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自殺について。

2015年05月28日 18時54分44秒 | 日記
昔を思い出すと、その当時はかなり真剣に、

修羅場や喧嘩の場面で、相手に「死ね!」と

言ってしまったことがある。

ま、それは若気の至りで、感情的なものです。

どんな人に対してでも、死ねなんて言葉はいうものじゃないですよね。

また、逆に、他人にも、自分の命をどうこう指図される筋合いはないです。

別に、犯罪をおかしたわけでもないし、単純に、死刑になるほど

悪い事をすれば、法律によって、罰として処刑されるだけのことで、

普通に、特に悪い事もしていないのなら、当たり前すぎますが、死ぬ必要も

ないですよね。

でも、死にたい、と思いつめてしまうことはありますよね。

だいぶ前にテレビでやってた数値でも、日本の年間自殺者は3万人と紹介されて

いました。今は、どうかは分からないけど、これは私の勝手な憶測ですが、

今でも、年間3万人以上の人が、この豊かで先進国である日本で、自殺していると

思います。

たまったものではないし、どうにかして欲しいと思うけど、

いじめや、精神的追い込みをかける人、そして、それによって精神が崩壊して、

死を選んでしまう人、いると思います。

なんというか、私は我が強い我がままものだからかもしれませんが、

自分の意思で、例えばですけど、死を選ぶならまだしも、

他人の、心理的、または暴力的支配で追いつめられて、もう死ぬしかない、

と、この世の端っこに追いつめられて、そして人生から離脱する、自殺して

しまうというのは、腹立ちます。比べるものでもないんだけど、それって

交通事故死より、腑に落ちません。

強くなりたいなんて、自分ではそんなに無理やり強くなりたくもないけど、

心を強く持っていないと、死に追いやられてしまうことも、あると思います。

恥ずかしいことか、どうかは分かりませんが、別に同情を乞うわけでもなく、

私もいい年しながら、非常に頻繁に、仕事を終えて、帰って来て、一人でいると、

時々、焦燥的に、もう死ぬしかないと、思いつめてしまいます。

まぁ、本当に、強くなるしかないんだよなぁと思いつつも、もう三十路も過ぎた

私なのに、死にたい、もう死ぬしかない、と思ってしまい、ネットで自殺の方法などを

掲載してあるサイトを、気づくと読んでいる自分がいます。

そういう時の自分って、非常に良く思うことは、視野がめっちゃ狭くなっている。

自分なんていない方がいい、となると、真面目な性格な人ほど、積極的に自殺しなければ、

と、思ってしまうのかもしれません。

そんな負の状態じゃないときは、自殺なんてしなくても、人間生きていればいつかは、

誰だって死ぬんだし、いわんや死刑に値するほどの犯罪を犯しているわけでもないし、

若気の至りで、誰かに恨まれて、最初の方に書いたように「お前なんか、死んでしまえ。」

と言われたとしても、死ぬ必要なんてないじゃないですか、となるんです。

じっと考えてみると、自殺のことで頭がいっぱいになって、居てもたってもいられない

人、もちろん私のことを書いているので、他の人のことは分かりませんが、

心が病んでいるから、自殺のことばっかり考えてしまうんだと思います。

全ては、心の病から、ちょっと他人に冷たくされたり、あまりにも自分を自分で責め過ぎたり、

そんなようなことで、自ら死んでしまうしか、方法がないと、非常に狭くて病的な視野で

思いつめてしまうんだろうと思います。実は、恥ずかしい事かもしれないけど、仕事から

今日もかえってきて、部屋でぼさっとしているときに、自殺の妄想状態になり、

ついさっき、睡眠導入剤を、5日分くらいの分量を衝動的にまとめて飲んで、この記事を書いています。

私は、もっと若かりし頃にも、自殺のことを考えたことがありますけど、その当時から、

これも、非常に褒められない手段ですが、色々な薬を沢山飲むことで、頭ぼーっとなって、

薬の力で、眠りに落ち、朝目覚めると、だいぶ落ち着くのですが、根本的に心を病んでいるので、

また、日々暮らしていると、必ず、自殺という二文字の影に、支配されるという、

ま、カッコ悪い負のスパイラルに、もう、非常に長い事、その病状ですよね、そういう自分に

お付き合いしてきましたけど、なんだかなぁと、溜息が出て、そして調子の安定する日々が

続くのですが、また必ず、悪い時がきて、正直、感情の病気です、もうこの死ぬしかないという

気分に、耐えられないから、色んな薬を沢山飲んで、意識がマヒして、そのまま、薬による

力技で、眠りこける、しかないんですよね。

心を病んでいる場合、気分が晴れないなら、ジョギングでもしてこいとか、運動でもして、

縄跳びでもして、気分転換しろって、健康な人は思うかもしれないけど、そのような健康的

な解決法って、ほんとに、出来ないんです。私の場合は、心の底から自分が生きていることが、

恥ずかしいし、許せない、とか思ってしまうんですけどね。

別にね、今だいぶ睡眠導入剤が効いてきたので、心の波が落ち着いてきたから、余裕ができて

思うことは、今この地球上、日本のとある町に住んでいる私ですが、一人くらいの命が

自殺によって失われても、まだ大勢、元気に生きている、将来有望な若者もいますし、

高潔で、セレブな奥様だっている。今の自分なんかより、生きている価値がある人なんて、

たかだか私の住んでいる町一つとっても、わんさかいます。自己肯定感が薄まり、

一体私の生きている意味ってなに?、となったとき、そして、心を病んでいる場合、

死にたい、という言葉しか、思いつけなくなっているのは、もしかしたら人間の勘のような

もので、もう私が生きている価値がなくなったので、神の意志により、自然の流れで、

私が自殺したほうが、この地球における世界平和のためには、死んだ方が良いんだよという、

神からの指示のようにも、思うのです。これが、心の病なのか、または、神の指示なのかは、

分かりません。

食べるものに困っているわけでもない。自分と気性の合わない人とは、無理に付き合わなくても、

距離をおけば良いです。

まぁ、本当に、この話は私は終わりがないので、こんなに長々と書いてしまっていますし、

読んでくださった方が、仮にいたとしても、「だから、何?・・・」と首をかしげるだけな

作文なのは、何となく分かります。そんな陰湿な文章を、こんなに長々と書いている私の

ようなものは、死にたいんだったら、さっさと死ねば?、というのが、思うに、ごく一般的な

感想だろうと思います。

ま、結論は、本当にわかりません。どこかに、こういった自殺の意思を、どうするのが

得策か、と、教えてくれる賢い人がいたら、教えて欲しいとも思いますが、

私が思うには、自殺を真剣に悩んでいる人は、どんなに愛情ある助言を貰っても、

言う事をきかない、まるで、いい年こいて、自分の殻に入って、前述にもありますが、

視野が病的にせまく、どんなに命を大切にしろよって言われても、一般常識的な態度を

装って、いかにも助け舟を出してくれている人の意見を、その通りですねっていう演技を

しながら、結局は、一人相撲というか、いや、自分一人の世界の中の、自分すら否定して、

正直に言うと、助けようとしてくれた人に、演技をして「あなたのおかげで、すっかり

気分が軽くなって、自殺なんて馬鹿げたこといわず、毎日健康に仕事できることが、

一番幸せです。」なんていう口車を使って、結局、最後に思うことは、心を病んでいるという

のは、もう救いようもないことで、自殺未遂を繰り返しつつ、たった一度の、もしかしたら、

考え方を改め、心を入れ替えれば、バラ色の人生が待っているかもしれないけど、

私もこんな風に、一見、ポジティブな言葉を並べながらも、腹の中では、まったく自分には

価値がない、という、ある種薄気味悪いほどの、自己喪失感があり、四六時中死ぬことを

考えるという習慣がある人が、私の他にもきっと、いるんだろうなと思います。

自分勝手なんだよね、自殺実行してしまう人って。無差別通り魔殺人も、馬鹿のやること

だけど、心の病の、私も含めて、自殺してしまうことも、馬鹿のやることだと思います。

友達も、私には出来ない。恋人も私にはできない。他人と会話も、上辺だけでしかできない。

他人に、嫌われることはあるけど、自分でも自分を嫌いで、結局そんな自分を殺してしまいたい

という、表面では何食わぬ顔をしていながら、もう心の中、腹の中は、人生すべてに飽きてしまって、

冷め切っているのではないかと思います。あの映画、最高だよね、あの本、ぜひあなたに読んでほしいわ、

あの店、一度言って見てよ、すっごくリーズナブルで、お店の人もすっごく感じよくて、最高だよ、

って、色々な人が、明るい話題をしてくれても、その場で、お得意の虚偽の聞き上手を

演じながら、「へぇ~、僕もその店言って見たいですね!」とか、「いや~、その本ぜひ、読んでみたいです!」

と、演技しながら、死ぬことばっかりが頭の中を占拠しているという状態があるんですよね。

長々と、くだらないブログすみませんね。これ読んでくれた人、ご気分を悪くされたら、ごめんなさい。

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