショコラたち三人とキュウスケはカミハルムイ王都の北門を目指していた。旧都は都の北門を出てさらに北へ進み、森を抜けた先にあるらしい。
広大な王都の移動には、城の周囲に巡らされた堀を使った。南北に船着き場があり、簡素な舟で対岸へと渡してくれるのだ。
はらはらと桜の花びらが舞い、水面に円を描いていく。王都もまた、色鮮やかな桜に彩られた、美しい都だった。船から堀の淵に整然と植えられた桜の樹を眺めていると、後ろでぐぅ、と音がする。
「わ、おなか鳴っちゃった。てへへ」
照れ笑いを浮かべながら腹に手を当てるりなを見て、キュウスケが持っていた包みを開ける。大きめのおにぎりが六つと漬けものだった。
「悪いな、ハラへっただろ? 城でもらってきたんだ。さあ、食ってくれ」
そう言われてみれば確かに腹は空いていた。昨日の昼過ぎから何も食べていなかったのを思い出した。
「おー、気がきくねぇ、キュウスケさん。いただきマウス」
りなは手を合わせるとおにぎりを一つ取って口に運ぶ。
「うん、おーいしい!」
その幸せを顔いっぱいに表現したような笑顔に、ショコラたちの食欲も刺激された。中身は何も入っていないが、ほんのりした塩味と、海苔の風味が絶妙だった。漬けものも強すぎない塩気のあとから甘みがじわりと湧いてくる、とても良い味だ。
「ほい、もう一個食べな」
キュウスケはりなにおにぎりをもう一つ勧めるが、りなは首を横に振った。
「ううん、大丈夫。あたし身体小さいから~」
「食べないと大きくならないぞ」
「食べてもプクリポはこのくらいだってば~。ホントに大丈夫。ありがとっ」
船は堀の淵を歩く人々をどんどん追い越し、都を北に進んでいく。手を振るエルフの子どもたちに、ショコラはそっと手を振り返す。だが、それを見た親は不安げな顔で、子どもたちをかばうように自らの身体に隠す。
白き姫。一体何者なのだろう。ショコラは自分の白い手を見つめながら、ぼんやりと空を見ていた。
北門を抜けると、王都の南側と同じような景色が広がっていた。やや岩山が多いようだが、草原にぽつりぽつりと桜の木が自生している。
魔物も南側で見かけた桃色の獣、ピンクモーモンが呑気にただよっている。一見可愛らしいこの魔物は、不用意に近づき機嫌を損ねると、鋭い牙の生えた巨大な口を開き、頭に噛みつこうとする。動きも素早く、全力で逃げても追いつかれてしまう。南側で一度戦うことになった時も、アイが剣で牙を受け止めて動きを止めなかったら、呪文の狙いも定まらなかっただろう。油断せずに、なるべく距離をとって進むほうがいい。
また、イナミノ街道で出会った竹槍兵の中まで、さらに強力な灯籠兵や、怪人ベロベロの姿もある。幸い視界が良い草原で、避けて進むのは困難ではなさそうだ。こちらも十分に距離を取って、草原を北に急いだ。
王都から森の入り口まではさほどの距離はなく、昼前には到着することができた。アイにとっては普通に歩く程度だったが、りなは常に小走りでここまで来たため、すでに疲れを滲ませていた。
「さって、こっからが本番だぜ~……の、前にちょっと休憩するか」
キュウスケは言うなり手近な桜の木の根元に横になる。ショコラとアイも思い思いの場所に座り、りなは草むらに仰向けにひっくり返った。
「キュウスケ。他の兵士はもう森に入ったのか? ここまで誰も見かけなかったけど」水筒の水を一口飲み、アイが訊ねる。
「ん? いや、他の兵士は来ないよ」
「どうして?」
「王都の北のエリアは本来立ち入り禁止なんだ。特に旧都は禁断の地って呼ばれてて、誰も足を踏み入れない。いや、誰も来たがらないのさ」
「でも……王様がいなくなったのに、誰も来ないなんて、ちょっと変ですよね」ショコラは怪訝そうに辺りを見回す。美しい景色だが、南側と違ってどこか淋しい。
「まあな……それだけ怖いんだろうよ。それに、今日だけじゃなく王はしょっちゅう出かけてるらしいし、いつも無事に帰って来てる。剣の達人でもあるしな。だからもうあんまり心配しなくなってるみたいだな。まあ、オレ達にとっちゃあ、活躍のチャンスってもんだ」
「キュウスケは活躍したいのか?」
アイは水筒を持って立ち上がると、倒れこんだりなに差し出す。りなは水筒を受け取ると、顔を少し横にして寝ながら飲んだ。
「活躍したいっていうか、王族とかといいお知り合いになっとけば後々便利だろ? そのうち力を借りることになるかもしれないし」
目を瞑ってはいたが、そう語るキュウスケの表情と口調は、いつもの軽い感じではなかった。
「うっ、ゲフッ……ゴホゴホゴホッ……」
りながむせて飛び起き、慌ててキュウスケも体を起こす。落ち着いた頃、出発を促すその表情は、いつものキュウスケだった。
つづく 【4】へ
第3章 鈴の夢見し花
3
翌朝は登城する必要もなかった。
まだ少し怯えた様子の宿の主人に起こされロビーに向かうと、キュウスケが待っていた。
なんでも、また王が一人で旧都に行ってしまったので、連れ戻すように頼まれたのだという。普段立ち入り禁止の旧都を見られる機会はそうないと、ショコラたちを誘いに来たのだった。
急いで支度をして、ショコラたち三人とキュウスケはカミハルムイ王都の北門を目指していた。旧都は都の北門を出てさらに北へ進み、森を抜けた先にあるらしい。
広大な王都の移動には、城の周囲に巡らされた堀を使った。南北に船着き場があり、簡素な舟で対岸へと渡してくれるのだ。
はらはらと桜の花びらが舞い、水面に円を描いていく。王都もまた、色鮮やかな桜に彩られた、美しい都だった。船から堀の淵に整然と植えられた桜の樹を眺めていると、後ろでぐぅ、と音がする。
「わ、おなか鳴っちゃった。てへへ」
照れ笑いを浮かべながら腹に手を当てるりなを見て、キュウスケが持っていた包みを開ける。大きめのおにぎりが六つと漬けものだった。
「悪いな、ハラへっただろ? 城でもらってきたんだ。さあ、食ってくれ」
そう言われてみれば確かに腹は空いていた。昨日の昼過ぎから何も食べていなかったのを思い出した。
「おー、気がきくねぇ、キュウスケさん。いただきマウス」
りなは手を合わせるとおにぎりを一つ取って口に運ぶ。
「うん、おーいしい!」
その幸せを顔いっぱいに表現したような笑顔に、ショコラたちの食欲も刺激された。中身は何も入っていないが、ほんのりした塩味と、海苔の風味が絶妙だった。漬けものも強すぎない塩気のあとから甘みがじわりと湧いてくる、とても良い味だ。
「ほい、もう一個食べな」
キュウスケはりなにおにぎりをもう一つ勧めるが、りなは首を横に振った。
「ううん、大丈夫。あたし身体小さいから~」
「食べないと大きくならないぞ」
「食べてもプクリポはこのくらいだってば~。ホントに大丈夫。ありがとっ」
船は堀の淵を歩く人々をどんどん追い越し、都を北に進んでいく。手を振るエルフの子どもたちに、ショコラはそっと手を振り返す。だが、それを見た親は不安げな顔で、子どもたちをかばうように自らの身体に隠す。
白き姫。一体何者なのだろう。ショコラは自分の白い手を見つめながら、ぼんやりと空を見ていた。
北門を抜けると、王都の南側と同じような景色が広がっていた。やや岩山が多いようだが、草原にぽつりぽつりと桜の木が自生している。
魔物も南側で見かけた桃色の獣、ピンクモーモンが呑気にただよっている。一見可愛らしいこの魔物は、不用意に近づき機嫌を損ねると、鋭い牙の生えた巨大な口を開き、頭に噛みつこうとする。動きも素早く、全力で逃げても追いつかれてしまう。南側で一度戦うことになった時も、アイが剣で牙を受け止めて動きを止めなかったら、呪文の狙いも定まらなかっただろう。油断せずに、なるべく距離をとって進むほうがいい。
また、イナミノ街道で出会った竹槍兵の中まで、さらに強力な灯籠兵や、怪人ベロベロの姿もある。幸い視界が良い草原で、避けて進むのは困難ではなさそうだ。こちらも十分に距離を取って、草原を北に急いだ。
王都から森の入り口まではさほどの距離はなく、昼前には到着することができた。アイにとっては普通に歩く程度だったが、りなは常に小走りでここまで来たため、すでに疲れを滲ませていた。
「さって、こっからが本番だぜ~……の、前にちょっと休憩するか」
キュウスケは言うなり手近な桜の木の根元に横になる。ショコラとアイも思い思いの場所に座り、りなは草むらに仰向けにひっくり返った。
「キュウスケ。他の兵士はもう森に入ったのか? ここまで誰も見かけなかったけど」水筒の水を一口飲み、アイが訊ねる。
「ん? いや、他の兵士は来ないよ」
「どうして?」
「王都の北のエリアは本来立ち入り禁止なんだ。特に旧都は禁断の地って呼ばれてて、誰も足を踏み入れない。いや、誰も来たがらないのさ」
「でも……王様がいなくなったのに、誰も来ないなんて、ちょっと変ですよね」ショコラは怪訝そうに辺りを見回す。美しい景色だが、南側と違ってどこか淋しい。
「まあな……それだけ怖いんだろうよ。それに、今日だけじゃなく王はしょっちゅう出かけてるらしいし、いつも無事に帰って来てる。剣の達人でもあるしな。だからもうあんまり心配しなくなってるみたいだな。まあ、オレ達にとっちゃあ、活躍のチャンスってもんだ」
「キュウスケは活躍したいのか?」
アイは水筒を持って立ち上がると、倒れこんだりなに差し出す。りなは水筒を受け取ると、顔を少し横にして寝ながら飲んだ。
「活躍したいっていうか、王族とかといいお知り合いになっとけば後々便利だろ? そのうち力を借りることになるかもしれないし」
目を瞑ってはいたが、そう語るキュウスケの表情と口調は、いつもの軽い感じではなかった。
「うっ、ゲフッ……ゴホゴホゴホッ……」
りながむせて飛び起き、慌ててキュウスケも体を起こす。落ち着いた頃、出発を促すその表情は、いつものキュウスケだった。
つづく 【4】へ