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第2章 希望の風
4
ゆるい坂が続き、街道は森の中を進み始めた。道の幅も次第に狭くなったが、それでも馬車がすれ違うには十分な広さがある。端のほうではところどころに木々の根が隆起して、地面に凹凸を作っていた。
街道がよく整備されているとはいえ、森の中には危険が潜んでいる。森を棲み処とする魔物にとっては、自らは姿を隠しながら、旅人を狙うことができるのだ。ショコラたちもずる賢い毒矢頭巾に矢を射かけられたが、道中も常に注意を払っていたアイがことごとく矢を弾き、ショコラが矢の飛んできた方向にヒャドを放つと「ぎゃっ」と短い悲鳴が聞こえた。他にも樹木の身体に小さな羽を持ち、森の木々に紛れいつの間にか近づいている浮遊樹や、二匹で連携して襲い掛かってくる凶暴な暴れ狛犬などに幾度となく襲われたが、アイが魔物の攻撃や動きを止め、その隙をショコラの呪文で討つ、という連携の前に敵はいなかった。昨日会ったばかりとは思えぬほどに息が合う。初めは不思議に思ったが、何度も共に戦ううちに、徐々に自然な感覚として身についた。
やがて森が徐々に暗さを増し、街道に掛けられた石灯籠の光が浮かび上がる頃、森の奥に町を見つけた。
「思ったより早く着いた。あそこがアズランだ。大丈夫? ショコラ」
「うん、大丈夫」
戦闘で気持ちが高揚していたためか疲れは感じていなかったが、アズランの入り口に続く長い長い石の階段を登り始めるとすぐに足が重くなった。前を行くアイも同じようで、一歩一歩ゆっくりと登っている。ふうふうと二つの息づかいが重なり始めて間もなく、ようやく町の門に辿りついた。全体が朱に塗られた木造の重厚な門が、淡い光に照らされて夜の闇に浮かび上がる。二人は無言のまま、下を振り返り、登ってきた高さを確認した。と、もう一人、誰かが登ってくるのが見えた。小さな影が一つ。子どもだろうか。足取りは軽く、長い階段をぴょんぴょんと飛び跳ねるように駆け登ってくる。灯篭のぼんやりした光に、若草色の髪と、大きな赤いリボンが揺れた。
「ほいほいほいっと……あれ? あー! ショコラさま!」
「フウラちゃん!」
試練に落ち、ツスクルの村を去った少女、フウラだった。ショコラが力の試練を受けている間に、家の者が迎えに来て帰って行ったとのことだった。フウラは大きな目をさらに大きく見開き、再会の喜びを満面の笑みに浮かべた。
「ショコラさま、旅してるってことは、合格したんですね! 学びの庭卒業、おめでとうございます! 言えないで出てきちゃったから、気になってたの。良かった! 言えて」
フウラは抱えていたぬいぐるみを振り回して、全身で喜びを表現する。そう言えば、ツスクルにいた時もフウラはこのぬいぐるみを抱えていたことを思い出す。ふわふわの甘いお菓子を思わせる、かわいらしいぬいぐるみだ。顔と手足があるので、何かの生き物なのだろうが、エルフでもオーガでも、人間でもないようだった。
あの時は気にしている余裕はなかったが、まだ幼いとは言え試験や外出時にまでぬいぐるみを持ち歩くものなのだろうか。エテーネにはこんなに精巧なぬいぐるみはなかったが、木や布で作った簡単な人形はあった。だが、それらは主に家に飾っておくものだった。
「そっちのおねーさんは?」
「こちらはアイちゃん。一緒に旅をすることになったのよ」
自分の背の何倍もあるアイを見上げて、フウラは礼儀正しく挨拶する。
「よろしく、フウラ。それ、かわいいな」
アイがぬいぐるみを指して言うと、フウラは薄く微笑むが、すぐに少し寂しそうな表情に変わる。
「ケキちゃん……っていうの。かわいいでしょ」
それからフウラは、二人を自分の家に招いた。アズランにいる間はいくらでも泊まっていっていいからね、食べ物で好きなものと嫌いなものがあったら言ってね、などと楽しげに話すのを聞きながら、夜の町を進んでいく。途中で宿屋を見かけたので、フウラの家に挨拶をしたらここに来てみよう、と思っていた。さすがに突然押しかけて、宿まで世話になるわけにはいかない。
ショコラは町の様子に、どこか違和感を覚えていた。日が落ちてそれほど時間が経っていないのに、あまりに人の姿が少ない。静かで、寂しげで、なんとなく空気が重いような気がする。自分が思っているよりも、疲れているのかもしれない。町に着いて安心して、疲れが出たのかな、などと考えながら歩いていた。
はた、とフウラが足を止めた。後ろを振り返り、並んでついて歩いていたアイとショコラの間を通り過ぎる。
「ついてくんな!」
フウラが叫んだ先に、何かがいた。街灯のぼんやりとした灯りに、大きな獣の姿が映し出される。ブルルルルと鼻を鳴らして、獣は踵を返し、夜に溶けていった。
「今の……なに……?」
「カムシカだよ。あれ、ショコラさま知らない? この街に住んでる動物だよ。ついて来てうっとーしいの。行こ」
フウラはまたショコラたちを先導して歩き始める。アイが後ろを振り返りながら
「私はこの間見た。おとなしくて可愛い。でもついては来なかったな」
と、やはりついて来ていないことに残念そうな顔をする。
「全然かわいくないよ、あんなの……」
フウラの声がぽつりと漏れた。不機嫌さを滲ませながらどんどん歩いていく。ぬいぐるみのケキちゃんを、両手でしっかりと抱えたまま。
街の奥の長い長い階段を、また息を切らせながら登り、果たして到着したフウラの家を目にして、ショコラとアイは顔を見合わせた。歩いてきた街並みで見かけたどんな家よりも、そしてあの宿屋よりも、ずっと大きな屋敷だったのである。
屋敷の扉の前でフウラが「ただいま~」と声を上げると、自然に扉が開き、中から鎧をまとった男性が現れ、フウラに深々と頭を下げる。
「おかえりなさい、フウラおじょうさま」
「ほらほら、ショコラさまたちも早く中に入って」
屋敷の玄関は広く、荘厳な雰囲気に満ちていた。飾り気はなかったが、かわりにピカピカに磨かれた床や柱が出迎える。
「おお、フウラ、戻ったのか」
廊下の奥から中年の男性が現れた。桜色の肌と同じ色の髪と髭を持ち、立派な装束をまとっている。フウラが父であることを紹介した。
「ようこそ。アズラン領主、タケトラと申します。ツスクルでは娘が大変お世話になったそうで、ありがとうございました。もうじき夕食の支度ができますので、ぜひゆっくりしていってくだされ」
タケトラは柔和な笑みを浮かべ、優しい口調で話す。小柄で痩せているが、領主としての威厳を感じることができた。幾分顔色が悪いように思えるのは、やはり務めが大変なためだろうか。
「いえ、ご挨拶に伺っただけですので……突然押しかけて申し訳ありません」
「いやいや、遠慮は無用。娘も喜びます」
「そうですよ~、ショコラさま。せっかく来たんですから、泊まっていってくださいよ~」
タケトラは部屋が空いていること、ショコラのことはフウラの手紙にいつも書いてあったのでよく知っており、話してみたいと思っていたことを語り、ぜひにと二人に宿泊を請うた。話の締めくくりざま門番の兵士姿の男性に部屋の用意を言いつけてしまったので、とうとうショコラはうなずいたのだった。
つづく 【5】へ
第2章 希望の風
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ゆるい坂が続き、街道は森の中を進み始めた。道の幅も次第に狭くなったが、それでも馬車がすれ違うには十分な広さがある。端のほうではところどころに木々の根が隆起して、地面に凹凸を作っていた。
街道がよく整備されているとはいえ、森の中には危険が潜んでいる。森を棲み処とする魔物にとっては、自らは姿を隠しながら、旅人を狙うことができるのだ。ショコラたちもずる賢い毒矢頭巾に矢を射かけられたが、道中も常に注意を払っていたアイがことごとく矢を弾き、ショコラが矢の飛んできた方向にヒャドを放つと「ぎゃっ」と短い悲鳴が聞こえた。他にも樹木の身体に小さな羽を持ち、森の木々に紛れいつの間にか近づいている浮遊樹や、二匹で連携して襲い掛かってくる凶暴な暴れ狛犬などに幾度となく襲われたが、アイが魔物の攻撃や動きを止め、その隙をショコラの呪文で討つ、という連携の前に敵はいなかった。昨日会ったばかりとは思えぬほどに息が合う。初めは不思議に思ったが、何度も共に戦ううちに、徐々に自然な感覚として身についた。
やがて森が徐々に暗さを増し、街道に掛けられた石灯籠の光が浮かび上がる頃、森の奥に町を見つけた。
「思ったより早く着いた。あそこがアズランだ。大丈夫? ショコラ」
「うん、大丈夫」
戦闘で気持ちが高揚していたためか疲れは感じていなかったが、アズランの入り口に続く長い長い石の階段を登り始めるとすぐに足が重くなった。前を行くアイも同じようで、一歩一歩ゆっくりと登っている。ふうふうと二つの息づかいが重なり始めて間もなく、ようやく町の門に辿りついた。全体が朱に塗られた木造の重厚な門が、淡い光に照らされて夜の闇に浮かび上がる。二人は無言のまま、下を振り返り、登ってきた高さを確認した。と、もう一人、誰かが登ってくるのが見えた。小さな影が一つ。子どもだろうか。足取りは軽く、長い階段をぴょんぴょんと飛び跳ねるように駆け登ってくる。灯篭のぼんやりした光に、若草色の髪と、大きな赤いリボンが揺れた。
「ほいほいほいっと……あれ? あー! ショコラさま!」
「フウラちゃん!」
試練に落ち、ツスクルの村を去った少女、フウラだった。ショコラが力の試練を受けている間に、家の者が迎えに来て帰って行ったとのことだった。フウラは大きな目をさらに大きく見開き、再会の喜びを満面の笑みに浮かべた。
「ショコラさま、旅してるってことは、合格したんですね! 学びの庭卒業、おめでとうございます! 言えないで出てきちゃったから、気になってたの。良かった! 言えて」
フウラは抱えていたぬいぐるみを振り回して、全身で喜びを表現する。そう言えば、ツスクルにいた時もフウラはこのぬいぐるみを抱えていたことを思い出す。ふわふわの甘いお菓子を思わせる、かわいらしいぬいぐるみだ。顔と手足があるので、何かの生き物なのだろうが、エルフでもオーガでも、人間でもないようだった。
あの時は気にしている余裕はなかったが、まだ幼いとは言え試験や外出時にまでぬいぐるみを持ち歩くものなのだろうか。エテーネにはこんなに精巧なぬいぐるみはなかったが、木や布で作った簡単な人形はあった。だが、それらは主に家に飾っておくものだった。
「そっちのおねーさんは?」
「こちらはアイちゃん。一緒に旅をすることになったのよ」
自分の背の何倍もあるアイを見上げて、フウラは礼儀正しく挨拶する。
「よろしく、フウラ。それ、かわいいな」
アイがぬいぐるみを指して言うと、フウラは薄く微笑むが、すぐに少し寂しそうな表情に変わる。
「ケキちゃん……っていうの。かわいいでしょ」
それからフウラは、二人を自分の家に招いた。アズランにいる間はいくらでも泊まっていっていいからね、食べ物で好きなものと嫌いなものがあったら言ってね、などと楽しげに話すのを聞きながら、夜の町を進んでいく。途中で宿屋を見かけたので、フウラの家に挨拶をしたらここに来てみよう、と思っていた。さすがに突然押しかけて、宿まで世話になるわけにはいかない。
ショコラは町の様子に、どこか違和感を覚えていた。日が落ちてそれほど時間が経っていないのに、あまりに人の姿が少ない。静かで、寂しげで、なんとなく空気が重いような気がする。自分が思っているよりも、疲れているのかもしれない。町に着いて安心して、疲れが出たのかな、などと考えながら歩いていた。
はた、とフウラが足を止めた。後ろを振り返り、並んでついて歩いていたアイとショコラの間を通り過ぎる。
「ついてくんな!」
フウラが叫んだ先に、何かがいた。街灯のぼんやりとした灯りに、大きな獣の姿が映し出される。ブルルルルと鼻を鳴らして、獣は踵を返し、夜に溶けていった。
「今の……なに……?」
「カムシカだよ。あれ、ショコラさま知らない? この街に住んでる動物だよ。ついて来てうっとーしいの。行こ」
フウラはまたショコラたちを先導して歩き始める。アイが後ろを振り返りながら
「私はこの間見た。おとなしくて可愛い。でもついては来なかったな」
と、やはりついて来ていないことに残念そうな顔をする。
「全然かわいくないよ、あんなの……」
フウラの声がぽつりと漏れた。不機嫌さを滲ませながらどんどん歩いていく。ぬいぐるみのケキちゃんを、両手でしっかりと抱えたまま。
街の奥の長い長い階段を、また息を切らせながら登り、果たして到着したフウラの家を目にして、ショコラとアイは顔を見合わせた。歩いてきた街並みで見かけたどんな家よりも、そしてあの宿屋よりも、ずっと大きな屋敷だったのである。
屋敷の扉の前でフウラが「ただいま~」と声を上げると、自然に扉が開き、中から鎧をまとった男性が現れ、フウラに深々と頭を下げる。
「おかえりなさい、フウラおじょうさま」
「ほらほら、ショコラさまたちも早く中に入って」
屋敷の玄関は広く、荘厳な雰囲気に満ちていた。飾り気はなかったが、かわりにピカピカに磨かれた床や柱が出迎える。
「おお、フウラ、戻ったのか」
廊下の奥から中年の男性が現れた。桜色の肌と同じ色の髪と髭を持ち、立派な装束をまとっている。フウラが父であることを紹介した。
「ようこそ。アズラン領主、タケトラと申します。ツスクルでは娘が大変お世話になったそうで、ありがとうございました。もうじき夕食の支度ができますので、ぜひゆっくりしていってくだされ」
タケトラは柔和な笑みを浮かべ、優しい口調で話す。小柄で痩せているが、領主としての威厳を感じることができた。幾分顔色が悪いように思えるのは、やはり務めが大変なためだろうか。
「いえ、ご挨拶に伺っただけですので……突然押しかけて申し訳ありません」
「いやいや、遠慮は無用。娘も喜びます」
「そうですよ~、ショコラさま。せっかく来たんですから、泊まっていってくださいよ~」
タケトラは部屋が空いていること、ショコラのことはフウラの手紙にいつも書いてあったのでよく知っており、話してみたいと思っていたことを語り、ぜひにと二人に宿泊を請うた。話の締めくくりざま門番の兵士姿の男性に部屋の用意を言いつけてしまったので、とうとうショコラはうなずいたのだった。
つづく 【5】へ